終わりに:汎時的なニュータイプへの祝福

 本稿を書き終えようとしていた時、ふとある人気テレビ番組の光景が頭をよぎった。10代の少年少女が特定の分野への膨大な知識を披露する『博士ちゃん』という番組だ。彼らが視聴者の心を掴んで離さないのは、単に「子供なのに物知りだから」ではない。彼らこそが、本書で定義した「汎時的(パンクロニック)な受容」を体現する、いわば「汎時的ニュータイプ」だからだ。

 大人は彼らに対し、「君、まだ生まれてなかっただろ!」と驚きをもってツッコミを入れる。それは、大人が「実体験の有無(通時的尺度)」という古い物差しで世界を測っているからだ。しかし、当の彼らは困惑する。彼らにとって、数十年前に見なくなったレトロ家電も、国鉄時代のダイヤも、デジタルアーカイブを通じて「今、ここ」で出会った鮮烈なリアリティに他ならない。彼らは身体的な時間をショートカットし、感覚によって歴史と直結している。

 彼らが過去を語る時、そこには重苦しい懐古趣味(ノスタルジー)はない。あるのは、膨大な情報の海から「今、自分をワクワクさせるもの」を見つけ出し、サンプリングする軽やかさだ。彼らは、最高の知識を使いこなしながら、スタンスは「最強のニワカ」として境界線を踊っている。

 大人が「知らないはずだ」と笑うのを、子供が「体験済みだ」と無効化する。この価値観の逆転劇こそが、現代のエンターテインメントの核心にある。これは、情報の階層が消滅した後に訪れる、文字通りの「ネオン・ジェネシス(新世紀)」の姿ではないか。

「汎時的」という視点を持てば、私たちは年齢や実体験の呪縛から解放される。彼ら「ニワカ」が教えてくれるのは、過去を「正解」として守るのではなく、「今」を豊かにするための材料としてつまみ食いする自由だ。

 重厚な「辞書」を抱えた先輩にも、いつかこの自由な風が届くことを願って。そして、境界線の上でこの「ニュータイプ」たちの驚きを共に分かち合えることを願って、筆を置くことにする。


――未来とは彼らのことなのだ。


(了)

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汎時的(パン クロニック)なFワード ~インターネット時代に「ニワカ」として生きること~ たけりゅぬ @hikirunjp

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