第6話 進捗率百パーセント
私が泥のように眠り、起きて、翌日の勤務に備えているまでの間、次のようなことがあったらしい。
後から、課長から聞いた話はこうだった。
「ご家族の都合で抽選から外したけど、志願してきた人がいたよ。彼はこう言った。『皆が頑張っているのに、私だけその程度の理由で、バックアップにもなれないなんて。私がぬくぬくとしていることが、どうしても納得できません。ゆっくりと休めません。言われれば、何処にでも行きます。せめて、公民館での業務に、私を出してください』とね。……頭が下がる思いだよ。でもね、皆の前じゃなくて、こっそり伝えて欲しかったかもね。気まずい人も居るかも知れないじゃないか」
「若手の彼女。彼女は抽選に初めから入れていたけど、後ろの方の順番の動員だから回って来ないと思っていた。それがさ、予想を超える展開で、回ってきたよ。ビビるかな~と心配したけど、まったくそんなことはなかった。ひょっとして、な~~~んも考えていないのかも知れない。……でも、きっと彼女なりに『私たちって、こういうものだ』と思うところがあったはずだよ。一生懸命、慣れない作業……いや、我々の中であのような作業に慣れてる人なんて、一部の専門職か、特殊なバックボーンを持つ方しか居ない……作業を黙々としていたよ。いつもの太陽みたいな、満開の笑顔とは違う、シリアスな彼女の顔には何か凄みのようなものがあった。……俺らの仲間にはもったいないかも知れない。……一生懸命に頑張り過ぎて、『課長、とても疲れました……でも、私たちでなければこういう経験をする機会なんて、絶対にないですよね』と言って、強張った顔で、どうにかしていつもの笑顔を作ろうとした。……ゆっくり休みなさいとしか言えなかったよ。帰りのバスで爆睡していた。俺も爆睡した」
「チーフが多分、死んでいたとき、実は、俺も彼女と一緒に、防護服着て作業していたよ。もうさ、ゴーグルが曇って、眼鏡まで曇って、視界がどうにもならないのよ。どれだけ曇り止めをゴーグルに塗っても、眼鏡がもう……みんな頑張っていたけど、どうにもならない領域ってあるよね。それと息がもう苦しい! 休憩の時、何が嬉しいかって、まずはゴーグルとマスクを外すことだね。どうやって洗練された外し方にするか、考えていたけど、思いつかなかった。……はっはっは。チーフも若手もベテランも皆、よくやったよ……打ち上げでもするか? ……しかし、最初の混乱の話を聞くと、複雑な心境になることも分かるな~~……有志だな。有志でやろう! 」
課長の話を聞きながら、私は自分の心に走ったクラックを意識しなくなった。
誰もペルソナなんて言わないで、自然に力まず、それでいて真摯に取り組んでいるじゃないか。
素直に「疲れました」と言う方が、「ペルソナが……」等と考え込むより、よほど健康的だよ。力みがとれた気がした。
課長たちよりも年長の方々は免除された。当然である。誰も何も言わない。
一回目の動員から二日後、私は再び動員された。また深夜帯。
「俺って、すげえ引きが強いわ。呪われているレベルだよ」
苦笑したが、前回のほどの不安はなかった。
寒気は緩んでいた。緩んでいたというより、季節外れに暖かいくらいだった。
「これでは、あのグラウンドはすっかり、地面がぬかるんでいるだろうな」
再び前と同様、事務所の入ったビルに集合し、何台かのタクシーでに分乗して現地に向かった。
十九時半、目的地に着いた。
前回と同様の光景が繰り広げられていたが、遥かに洗練されていた。
「さすがだよ。大した順応力だ。すっかり慣れて、見事にこなしている」
一昨日の動員の時も顔を合わせた男性、彼が再度の動員から、引き上げようとしていた。
彼の顔には、疲れと、心地よい高揚感が見えた。
彼は明るい表情で、淡々と、軽やかに、そして、いつもの彼らしい爽やかさでこう言った。
「作業がかなり進捗しているそうですよ! あと二時間もしないうちに、終わる見込みだそうです。雪が解けて足元が滑りやすいから、気をつけて。今度は前回ほどに頑張らなくていいですよ。後片付けに入りながら、終了をゆっくりと待たれていいと思います。……ではお先に失礼します! 」
前回同様、私たちが乗ってきたタクシーに、彼と他の三人は消えた。
今度は振り返らず、手も振らずに去って行った。
タクシーのテールランプが、雪が解けて濡れた路面に赤く滲んで消えていった。
「……え~~~! せっかく来たのに? 俺は運がいいのか悪いのか……」
若い彼の言葉は、私の胸に安心感をもたらしてくれた。再び、彼に救われた。
本部の連中が慌ただしく連絡を取り合っている。走って知らせに来た職員も居た。
「あ、これはいよいよ終わりか? 」と感じ取れた。私は課長に実況していた。
課長からは「終わりそうなの? 」とリプライがあった。
「終わりそうですが、まだまだ発表されません」
「チーフの次の人をスタンバらせるかどうかの判断の分かれ道! 連絡頼む」
「了解しています」
本部の職員の連絡が慌ただしくなってきた。
皆、生気を取り戻した口調で、聞いていて心地よいくらいだ。
「さっき、進捗率はほとんど百パーセントって言っていたよな! いつ終わる! 」
「ねえねえ、やっと終わり? キツかったね~ホント」
涙ぐむ女性職員も居た。
そして、とうとうその知らせは矢のように飛来した。
「進捗率百パーセント! 本当に終わりです! 現場の撤収完了は、二十時二十五分です! 」
やれやれ、あとは撤収かと思って、荷物を片付けてようとしたとき、スピーカーから「動員された皆さん! 」という声が響いた。
張りを取り戻した声だった。現場全体を管理していた本部の責任者が続けた。
「本当にお疲れ様でした! 撤収作業は業者がやります。早くご家族のところに戻って、ゆっくりされてください。どうにか間に合ったのは、本当に皆さんのおかげです。本当にありがとうございました! お疲れ様でした! 特に初日、雪空の下で作業していただかざるを得ず、また我々の力不足で本当に本当に苦しい状況にしてしまったこと、深くお詫びします。もうこれ以上、皆さんをここに留めておくことはできません。一刻も早く、ご家族の元へ、お戻りください。二十時三十分を以て、解散とします! タクシーがもう来ています! さあ、早く、皆さん、本当にありがとう! お疲れ様でした! 」
私は「やれやれだよ。これでお仕舞い! ? それに俺、単身赴任なんだけど」と苦笑いが唇を歪めた。
照れ笑いだったかも知れない。
課長には「二十時三十分、現地解散。これより帰宅します」とメッセージを送った。
課長からは「OK! 」というスタンプが返ってきた。
そのときには既に豚汁まで用意されていた。
しかし、もう冷え切っていて、食べられなかった。
代わりに私は菓子パンをいくつかもらった。
私は二十時三十分、泥にまみれたグラウンドを後にした。
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