第5章:「薄いねw」という名の福音
私には、一回りほど上の先輩がいる。
彼は映画を「とことん知り尽くすこと」を人生の至上命題としている、筋金入りのオタクだ。彼の知識は辞書のように重厚で、LINEの映画グループを管理させれば、自分の意に沿わぬ意見を持つ者を次々と「勉強不足」として排除していく、
ある日、彼と一緒に一本の映画を観に行った。鑑賞後、コーヒーを飲みながら感想を求められた私は、正直にこう答えた。
「この映画の内容や監督のことはよく知らないけれど、昔遊んだゲームでコラボしていた時の印象がとても強かったんです。それがきっかけで、この映像の世界にスッと入れました」
彼は一瞬、絶句した。そしてやがて噴き出すように笑って言った。
「薄いねw」
その通りなのだ。私の感想には、先輩が人生をかけて積み上げてきた「コスト」の重みなど、一グラムも含まれていない。私が差し出したのは、たまたま触れたゲームの記憶という、あまりに安上がりで、偶然の産物でしかない「断片」だ。
先輩の苦笑には、寂しさが混じっている。彼は映画の深淵を分かち合いたいと願っているが、私はその入り口の薄い膜の上で、ふわふわと浮いているだけだ。
けれど、その徹底した無力さこそが、私の唯一の救いだった。
私には彼のような城を築く力も、正解を守る真摯さもない。ただ、汎時的な海に流されてきた断片を、あ、これ好きかも、と拾い上げる。その「薄っぺらな自分」を認めてしまったとき、私はオタクの牢獄からも、歴史の重圧からも、するりと逃げ出すことができたのだ。
彼が映画を「所有」しようと足場を固めるなら、私はアクセスの瞬間に生じる微かな火花を眺めるだけでいい。TLDPのFワードを聴いて「ゲルマンの映画のように生々しくて怖い」と怯えたことも、知識としてではなく、ただの「体調不良に近い違和感」として受け流す。
私たちは、異なる時間軸を生きている。彼は垂直に深く潜り続け、私は水平に広く滑り続ける。どちらが正しいというわけではない。ただ、汎時的な海において、私のこの「どうしようもない薄さ」は、彼が背負う重すぎる真実を、一瞬だけ無効化する。
私は、あの国鉄少年の困惑した顔を思い出しながら、先輩の「薄いねw」という言葉を、無力なまま、しかし安らかに受け止めていた。
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