祝い? それっておいしいの?

snowdrop

恩送りの記録

「祝い? それっておいしいの?」

 記憶をなくした私なりの渾身のギャグだが、日常生活では使ったためしはない。

 喪失を自覚させられた子供時代から、相手の笑顔を奪わないよう顔色ばかり伺ってきた。何もかも知っているフリをして周囲に合わせ、「よかったね」と微笑むのが私の処世術だった。

 クリスマス、正月、誕生日。祝祭に浮き立つ人々の気持ちが、どうしても理解できなかった。進級も卒業も、追い立てられるように過ぎていくばかり。祝われる側になっても心は踊らず、いつも喜んでいるのは祝う側の人たち。  ならば自分も誰かを祝えばいいのかと、贈り物をした時期もあったけれど、散財を重ねるほどに寂しさが募っていった。

 失った記憶が、ずっと欲しかった。皆と過ごした思い出があれば一緒に喜べたかもしれない。だが、望むものは手に入らず、出会えた人は無情にも離れていく。やがて訪れる別れの時まで、私は精一杯のお返しをするのを心がけた。

 誰かへ恩を贈る積み重ねのなかで、ふと気付かされる。

 祝いとは、かつて受けた恩を返せない代わりに次の誰かへ手渡す「在りし日へのお礼」なのだ。受けた施しを他の誰かへ。恩送りの連鎖こそ、縁と呼ぶものなのだろう。


「この世になぜ悲しみがあるのか、わかるか?」

 亡くなった叔父が、かつて私に尋ねた。ぎょろりとした大きな目で、すべてを見透かすように私を見つめる人だった。 答えられない私に、叔父は笑って続けた。

「悲しいという気持ちを、お前に知らせるためにあるのだ。嬉しさも、楽しさも、喜びも、怒りも。すべてお前自身に教えるためにある。この世は、感情を学びとる場なのだ」

 わかったかと笑いながら酒を煽る叔父の顔は、いつになく楽しそうに輝いていた。


 U-24杯の選考委員を引き受けたのも、私なりのお礼の形だ。活字が読めなくなった折、やる気と情熱に満ちたカクヨム甲子園の作品たちから元気を分けてもらった。音読みソフトを介した読書ではあったけれど、あの日もらった情熱を、今度は選考という形で誰かへ繋ぎたかった。

 今回の受賞の有無にかかわらず、書き手たちがいつか作家として世を席巻する日が訪れますように。  今はただ、静かに祈りを捧げたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

祝い? それっておいしいの? snowdrop @kasumin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画