第7話 事後評価と関係性
結局、打ち上げはなかった。数人で行った者はいるらしい。
私自身なんとなく、あの夜のことを肴に酒を飲もうという気持ちにはならなかった。
一方で、矛盾する気持ちもあった。
あの夜、一緒にやり抜いた者同士、一緒に飲む酒がどれほど美味しかっただろうか。
それを想像すると、矢も盾もなく焦がれるような気持ちにさせられる。
男同士なら「お前! 撤収後、どうだった? 俺は『絶望お湯流し』で死にそうだった」とか、女性には「あなた! 毅然として格好良かった! 」と言えそうなテンションだ。
しかし、現実は苦い。あの夜、私たちは確かに繋がっていたはずなのに、日常に戻るとまたそれぞれの仮面を被って、何事もなかったように生きていく。
と言いつつも、どこにも振り切れない。自分の本心は一体どういうものなのだろうか?
いまだに結論が出ない。
フランクルならどう言っただろうか?
時間を見つけて、「夜と霧」を読み直してみよう。ヒントがあるかも知れない。
結局、あの夜に作業員だった元同僚とは、この話題で盛り上がることはなかった。
もうずいぶん前の話だし、持ち出すタイミングを逃した。
しかし、あのとても寒い夜の話をしなくても、私の予想は的中していると確信している。
業務端末でチャットを交わす程度だが、彼は間違いなく「矜持」を持つ誇り高い人だ。
真偽不明の噂も流れていた。それはこのようなものだ。
後日、現場に運び込まれた飲食物の見積書が届いたときの話。
「金額、間違ってませんか? 深夜の山奥ですよ? この単価じゃ、手出しになってしまいますよ。安すぎます」
「……いえ。合っています。それがウチの見積もりです。受理してください」
「いや、だから! 安すぎると困るんですってば! 」
「……そう言われましても、事実ですからね~」
結局、その押し問答がどう着地したのか、最後はどっちが折れたのか。
その噂が本当なのか、確かめる術を私は持たない。
調達担当に尋ねる資格がないからだ。
真実はわからない。
でも、あの夜、誰もが自分の「役割(ペルソナ)」を完璧に演じながら、その仮面の下で、ルールを超えた「何か」を差し出そうとしていたことだけは確かだと思う。
――「社会人」。それは、己に与えられた役割を全うすることに全力を尽くす生き物だ。
剥がれ落ちたペルソナの下にあったものは、単なる無機質な組織の歯車だけではない。
どのような状況であっても、静かな、けれど確かな「自由な意志」があったはずだ。
そう考えると、ふと、あのフランクルの言葉が、すとんと胸に落ちてきた。
「人間の精神の自由はどんな状況であっても、決して奪われない」
あの三日間の私たちは、動員という名の強制的な状況に置かれていた。
でも、その中でどう振る舞い、何を想い、どうやって自分を保つのか。
その最後の聖域だけは、誰にも侵されることはなかった。
たとえ「一日が一週間よりも長い」と感じるような、絶望的な寒さの中にいたとしても。
もちろん、私たちの経験を、フランクルの凄絶な体験と同じ列に並べるつもりなんて毛頭ない。
けれど、あの夜の「クラック」を経験した今だからこそ、彼がその言葉に込めた、苦悩や絶望、人間性への希望が、少しだけ、畏怖とともに肌で理解できるような気がする。
私は、既に新しいペルソナを顔に貼り付け、日常という舞台に戻っている。
でも、その下にあるものは、もう以前と同じではない。
作中の文、「人間の精神の自由はどんな状況であっても、決して奪われない」と「強制収容所での時間、それは一日が一週間よりも長い」は、ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(霜山徳爾翻訳、みすず書房)及びヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』(池田加代子訳、みすず書房)より改変して引用した。
本作品はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
ペルソナのクラック 真崎 一知 @MASAKIICHI
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