第一章 思い出の花
第一話 消えた少年
「おい
交番の狭い詰め所で、
引き継がれた書類を読み込んでいた俺は、顔を上げて首を傾げた。
「穂坂小学校の男子生徒。名前は
「”また”って、前にも子どもが居なくなってるんですか?」
「あー……、お前はまだここに居なかったか。去年の暮れにも一人行方不明になってんだよ。高坂……なんとかって子だ」
「なんとかって……橋部さん、もう痴呆っすか?
窓辺の植木鉢に水をやっていた
「佐伯、一言多いぞ」
「だって、橋部さんも一緒に聞き込みしてたじゃないっすか。なのに、もう忘れちゃうだなんて……」
「哀れみの目を向けるんじゃねえよ」
橋部さんが缶コーヒーを一口啜りながら、吐き捨てるように言う。
湿気で曇った窓の向こうでは、スーツ姿の会社員が足早に駅へと急いでいる。
穂坂駅前の交番に配属されてから早二ヶ月。この二人のやり取りは、もう見慣れた光景になっていた。
「……その、高坂って子は、まだ見つかってないんですか?」
「結局、見つからなかったんだよねぇ。あの時は、生安の奴らと刑事課の小競り合いが凄くて大変だったよ」
「行方不明者が出ると恒例だからな」
生安――生活安全課と刑事課。
この二つの課が担当する事件内容は似通っており、どちらが事件の主導権を握るのか曖昧なケースが多い。それ故、担当の押し付け合いと足の引っ張り合いが常になっている。
俺も何度か署内で揉め事が起きているのを見ているが、正直、あそこには配属されたくない。
「栗花落君はうちに来て正解だよ。ここは事件が少ないから、小競り合いに巻き込まれることもそんなにないし」
「そうなんですか?」
「そうそう。ちなみに、蓮原の方はマジでやばい」
「あそこは繁華街ですもんね……」
蓮原市の中央に位置する穂坂区は、閑静な住宅街が多い地域で、交通量も少なく住民も穏やかな人が多い。対して、蓮原市の中心都市とも言える蓮原区には、商業施設が犇めく繁華街と、飲み屋街が連なる歓楽街があり、観光地としても人気のある場所だ。そのため、犯罪率も他の区よりも段違いなのだ。
そんな地区に配属されるのは、屈強な心身を持ち合わせた人物くらいじゃないかと思う。
「――とは言え、そんなうちでも行方不明者が出たんだ。平和ボケしてる場合じゃねえぞ」
橋部さんが椅子の背に凭れ、手帳をぱたんと閉じた。
「生安の連中が穂坂小学校に入ってる。俺たちはそのお手伝い、だ。佐伯は栗花落と行ってやれ」
「了解っす」
佐伯先輩が帽子を掴み、手際よく支度を整える。
「栗花落君、地図持ってね」
「はい」
二人で詰め所を出ると、むっとするような湿気が肌に纏わりついた。
見上げれば曇天。今にも雨が降り出しそうだ。
駅前のロータリーには、バスを待つ人々の姿がぽつぽつとあった。その様子を眺めながら、佐伯先輩は口を開いた。
「しっかし、男子生徒ばっかり居なくなるのは気味悪いよね。もちろん、女の子だからいいってわけじゃないけどさ」
「確かにそうですね」
「まあ、家出とかだと思うけどな。こういうのって大体そうじゃん?」
「……まだ小学生なのに、家出なんてしますかね」
「最近の小学生って結構ませてんのよ?」
軽口を交わしながら線路沿いの住宅地を抜けると、古い石垣に囲まれた校門が見えてくる。その向こうに、灰色の雲を映すガラス張りの校舎が立っていた。
――穂坂小学校。
正門の前には無線車が一台停まっていた。その横にはスーツ姿の男が一人。恐らく、生活安全課の係官だろう。
佐伯先輩がその男に敬礼をするのを見て、俺もそれに倣う。
「地域課のものです。応援で来ました」
「ああ、聞いてます。生安の
「了解です」
浦瀬さんに案内され、俺たちは校内に足を踏み入れた。
廊下には生徒の姿が疎らで、心なしかどんよりとした重たい空気が流れている。
梅雨の湿気が入り込んで、床板が少しべたつくような感触がした。
職員室に通されると、四十代くらいの女性教師が立ち上がる。
「……佐伯さん、わざわざありがとうございます」
「いえいえ、そんな畏まらないでくださいよ、
「お知り合いですか?」
