全てはもう、終わっている。

氷今日

全てはもう、終わっている。

***


 おはよう、と私は言った。

 そしてその後、私は考える。

 どうして、私は今、挨拶をしたのだろう、と。


 どうせ、帰っても来ない挨拶だった。

 でも、それに関して、相手の子に怒りを抱くというのは、いささか、見当違いな行いだった。


 だって、私は幽霊なんだから。

 幽霊っていうのは、きっと、みんな、生きてた人が死んだモノのことだと思っている。

 でも、私の場合、別にそんなことはなかった。

 生まれたときから、幽霊だった。


 幽霊は、なににも触ることはできない。

 というか、世界が違うんだ。

 見えてる景色は同じでも、現し世と隠り世という、正反対の場所。

 要するに、ゲームみたいなものだ。

 ゲームの景色は画面越しに見えるけど、実際に触れることはできない。

 まあ、ゲームやったことないけど。


 と、まあ、私は幽霊だった。

 いつも暇だった。

 生まれて、意識が芽生えた時にはもうすでに、一人だった。

 それから、私は考える。

 私は、何をするべきなんだろうか。


 まず思い浮かんだのは、成仏することを目指す、だった。でも、生まれてからまだ何もしてないのに、成仏するというのは、少し暇なことだ。というか、私に成仏なんてできるんだろうか?


