あけおめ!

志乃亜サク

今年もよろしく



 2026年元日。


 遅く起きた朝は、テレビをつければ紋付袴と振袖の司会者を中心に昨年もよく見た顔のタレントたちがオメデトウゴザイマスを連呼しながら画面を賑やかにしていた。

 いつもと変わらない正月。結局、今年も実家には帰省しなかった。


 届いた年賀状の束をめくれば、家族写真がプリントされた同期の年賀状がまず目に入る。それでなければ飼い犬や猫たちに囲まれた幸せそうな写真。結婚や出産のお知らせ。

 まったく独り身には目の毒だ。田舎の実家から足が遠のいている原因のひとつも、まさにこれだった。


 30歳。年長者からはまだまだこれからだと言われ、若年層からはおっさん呼ばわりされる微妙な年齢。少しずつ自分が何者でもなく、何者にもなれはしないという現実に気付き始めて焦り始める年齢。


 仕事は嫌いだ。忙しいうえに給料は安い。世の中には仕事が生き甲斐と言う人種がいるらしい。都市伝説の類ではないかと疑っている。もしかしたらどこかに、天職と呼べるような仕事があったりするのだろうか? とはいえ転職する勇気もない。

 

 こんな感じで、燻った30歳は正月まで燻っている。  


 ふと、昨年末……といっても数日前だけど、この部屋に間違って派遣されてきたあの女性の顔が浮かんだ。

 結局あの後ひとりで大掃除したし、もんまりメソッド? は何の役にも立たなかったけど……なんだかんだ楽しかった。彼女の勤務する店はなんて言ったっけ? 名刺くらいは貰っておくんだった。


 玄関のチャイムが鳴ったのは、ぼくがまさにそう思った時のことだった。

 誰だ? この暇なときに。


 玄関を開けると、メガネ姿のセクシーな女性が立っていた。 


 「来たわよ」 


 ――やだ、怖い。


 ぼくは反射的にドアを閉めた。


 ところが。

 扉が閉まる寸前の隙間に女性の黒いハイヒールが差し込まれて阻止された。


 「ちょっ、何してるんですか!?」


 「痛い痛い痛い。挟まってるから。足挟まってるから一回ドア開けて」


 「いま自分で挟んだでしょ?」


 「いいからいいから。一回開けて」


 少し扉を開けると、今度は身体ごと滑り込ませてきた。手慣れている。


 「……もんまりさん?」


 「すぐに気付いたやろ。え? 何でドア閉めたん?」


 「いや、一回はやらないとと思って」


 「……まあええわ。とりあえず立ち話もなんだから、お邪魔するで」


 「待って待って。靴脱いで」

 

 結局、勝手に上がり込んできた。

 




 「まあ、積もる話もあるやろけども」


 そう切り出したもんまり。積もる話も何も、数日前に会っている。

 あらためて見ると、縁のないメガネに白のブラウス、黒のタイトスカートにストッキング。栗色の髪はバンスクリップでまとめられてうなじが見えている。これは相当セクシーだ。


 「なんか上に着るもん貸してもらえん? めっちゃ寒い」


 それはそうだ。この真冬にセクシー全振りのアホみたいな恰好してる。

 とりあえずぼくのパーカーを貸した。


 「それで、今日は何の御用で?」


 「ファッション&ヘルシーデリバリー『ハッピー女学院』から来ました、女教師もんまりです」


 「こないだ聞いた店名とだいぶ違いますよね?」


 「それは大丈夫。ウチの店、よく行政から指導入って名前変わるねん。でも中身は一緒やから安心してな」


 大丈夫ではない。


 「……ちなみに源氏名は変わらないんですか?」


 「変わるよ。今の名前は『マリーダ・モンティパイソン』や。でもこれまで通り『もんまり』でええよ」


 「モンティパイソンて」


 「まあ、テシガワラ君には特別に本名教えたってもええけどな。ただ君にその覚悟はあるんかなあ?」


 「覚悟、とは?」


 「本当の名前を明かしたとき。ウチらはその男を愛するか殺すしかないんやで」


 「そんな物騒な設定、シャイナさんでしか見たことないです」





 「で、もんまり先生に何か相談があるんやろ?」


 「うん?」


 「君あれやろ? 燻っとるやろ?」

 

 いきなり核心を突かれた。


 「分かりますか」


 「そら分かるよ。まずオーラが燻っとる。というかもう、見た感じが燻っとる。燻り師匠や」


 「誰が燻り師匠だ」


 「いまこそ何かを変えたい、変わりたいと思っている。違う?」


 「あ、ああ、そうです。もう30歳ですし、このままじゃいけないんじゃないかと思っ

 