佐伯先輩と教師――谷口さんとのやり取りに、浦瀬さんが怪訝そうな顔をする。
「昨年末に起きた行方不明事件でもお世話になりまして……」
「そうですか」
訊ねてきたくせに、何とも淡白な返しである。
「では、お二人は谷口さんと、生徒さんから話を聞いてもらえます? 私は校長と話がありますので」
浦瀬さんはそれだけ言い残すと、職員室を出て行った。
その背中を見送りながら、佐伯先輩が小声で、「あの人、感じ悪いねぇ」と愚痴を零す。
「――それじゃあ、生徒指導室にご案内しますね」
谷口さんが職員室の奥の扉へと足を向ける。
「松本くんと同じクラスの子を呼んであります」
案内された指導室は、六畳ほどの小部屋だった。
部屋に置かれたソファーには、男子生徒が二人。緊張した面持ちで座っていた。
彼らはこちらを見るなり、驚いたように目を見開く。
「佐伯じゃん!」
眼鏡をかけた男子生徒が声を上げる。
彼の胸元についた名札には、
佐伯先輩は一瞬きょとんとしたあと、直ぐに口元を緩める。
「まさかとは思ってたけど、君たちか」
「あの植木鉢の花、まだ元気? 俺らがあげたやつ!」
「もちろん。俺と栗花落君で毎朝水やってるよ。あ、栗花落ってこいつね。四月から一緒に働いてるの」
がしっと勢いよく佐伯先輩に肩を掴まれて、思わずよろめく。
交番に置いてあったあの植木鉢。職業見学に来た子どもから貰ったと聞いていたが、まさかこの子たちだったとは。
「新人ってこと?」
「そうそう。俺の後輩」
「身長でっけえし、かっこいいね!」
「俺だって身長高いよ?」
「佐伯より新人の方が高く見える」
伊藤くんが、佐伯先輩と俺を見比べるように視線を動かす。
と言うか、俺のことは新人呼びなのか……。
「栗花落君。身長、いくつあるの?」
「……え? えっと、百八十ですね」
「ってことは、俺と一センチ差だから大して変わらないね」
「えー、佐伯の方が小さく見える」
「小さい言うな」
「それに、どちらかと言うと、新人の方が先輩っぽい感じする」
「分かる。大人の落ち着きってやつ?」
「……それ、どういうこと?」
二人の幼い少年は顔を見合わせ、少し笑った。
張り詰めていた空気がふっと和らぐのを感じる。
「こら、二人とも! 佐伯さんたちはお仕事でいらしているんだから、失礼のないように」
谷口さんが窘めると、二人は間の抜けたような返事をした。
「すみません、佐伯さん」
「いえいえ。寧ろ、時間取らせちゃって悪いなって思ってます」
佐伯先輩は笑顔で答える。
「――じゃあ、早速話を聞かせてね。言い難いことがあったら、無理に答えなくてもいいから」
急に空気が変わったからか、先程まで柔らかかった彼らの表情が少し強張る。
「松本くんについてなんだけど――」
「俺ら一緒に居たんだよ!」
伊藤くんが食い気味に声を上げる。
「サッカーの帰り、途中まで一緒に帰ってたんだ!」
「……えーと、サッカーって習い事か何か?」
「そ! 俺、ゴールキーパーやってんの」
「俺、ディフェンダー!」
「凄いねえ、強そうだ」
「強そうじゃなくて、マジで俺たちつえーから!」
子どもならではと言うか、話がなかなか前に進まない。
それでも、佐伯先輩は二人のペースに合わせて会話を続ける。
「松本くんも同じサッカーチームなの?」
「颯はチームで一番強いんだ」
「めっちゃゴールするし、コーチより上手いよな」
「うんうん。それで、一昨日も練習が終わった後、一緒に帰ったんだ?」
佐伯先輩の言葉に、二人は一瞬顔を見合わせる。
その表情には、躊躇いが滲み出ていた。
「どうしたの?」
俺が二人に問いかけると、伊藤くんが眉間に皺を寄せた。
「あのさ、佐伯は俺たちの言うこと信じてくれる?」
「そりゃあ、もちろん」
「ホント?」
「ホントだよ。俺、嘘吐かないし」
「新人も?」
「え、あ、うん。俺も信じるよ」
何をそんなに不安がっているのかと、疑問に思いながらも彼らの次の言葉を待つ。
すると、河合くんが意を決したかのように、大きく息を吸ってから口を開いた。
「俺たち一緒に帰ってたんだけどさ。颯の奴、急に居なくなったんだよ」
