ともだち
母さんがおかしくなり始めたのは二ヶ月前、ちょうど初めて友達を家に連れてきた時だった。
「ただいま」
学校から帰宅して玄関で声をかけると、母さんはいつものように「おかえり」と返してくれた。
でも僕の後ろにいる友達を見て、母さんは顔をしかめた。
「母さん、学校の友達のヤマト。今日一緒に宿題やるんだ」
母さんは何も言わなかった。
ただじっと、僕の横に立つヤマトを見つめていた。
僕たちが二階の部屋に上がると、母さんは階下でカタカタと食器を洗う音を立てていた。
いつもより大きな音だった。
宿題を始めて十分も経たないうちに、ドアの隙間から気配がした。
振り返ると、廊下に母さんが立っていた。こちらをじっと見ている。
目が合うと、母さんは慌てたように階段を降りていった。
「気にしないで。母さん、過保護なんだ」
ヤマトは何も言わずに、ノートに目を落としていた。
それから五分後、また気配がした。
今度は覗きもせず、ただドアの前に立っている。
足音は聞こえないけど、そこにいるのがわかった。
しばらくして、ゆっくりと階段を降りる音がした。
「ごめん。母さん、ちょっと変なんだ」
ヤマトは少し微笑みながら首を振って、僕を見た。
その日から、僕は毎日ヤマトを家に呼んだ。
学校が終わると一緒に帰って、二階の部屋で過ごす。
ゲームをしたり、漫画を読んだり、ただただ喋ったり。
ヤマトはいつも僕の話を聞いてくれた。
母さんの様子は日に日におかしくなっていった。
僕たちが部屋にいる間、母さんは廊下を行ったり来たりしている。
足音が廊下に響く。
時々、ドアノブに手をかけて、開けかけては、やめる。
そんなことを何度も繰り返す。
ある日、夜中にふと目が覚めた。
廊下に人の気配がした。
ドアの隙間から、かすかに明かりが漏れている。
そっとドアを開けると、母さんが僕の部屋のドアの前に立っていた。
パジャマ姿で、じっと、ドアを見つめている。
「母さん?」
母さんはゆっくりと振り返った。目が虚ろだった。
「マサト…あれは…」
「何?」
母さんは何か言いかけて、口を閉じた。
そして自分の部屋に戻っていった。
翌日、学校から帰ると、母さんはリビングのソファに座ったまま動かなかった。
テレビもついていない。
ただ座って、窓の外を見ていた。
「母さん、友達来るよ」
母さんは返事をしなかった。
二階に上がって、ヤマトと遊び始めると、また階段を上がってくる音がした。
今度はドアの前で止まらず、ノックもせずに、ドアを開けた。
母さんが立っていた。
目が血走っていた。
「マサト」
母さんの声が震えていた。
「あれを、部屋から出して」
「え?」
「お願い。出して。お願いだから」
母さんの目から涙が流れていた。
「母さん、何言ってるの」
「お願い、マサト。母さんの言うこと聞いて」
ヤマトは動かなかった。ただ座って、母さんを見ていた。
母さんは部屋に入ろうとした。僕は咄嗟に母さんの前に立ちはだかった。
「やめてよ!友達なのに!」
母さんは僕を見て、崩れるように床に座り込んだ。
そして泣き始めた。
声を上げて、子供みたいに泣いた。
それから一週間、母さんは僕と目を合わせなくなった。
ご飯も作らなくなった。
部屋に閉じこもって、時々、壁を叩く音がした。
そして今日。
ヤマトと部屋にいると、階段を駆け上がる音がした。
ドアが勢いよく開いた。
母さんが立っていた。手には、包丁を握っていた。
「ごめんね、マサト。ごめんね」
そう言って、母さんはヤマトに飛びかかった。
「やめて!」
母さんは包丁を振り上げた。
ヤマトの腕を掴んで、そこに包丁を振り下ろす。
ブチッという音がした。
腕が、切れた。
真っ白な、腕が。
母さんは叫んだ。
ヤマトの頭を掴んで、刃を入れて引きちぎった。
ブチブチと音がして、頭が取れた。
「やめてよ!!」
僕は母さんに掴みかかった。
でも母さんは止まらなかった。
ヤマトの体を、腕を、脚を、次々と引き裂いていく。
母さんは荒い息をしながら、床に座り込んだ。
手には、僕の友達の頭が握られていた。
「ごめんね。ごめんね、マサト」
母さんは泣いていた。
僕は床に散らばった友達を見た。
腕、脚、胴体。
「ひどいよ…」
僕は床に膝をついた。
「ひどいよ、母さん。友達だったのに」
友達の顔を拾い上げた。
優しい顔だった。
いつも僕の話を聞いてくれたいつもの顔。
「ごめんね」
そう言って、僕は友達の顔を抱きしめた。
母さんは僕の肩を掴んで、激しく揺さぶった。
「マサト!目を覚まして!お願い!」
僕には、母さんの言ってることがわからなかった。
禁域 青蛸 @aotako
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