episode.2〈即〉

 廃墟の暗闇で日中をやり過ごし、日が落ちてから、航空便の荷物の中へ紛れ込む。空の旅を貨物室の暗闇に潜んで過ごし、吸血鬼は日本の地へ降り立った。


 暗黒の空には英国と変わらない姿の月がある。


 注意深く積み荷の中から這い出したクリストファーは、その夜間に、右も左もわからない極東の地をあてどなく彷徨さまよった。


 そうしてようやく都会から離れた場所でそれらしい仏寺をひとつ見つけた。


 鋭い目で一瞥する。異国情緒じょうちょだのオリエンタルだのと評価する人間もいるが、クリストファーにとってはただの古臭い東洋建築だった。


 敷地へ入ると、格子窓からぼんやりと室内灯の光の漏れる庫裏くりがあった。窓と同じ意匠の玄関引き戸がある。クリストファーはそれを叩いた。引き戸が揺れてガラスがシャンシャンと騒々しい音を鳴らした。


 ややあって、引き戸がひらき、年若い僧侶が顔を覗かせた。クリストファーを見るなり、ギョっと目を丸くした。無理もない。夜半に突然、長身の英国人男性が目の前に現れたのだ。


「俺はブディストになるつもりでやってきた。どうすればいい?」


 日本だろうと忖度そんたくしない、流麗りゅうれいな英国式のネイティヴ・イングリッシュだった。僧侶は戸惑い、狼狽ろうばいした様子を見せたあと、一礼だけして奥へと引っ込んだ。


 しばらく待つと、落ち着いた雰囲気の壮年の僧侶がやってきた。寺の住職である。住職はおごそかな一礼をクリストファーに向けた。


「よもや、このような時間に外国の方の訪問とは驚きました。どうされましたか?」


 クリストファーの耳にも違和感なく聞こえる英語だった。この段になってようやく、クリストファーは自分以外が本来は日本語を喋るという事実に思い至った。


「ブディストになるために日本へやってきた。どうすればいい?」


 住職は一時困った様子の表情を浮かべたあと、穏やかに微笑みを浮かべる。


「我が国には信仰の自由がございます。特別な手続きなどもいりませんよ」


 しかし、クリストファーはそこへ佇んだまま、じっと小柄な住職を見下ろしている。住職はクリストファーの言葉に表れなかった深い事情をつぶさに読み取った。


「何かお困りの様子ですね。どうぞ、中にお入り下さい。お話をお聞かせいただきましょう」


 招かれれば中へ入れる。クリストファーは住職の案内で庫裏へと入った。いつも薄暗い屋敷の中で過ごしていたから、現代的な室内照明が目に痛く感じる。


「私が英語を話せたことに驚きましたか? 実はまだ若い頃、お恥ずかしながらマドンナにぬまりましてね。訳なしで歌詞世界を理解したいと思って、英会話を勉強したのです。“Papa Don't Preach父よ、お説教は結構です”なんて僧侶が聞くなぞ、どんな皮肉だって話なんですが、いやはや、よもやそれが、昨今の外国人観光客需要に活きるとは。人生にこれ無駄なぞございませんね」


 他愛たあいのない住職の話を、クリストファーは聞き流す。


 通されたのは寺に住む者が食事に使うだろうテーブルだった。


 クリストファーは勧められるより先に椅子へ腰を下ろした。


 年若い僧侶がふたりに日本茶を淹れた。


 湯気の立つ湯飲みを前にして、クリストファーはおもむろに口を開く。人間相手に遠慮することは何ひとつない。単刀直入に本題へ入る。


俺は吸血鬼だI'm vampire


 若い僧侶がガタガタと音を立ててその場に崩れ落ちる。さすがの若僧侶も聞き取れたらしい。恐怖に駆られて怯えた目を向けている。一方、住職は、わずかに目を細めただけだった。


「それはまた、面妖めんような」

「お前は恐ろしいとは思わないのか?」

「襲う意図があるなら、すでに襲われているでしょう」


 ゆえに今の間は危険を感じる必要はない。住職は落ち着いた視線で先を続けるようクリストファーに促した。


「俺は一族を皆殺しにした吸血鬼ハンターに復讐をするため、無敵の吸血鬼になると誓った。俺はキリスト教の化け物だ。故に、その弱点を突かれる。仏教徒へ改宗すれば、その弱点を克服できるだろう。さすれば、吸血鬼ハンターを恐れることもなくなる。俺は無敵になるのだ」

「なるほど。理にかなっておりますな。無敵になるために仏教へ改宗したいと」


 クリストファーは無言でうなずいた。


 住職は腕を組んで、しばらく思案を巡らすような表情をした。


 そこへ若僧侶が恐る恐る近づいてきて耳打ちをする。


「住職。無敵の吸血鬼なんか生み出したら、この世がどうなってしまうかわかったものじゃありませんよ。ここはお引き取り願って……」

「いえ。私が断ったところで、別のお寺に向かうだけです。そればかりか、腹いせに坊主たちを襲うかもわかりません」


 住職は冷静に若僧侶を下がらせた。


「いいでしょう。ただし、あなたの目指すところを鑑みるに、仏教徒になるだけではなく、仏僧という立場になる他ありますまい。つまり、修行をするということです。その覚悟はおありですか?」

「構わない。復讐のため、あらゆる弱点を克服し、無敵になれるのならば、仏僧にもなんにでもなってやろう」

「よろしい。では、我が寺はあなたを受け入れます」

「住職!」


 若僧侶が思わず声をあげる。住職は心配いらないと目で制す。


「最後に確認だ。仏教の修行を終えたら本当に無敵になれるな?」

「無論。あなたはあらゆる弱点を克服し、無敵の吸血鬼になれるでしょう」


 こうして、クリストファーは仏門へ入った。


 美しかった金色の髪をそり上げ、袈裟けさまとう。異国から来た長身の僧侶の誕生だ。

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