「……急に?」
「ずっと三人で喋ってたんだよ」
「颯が、夜ご飯がカレーって話してて、俺たちがいいなーって言ったらさ、もう居なくなってて」
「いきなり消えたんだよ! びっくりしたよな」
「うん。イリュージョンってやつかと思った」
二人の証言に、今度は俺と佐伯先輩が顔を見合わせる。
「えっと、本当に目の前からいきなり消えたの?」
「マジでいきなり居なくなったよ。ちょっと怖かったよな」
「怖かった」
信じると言ってしまった手前、彼らの言葉を否定することはよろしくない。
――けれども、”目の前でいきなり人が消える”ことなどあり得る筈がなかった。
ちらりと谷口さんの方を見ると、彼女も困ったような表情を浮かべていた。
「松本くんが消えたことって、親御さんにはその話したのかな?」
「してないよ。だって、いきなり消えたとか言っても、大人は信じないっしょ」
「そうそう」
「……な、なるほど」
最近の小学生はませていると、佐伯先輩が言っていたが、確かにそうかもしれない。
「でも、クラスのみんなには言った。そしたらさ、浦瀬が変なこと言うんだわ」
「浦瀬?」
「……同じクラスの女子生徒です」
谷口さんが静かに補足する。
「高坂がさ、居なくなる前に、”花のオバケに食べられる”って言ってたって。だから、颯も食べられたって」
「花のオバケ……?」
「あと、高坂の奴、居なくなる前に花のオバケに追いかけられたって言ってたんだよね。前に来たケーサツにも教えてあげたけど、全部信じてくれなかったんだよな」
話の内容に、佐伯先輩が小さく唸る。
彼らの証言を信じてあげたいという気持ちと、大人としての理性が鬩ぎ合っている様子だ。
所詮は子どもの戯言。
今回の行方不明事件の手掛かりになる情報ではない。
――でも、それを単なる戯言で片付けてよいものなのか、と俺は逡巡する。
佐伯先輩は小さく息を吐いて、聴取を続ける。
「花のオバケに食べられるかぁ。どんなオバケだったとか、詳しく知ってる?」
「しらねー。花のオバケは花のオバケだろ?」
「高坂しか見てねえもん」
「そ、そっか。……ちなみに、居なくなる前の松本くんに変わった様子はなかったかな?」
「うーん。いつもと一緒だったよな?」
「うん。いつもの颯だった」
「オッケー。ありがとう。――谷口さんの方も何か気になることは?」
「私の方も特にないですね……。学校にいる間は、とても元気そうに見えましたので」
「……そうですか」
佐伯先輩は困ったように呟いた。
「――今日のところは、この辺にしておこうか。二人とも聞かせてくれてありがとう」
そう言って佐伯先輩が立ち上がる音で、ふと我に返る。
谷口さんも会釈をしながら立ち上がる。
「そう言えば、今年も職業見学やられるんですか?」
「ええ、十月頃に予定はしていますけど、どうなることやら……」
「そうですよねぇ」
佐伯先輩が谷口さんと世間話をしながら、生徒指導室を後にする。俺もそれを追って、部屋の外に出ようとした時、伊藤くんがそっと俺の袖を引いた。
「……あの、さ」
「どうしたの?」
「……颯、見つかるかな」
その声色は、先程までとは違って不安気だ。
「次の日曜日、試合があるんだ。一緒に勝とうって話してたからさ」
「あいつ、たくさんゴールするって約束してたし」
確実なことは、今の状況では言えない。
変に希望を持たせるようなことを、この場でいうわけにもいかない。
俺は少し迷った後、ゆっくりと口を開く。
「……頑張って探すよ」
――それが、彼らに向けて伝えられる精一杯の言葉だった。
けれども、少年らは笑って見せる。
「ま、新人が探せなかったら、俺が代わりに探すし。何かあったら呼べよな!」
河合くんがそう言いながら、屈託のない笑顔で親指を立てるのと同時に、佐伯先輩が扉の向こうから顔を出した。
「栗花落君、帰るよ~」
「え、あ、はい」
俺は少年らに短く別れを告げて、佐伯先輩の後を追った。
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