第二話 花のオバケの噂

交番に戻る頃には、雨はすっかり本降りになっていた。

レインコートについた雫を払い落とし、交番の中に入る。エアコンの風が濡れた肌に当たって、少し肌寒い。


「おう、帰ったか。どうだった?」


机に向かっていた橋部さんが、顔を上げる。


「うーん、目立った情報はなかったですね」


佐伯先輩が濡れた帽子を外し、髪を指先で払いながら答える。


「子どもたちの噂話くらいですかね。”花のオバケ”に食べられちゃう~とか」

「花? なんだそりゃ」

「昨年末に行方不明になった高坂蓮がそんなことを言ってたらしくて、今回の失踪者もオバケに食べられたんだ~とかなんとか」


橋部さんは乾いた笑いを漏らし、背もたれに体を預けた。


「夏が近くなるとこの手の話が増えるな」

「季節的にそういう刺激が欲しくなるんですかね~。でも、実際に行方不明者が出ていると、正直洒落にならないといいますか……」

「ま、俺たちは聞き込み内容を報告するだけだ」


橋部さんはそう言って、机の上の書類を束ねる。


「ですね。報告書はこの後まとめておきます。栗花落君も手伝ってね」

「――あの、報告のことなんですけど」

「どしたん?」


首を傾げる佐伯先輩に、俺は少し迷ってから口を開く。


「その、オバケとかの話って書くべきなんでしょうか……」


正直、書いていいものなのか迷うレベルの話の内容である。


「別に書かなくてもよさそうだけど……。橋部さん、どうします?」


橋部さんは顎を摩りながら、小さく溜息を吐いた。


「突っ込まれるだろうが、そのまま書いておけ」

「え、書くんですか?」

「報告しないで後から叱られるより、真実を書いて叱られた方がマシだろ」

「そりゃそうですけど……。俺、怒られるの嫌っすよ」


佐伯先輩が露骨に嫌そうな顔をする。


「生安の奴に小言を言われるだけだ。栗花落、とりあえず、全部書いておけよ」

「……了解です」


雨脚は更に強まり、窓を叩く音が耳に残る。


「――それにしても、花のオバケねえ」


橋部さんがぼんやりと窓の外を見ながら呟く。


「橋部さん、そういうの信じちゃう系です?」

「何だよ、信じちゃう系って……まあ、肯定派ではあるな」

「ええ、意外」

「そういうお前はどうなんだよ」

「俺っすか? 半々ですかね~。ちょっと信じたい気もするけど、実体験がないので疑わしいって感じっすかね。栗花落君は?」

「俺も――半々ですかね」

「肯定派、俺だけかよ」

「別に俺たちも半分信じてるんで、一緒っすよ。でも、何で肯定派なんすか?」


堅物そうな橋部さんが、この手の話題に肯定的なのは本当に意外だった。馬鹿なこと言ってんじゃねえ、くらいは言いそうな気がしていた。


「いや、まあ……そういうのに妙に詳しい知り合いがいてな。今は県警の『特異案件捜査課とくいあんけんそうさか』ってところにいる。……名前くらいは聞いたことあるだろ」

特案とくあん、でしたっけ? 聞いたことはありますけど……何しているかまでは知らないっすね」


特異案件捜査課――確か、刑事部の下にそんな課があった気がする。その程度の記憶しかない俺が、仕事内容まで把握している筈もなく、佐伯先輩同様、分からないと首を横に振った。


「まあ、ここに居たら早々会うこともないだろうな。特案はその名の通り、”特異な事件”を取り扱っている場所だ。普通の刑事が手を出せねえような、ややこしいやつをな」

「ややこしいって?」

「それこそ生安や刑事課が匙を投げるような事件だ。昔、そこの奴と一緒に仕事をしたことがあってな。――ほら、竹杉区たけすぎくの案山子事件って、あったろ? 田んぼに串刺しにされた変死体がってやつ」

「あ~、大学の時にテレビで見てましたよ、そのニュース」

「十年くらい前ですかね。俺も知ってます」


当時は猟奇殺人だなんだと、ニュースはこの事件で持ちきりだったのを覚えている。

毎週必ず田んぼの中心に、竹に体を貫かれた遺体が発見されると言う事件だ。その様子がまるで案山子のようだと、”案山子事件”と呼ばれていた。


「あれって結局、犯人は分からず仕舞いでしたよね」

「表向きはな」


橋部さんが椅子の背もたれに体を預ける。


「犯人の手掛かりは何もない。捜査一課はお手上げ。けれど、毎週必ず誰かしらの遺体が畑に現れる。困り果てていたところに――特案が押しかけて来た。あいつら、一課の会議室に来て何て言ったと思う? “大破した地蔵を直せ”だとよ。その場にいた全員が目が点よ」

「……地蔵ですか?」

「事件が起きる前日に、畑近くの地蔵に車が突っ込んでな。粉々になっちまったそうで、特案はそれを直せと言うんだわ。そんなことで事件が解決するわけねえと、一課の連中は大騒ぎしたんだが、死人が出続けている以上、どうにか始末をつけなきゃいかん。そんなわけで、地蔵の修繕を急がせてみたら、あら不思議。それ以来、畑に遺体が現れることはなくなったって話よ」

「……そんなこと、あり得るんすか」

「当時、立ち会った俺が言うんだから、あり得るんだな、これが」


橋部さんが鼻で笑い、空になった缶をゴミ箱へ放った。

金属の軽く鳴る音が、妙に静かな詰め所に響く。


「一課の連中は頭を抱えていたが、特案の奴らは”これで片付いたな”って言って帰っちまった。結局、あれが何だったのか、誰も説明できねえままだ」

「なんで特案は、地蔵を直せなんて言ったんですかね? 地蔵の祟りとか……?」

「さあな。そういう意味でも、”特異”ってことだな」

「……なんか、怖い話みたいっすね」


佐伯先輩は苦笑いを浮かべる。


「いや、本当にな。ああいうのは、正直関わりたくねえ」

「…………」


俺は黙って頷いた。

――特異案件捜査課。

普通の刑事が手を出せない事件を扱う場所。一体、どんな課なのだろうと思考を巡らせていると、橋部さんがパンと手を叩いた。


「――無駄話はこの辺にして、ちゃっちゃと仕事を終わらせるぞ」

「橋部さんの所為で、昼休み明け一人でパトロール行くの嫌なんですけど~」

「ガキみたいなこと言うな」

「栗花落君、一緒に付き合ってよ~」

「え、ああ、是非」

「何が是非だよ、栗花落」

「やる気があっていいじゃないですか」


あっはっはと軽快に笑う佐伯先輩の頭を、橋部さんが小突いた。

先程まで漂っていた陰鬱な空気が吹き飛んでいく。



――伊藤春樹が失踪したのは、それから五日後の出来事だった。

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