 「甘ったれんな! このスットコドッコイ!」


 「ええ……」


 まだ相談もしてないのに怒られた。


 「変わる自分と変わらない自分。どっちにしても、今の自分からの地続きでしかないんやで」


 「おおう」


 なんだか深いこと言われたような気がする。


 「これは知り合いのアマチュア作家の話なんやけどな。その人も正月の空気に乗せられて、自分を変えたいと思ったそうなんや」


 「ほう」


 「とはいえ。いきなり大きくは変えられないから、毎日ひとつずつ、小さなことでいいから何かしら変えていこうと決めたらしいんよ」


 「堅実ですね」


 「せやろ。で、記念すべき第一回は『枕の方角を逆にして寝てみよう』」


 「あ、そんな小さな変化でいいんですね。でもたしかに、寝るとき起きたときの景色が変われば発想も変わってくるかも」


 「ところが。枕の方角を逆にして寝たらいきなり悪夢にうなされたそうや。宇宙船の中で百人のガガーリンに追いかけられて」


 「何ですかガガーリンて」


 「知らん。とにかく、捕まったらしばかれるから朝まで逃げ回ったそうや。これが彼にとっての初夢や」


 「地獄みたいな初夢ですね。てか、いま何の話を聞かされたんです?」


 「そんな小さな変化にも危険が潜んでいるという話な。自分を変えるなら、それなりの勇気と覚悟が要るという話や」

 

 「なるほど」


 「といってもな、テッシーは別に変わらんでもええと思うよ。燻りマニア界隈ではなかなかの良物件や」


 「褒められてる気が全然しませんけども、ありがとうございます」


 「まあ、正月やし。暗い話もここまでにしとこ」


 気付けば、もんまりがベッドに座って微笑んでいた。


 「二時限目は保健体育の時間や」


 そう言って隣をポンポンと叩き、ぼくに座るよう促すもんまり。

 プロの顔をしている。

 こんな女教師おるか。


 「そんなアナタに朗報です」


 「朗報?」


 もんまりは持参した大きめのトートバッグを引き寄せると、中から何かを取り出そうとガサガサしはじめた。

 あ、いつもの流れか。


 「ちょっと待ってください」


 「うん? 突然どうしたん?」


 「それアレですよね? 新年特別キャンペーンとかで対象コスプレが無料になるやつですよね?」


 「おう。よう分かったね」


 「分かりますよ。当てていいですか?」


 「どした、めっちゃやる気やん。ほんなら見事何のコスプレか正解したら、もんまり先生からすんごいお年玉サービスしたるわ」


 そう言ってぼくの唇に軽く指を触れるもんまり。

 すんごいお年玉サービス、だと?

 興味がないといえば噓になる。


 こんな勝負を持ちかけるからには、当然ぼくにも勝算があるのだ。


 「今回のコスプレは……」


 「今回のコスプレは?」


 ひと呼吸置いたことで、部屋に妙な緊張感が満ちる。


 「正月だけに! ズバリ、巫女さんで


 「ぶー! 不正解!」


 食い気味に両手でバッテンを作るもんまり。なんだその「ぶー!」顔。腹立つな。

 そして彼女が巫女装束の代わりに取り出したのは、ご機嫌なトンガリ帽子と二本のマラカスだった。アミーゴセット。正月全然関係ねえ。

 

 「そしてもう一つが……こちら!」


 目出し帽? いや、これは。


 「メキシコの怪鳥けちょうミル・マスカラスのマスク! さあ、どっちにするんや?」


 アミーゴダンサーとルチャリブレの二択だった。なんだこのメキシコ特集。


 「……とりあえず、マスカラスで」


 「バレ、トルティーヤ!」


 怒られろ、マジで。



 携帯電話の着信音が鳴ったのは、その時だった。もんまりのスマホが光っている。

 

 「うあ、店からや。ごめん出てもいい?」


 そう断って部屋の隅に移動し通話を始めるもんまり。


 なんだか深刻そうな顔で「え、間違い?」「『コーポ山田』じゃなくて『セレブリティ行徳』? 行徳にセレブなんかおるか!」みたいなことを話している。


 そして通話を終えると彼女は申し訳なさそうにこう言った。


 「ごめん。なんかまた色々手違いがあったみたい。帰らなアカンねん」


 またか。いつものパターンだ。

 だけど……今回は、これまでと決定的に違うことがある。 

 それはぼくが、まだもんまりと一緒にいたいと思っていることだった。

 

