第10話 「Unfair World」三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE
第10話 「Unfair World」三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE
師走の赤坂は、暴力的なまでの冷気に包まれていた。2015年12月30日。新国立劇場の裏手、搬入口のコンクリートは凍てつき、吐き出す息はすぐに白く霧散して消えていく。
三代目 J Soul Brothersのリーダー、小林直己は、楽屋の重いドアを背に、静かに精神を研ぎ澄ませていた。 部屋の中は、高価な香水と、緊張からにじみ出るわずかな汗、そして加湿器から噴き出す温かな蒸気が混じり合い、独特の密度を保っている。
「……今日、獲れたら連覇だな」
今市隆二が、喉を温めるためのマヌカハニーを一口飲み、掠れた声で呟いた。その声には、一年間駆け抜けてきたドームツアーの疲労と、それ以上に、ボーカリストとしての凄まじい執念が宿っている。
「ああ。でも、獲るかどうかより、どう届けるか、だろう」
登坂広臣が、鏡に映る自分の瞳を見つめながら応える。 彼の指先は、黒を基調としたシックな衣装の襟元を整えていた。今回の楽曲『Unfair World』は、前年の『R.Y.U.S.E.I.』のような爆発的なダンスナンバーではない。切なく、不条理な世界の片隅で、それでも愛を叫ぶバラードだ。
「よし、行こうか」
NAOTOの短い号令が、楽屋の空気を一気に戦場へと変えた。
ステージ袖への通路。 スタッフの無線が飛び交う音、機材が運ばれるガラガラというキャスターの振動が、足の裏から心臓へと伝わってくる。 薄暗い袖の中で、7人は円陣を組んだ。 互いの手のひらが重なる。 直己の大きな手が、メンバー全員の熱を包み込む。 その瞬間、彼らの意識は一つに溶け合った。
「……三代目 J Soul Brothers!」
気合入れの声が、防音壁を震わせる。 ステージへ上がる階段。一段ごとに、照明の熱が皮膚を突き刺してくる。 『第57回 輝く!日本レコード大賞』 司会の安住紳一郎アナウンサーの声が、静寂を切り裂いた。
「大賞は……三代目 J Soul Brothers、『Unfair World』!」
その瞬間、視界が真っ白な光に塗りつぶされた。 地を這うような地鳴りのような拍手。 メンバーの誰かが上げた、短い、けれど魂を絞り出すような叫び声が聞こえた。 登坂は一瞬、天を仰いだ。視界が滲んだのは、ステージの強烈なライトのせいだけではない。
盾を受け取る。 その冷たく、重厚な感触が、自分たちが成し遂げたことの重みを教えてくれる。 けれど、喜びを噛み締める間もなく、彼らはマイクの前に立った。 「聴かせる」ための、プロの顔に切り替わる。
ピアノのイントロが、静まり返った会場に零れ落ちた。 雨上がりのアスファルトのような、湿った、そして少しだけ埃っぽい孤独の匂いがするメロディ。
「あの日君が流した涙の理由を……」
今市の歌い出し。 彼の声には、砂を噛むような切なさと、守りきれなかったものへの後悔が混じっていた。 センターで踊るパフォーマーたちの動きは、いつものアグレッシブなそれとは違う。 一動、一静。 指先の震え一つまでが、不条理(Unfair)な世界で抗う人間の苦悩を表現していた。
岩田剛典は、自分のステップが刻む床の感触を確かめていた。 華やかな世界。けれどその裏側には、誰も知らない孤独や、報われない想いがある。 「この一歩が、誰かの絶望に届くように」 彼の額から流れる汗が、ライトを反射して真珠のように飛び散った。
サビに向かって、感情が加速していく。 登坂の声が、今市の声と重なり、螺旋を描いて上昇していく。 その高音は、まるで冷たい夜空を切り裂くナイフのように鋭く、それでいて絹のように滑らかだった。
「Unfair World...」
二人の声が重なる瞬間、会場の空気が震えた。 それは単なる音の重なりではない。 苦楽を共にしてきた7人の、言語化できない歴史が、一つの塊となって観客の胸を突き刺す。 客席でハンカチを握りしめるファンの、すすり泣く匂い。 それさえも、彼らは五感で受け止めていた。
歌い終えた後、深い沈黙が訪れた。 数秒。 それから、先ほどよりもさらに激しい拍手の渦が、彼らを飲み込んだ。
ステージから降りる際、山下健二郎がELLYの肩を強く叩いた。 「やったな」 「最高だったよ」 言葉は短かったが、交わした視線には、戦友としての深い信頼が溢れていた。
楽屋に戻る通路。 そこには、先ほどの緊張感とは違う、どこか憑き物が落ちたような静謐な空気が流れていた。 けれど、直己は立ち止まり、メンバーを振り返った。
「おめでとう。でも、ここからが本当の勝負だ」
その言葉に、全員が頷いた。 大賞連覇という、かつての自分たちには想像もできなかった景色。 けれど、その景色は美しさだけではない。 「不条理な世界」は、明日からも続いていく。 自分たちの歌が、その世界で生きる誰かの、一筋の光にならなければならない。
彼らの鼻を突くのは、勝利の美酒の香りではなく、次なる挑戦へと向かうための、清々しい冬の風の匂いだった。 2015年の最後、赤坂の夜空に輝いたのは、7つの星。 それは、痛みを知るからこそ放てる、強く、優しい光だった。
当時の彼らの活動や、この楽曲にまつわるエピソードで、さらに詳しく知りたい部分はありますか?
レコード大賞 春秋花壇 @mai5000jp
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