 というわけで、今度は「何をするか」に焦点を当てることにした。

 折角だし、この世に生まれたからには、何かを成し遂げたい。

 でも、問題はたくさんあった。

 まず、隠り世には何もない。

 ほんっとうに、何もない。

 実際、死と生の狭間みたいな場所だから、何か必要か?と聞かれたら黙るしかないんだけど。

 でも、それは私にとって結構な問題だった。


 じゃあ、現し世で何かすればいいじゃん、と思ったあなた。

 甘い。忘れてるかもしれないけど、私みたいな隠り世の幽霊は現し世に干渉することができない。

 観察することしかできないのだ、要するに。


 そして、しばらく考えること数週間。

 住み着いていた人家の娘が、小学校というところに行くことになったようだ。

 だったら、私も暇つぶしについていこうと思った。


 小学校での生活は、正直、退屈なものだった。

 生徒のほとんどがバカだった。そして、小学校とやらでは、そのバカな行いが正当化されてるみたいだった。

 これじゃあ、私は何をすればいいんだろうか。


 小学校の生徒たちに合わせて、ボール遊びを観察したり(あくまで観察するだけ)砂遊びを観察したりした(あくまで観察するだけ)。


 でも、暇だった。

 そんなある日、気づいてしまった。

 人間たちには、どうやら、挨拶という習慣があるのだと。

 挨拶をすれば、何かが起こるかもしれない。というか、挨拶をすると、人間に近づけるかもしれない。


 そこで、ようやく、私の目標は決まった。

 人間に近づこう、と。この、バカな生徒たちの気持ちを理解できるようになろう、と。


 その日から私は挨拶を始めた。

 教室に入ってくる生徒たち全員に挨拶をした。もちろん、返事なんて返ってこない。

 でも、別にそれでよかった。これは、あくまで私が自己満足のためにやっていることなんだから。


 それで、この子たちの気持ちが理解できたかと聞かれたら、閉口するしかなかった。

 そして、また私は考える。

 どうして、挨拶をしたのに理解できなかったのか、と。

 すると、一つの可能性が思い浮かんだ。

 挨拶というのは、どうやら、返事をくれる相手がいないと、できないことなのではないか、と。


 これ困ったものだ、と、頭を抱えていると、ふいに、背後から雰囲気を感じた。


「……もしかして、あなた、幽霊ですか?」


「ああ、ここ最近、車に轢かれて死んだんだよ」


「それは……お疲れさまです」


「ああ、どうも」


 その男は、幽霊だった。

 基本的に幽霊というのは、生前から姿は変わらないものなのだが、この男は姿に生気がなさすぎて、それが疑わしくなっていた。


「お前は、何をしているんだ?」


「私は最近、この小学校の子供たちを観察しているんですよ」


「楽しいのか?」


「いいや、全然」


「なぜ、楽しくないのに続ける?」


 そう聞かれて、少し考えた。

 そういえば、私は楽しいなんて感情、抱いたことが無かったかもしれない。


「楽しいって、どういう感情なんですか?」


「楽しい……。楽しい、か。う〜ん、そうだな。楽しいっていうのは、生きているって、思えることじゃないか?」


「それ、私にも感じることができますかね?」


「……どうだろうな」


 ちょっと、興味がわいてきた。


「決めました。私、楽しいって感情を、見つけてみせます!」


「そうか、頑張れよ」


 こうして、この日から、私の目標は、「楽しい」を見つけることに変化した。


「人っていうのは、どういうときに楽しいを感じるんですか?」


「……そういうのは、人によるものだと思うが……。そうだな、例えば、本を読むとか……」


「本を読む、ですか。それなら、私にもできるかもしれません」


 私は男からの助言を受けて、生徒たちの読む教科書を見ることにした。

 教科書に書かれている文章はたくさんあって、感動する物語や、生き物を説明する話、昔話もあった。


「どうだ?楽しいか?」


 数日経ってから、男はそう声をかけてきた。


「う〜ん、あんまり、楽しくないですね。楽しいっていうのは、難しいことですね」


 別に、文章を読むというのは、退屈ではなかった。

 でも、それは、感じたことのある感情だった。決して、楽しいなんてものじゃ、無かったと思う。


「他に、なにか楽しいことって、ありますかね?」


「読むのがダメだったら……そうだな、作ってみるのはどうだ?自分で、文章を作るんだ」


 なるほど、自分で文章を作る、か。

 それは盲点だった。

 よし、やってみよう。


 私は紙や鉛筆には触れられないので、頭のなかで物語を作る。

 空想の世界で、龍がいる国や、温かい家族の物語、いろんなことを妄想した。

 でも、妄想するのは、少し、退屈だった。

 だって、私は、それが妄想だって、自分で分かっていたから。私は、幽霊なんだから。

 私は決して、物語を作ることはできないんだと、思い知らされてしまった。


「……ダメだったか」


「ダメでしたぁ」


 男は相変わらず生気のない瞳で、生徒たちを見下ろしている。

 そんな彼の姿を見て、ふいに気になることがあった。


「そういえば、あなたはどうして、成仏しないんですか?こんなところ、退屈でしょう?」


「ん?ああ、退屈だからだよ。俺は、退屈が好きだ。だってそれは、余裕があるってことだろう?」


「それって……退屈を、楽しんでるってことですか?」


「……お前も、そうなんじゃないのか?」


 退屈を、楽しんでいる。

 私には、考えさえ及ばないことだった。

 いや、私はそれを、体現していたんだ。

 でも、いや、だからこそ、それに、気づくことができなかった。


「お前がどうやって楽しいを感じるか、考えて、実践しているとき、心底、生きている顔をしていたぞ」


 言われてみたら、そうなのかもしれない。

 私は、どうやって楽しむか考えているとき、生きていた。確かに、そこに、生きていた。


「……楽しいって、退屈な感情ですね」


「それが、いいんだよ」


 結局、私の探求は、男の発したときから始まって、男の答えで終わってしまった。

 きっと男のなかでは、答えはすでに分かっていて。全てはもう、終わっていたんだと思う。


 その日からまた、いつも通りの日々が始まった。

 楽しいと自覚しても、生きていると自覚しても、なにか変化が起きるわけでもなかった。


 だって、楽しいって感情は、初めからそこにあって、初めからもう、始まっていて。

 でも、誰かに言われないと、気づかなくて。

 初めから、もう、終わっている感情だから。


 全てはもう、終わっいるから。

 また、始まっていく。


――完



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全てはもう、終わっている。 氷今日 @HisaNao1127

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