 お詫びにアミーゴ置いてくわ、そう言って手早く身支度をするもんまり。

 違うんだ。ぼくが欲しいのはアミーゴなんかじゃない……君なんだ。


 玄関でヒールを履いて立ち上がったもんまりの背中に向かって、ぼくは思わずこう口にしていた。

 

 「待って。行かないで……!」


 そんな情けない言葉が自分の中から出てくるとは、自分でも思っていなかった。


 今の世の中は、そこそこの欲を満たすだけなら大抵のものは手に入るようにできている。時間か、お金か、何かしらの対価と引き換えに、誰もがそこそこの満足を手に入れられる仕組みになっている。


 その一方で、たとえ欲したとして手が届かないものもこの世の中には多くある。

 身の丈を越えてそれを得ようとするには手持ちの時間やお金だけでは足りないから、それ以外の代償を……たとえば尊厳であったり社会的信用だったりといった大事なものを差し出すことになる。

 だけどそれらを失うことは、とても怖いことだ。

 だから多くの人は欲のないような顔をして、そこそこの満足を得て薄笑いを浮かべながら生きているんだ。ぼくだってそう。そうだった。


 それでも今。

 なけなしの勇気以外に何一つ持っていない、差し出すべき代償もないぼくは、それでも彼女を欲している。


 「……次、行かなアカンし」


 彼女は玄関のドアノブに手をかけたまま、こちらを見ずにそう答えた。

 彼女の顔が見えない。彼女がいま、どんな表情をしているのか。


 「分かってる。それでもまだ……ここにいて欲しいんだ」


 その言葉に答えることなく、彼女は静かに扉を開けて部屋を出て行った。

 

 ——ああ、終わった。

 そう思った。


 勇気は出した。そこは頑張った。自分にとっては大きな変化だった。けれど、それだけだ。

 ぼくは彼女の気持ちを少しも確かめることなく、自分の強い思いを一方的に押し付けてしまったのかもしれない。まるで自分の恋心の扱い方を知らない思春期のように。


 衝動のまま自分の思いだけを伝えれば、晴れ晴れとした気分になれるとでも思ったのだろうか? 決してそうはならないということは分かっていたはずなのに。


 きっと彼女はもう、この部屋に来ることはないだろう。ぼくが二人の関係を終わらせてしまったんだ。

 そう考えると、年甲斐もなくぼくの視界が滲んだ。

  

 その時だった。

 どこかから、音楽が聴こえてきた。


 ♪チャー……ダカダカダンッ

  チャー……チャチャッチャ チャチャッ

 

 これは、このイントロは……。


 ジグソーの『スカイハイ』


 そしてこの曲を登場曲としていたのは、あのメキシコの英雄……!


 玄関のドアが勢いよく開く。

 そこには仮面貴族ミル・マスカラスのマスクを装着したもんまりが立っていた。


 「もんまり……!」


 その呼びかけには答えず、無言でシャツのボタンを上から外していくもんまり。

 言葉は不要、それが彼女の答えなのだ。

 ぼくもまた服を脱ぎ捨て、アミーゴ帽子を目深に被り、二本のマラカスを構えた。


 「来い!」





 気付けば、ぼくは部屋の冷たい床に仰向け全裸で倒れていた。

 

 「っ……!」


 首の後ろに鈍い痛みが走る。


 「もんまりさん?」


 曖昧な記憶をたどると、彼女がトップロープ……ではなくスチールラックの最上段に上ったところまでは覚えている。

 来い! 受け止めてやる!

 そんな事を言った記憶もある。

 ルチャリブレとは、互いを信じること。なんかそんなことを考えていた気もする。

 どうかしていた。

 そこから先の記憶がない。


 「もんまり!」

 

 もう一度呼んだぼくの声だけが部屋に空しく響く。

 彼女はもう、ここにはいないのだ。

 ぼくはまた……間違えてしまったのだろうか?


 するとその時。

 ぼくの目は、ちゃぶ台の上に一通の書置きを見つけたのだった。

 それは、彼女からぼくへの手紙。

 ぼくはその手紙の文字ひとつひとつを目でなぞる。

 そこには、意外な達筆でこう書いてあった。


 


 「明けましておめでとう!

  今年もよろしく!」




 ああ、そうだな。

 ぼくらの2026年は、まだ始まったばかりなんだ。


 ぼくの中で何かが変わり始めている。

 なんだかそんな予感がするんだ。



<了>


 

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