第4章:国鉄を知っている小学生
かつて、あるテレビ番組で鉄道を愛する一人の小学生にインタビューするのを見た。
インタビュアーは駅に停まっている電車を指し小学生に聞いた。
「この電車のどこがいいの?」
その問いに彼は迷わず答えた。
「国鉄時代を思い起こさせるところです」
インタビュアーは大笑いしてツッコミを入れた。
「君、国鉄時代なんて知らないでしょ!」
と。
画面の中の少年は、ひどく困惑した顔をしていた。視聴者の多くもインタビュアーと共に笑ったかもしれない。だが、私はその時、戦慄に近い感情を覚えた。
―――分かっていないのは、大人の方ではないか。
少年にとって、国鉄時代は「未体験の過去」ではない。デジタルアーカイブの中に、高画質な動画として、あるいは鮮烈な録音として、それは2025年の今、「今、ここ」に確かに存在している。彼はそれらを何度も反復し、細部を注視し、己の感性で受容した。
実時間としてその時代を歩んだ人の記憶と、解像度の高いアーカイブを浴び続けた少年の記憶。そこに、どれほどの優劣があるというのだろうか。大人が主張する「体験」とは、物理的な時間の経過という、極めてアナログで通時的な尺度に過ぎない。しかし少年は、デジタルという万能のタイムマシンを使い、歴史を「今」としてサンプリングしている。
少年にとって、国鉄はすでに「体験済み」なのだ。彼の困惑した顔は、「どうして目の前にある真実が、実体験がないという一点だけで『知らないこと』にされるのか」という、純粋な汎時的センスからの拒絶だったのだと思う。大人の「笑い」は、通時性を前提に過去を独占しようとする既得権者の傲慢さに他ならない。対して少年の「困惑」は、新しい時代の地平を汎時的見ている者だけが持つ、正当な違和感だったのである。
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