episode/3:赤ずきん

 ☆


 やがて、彼女が訪れたのは一軒の小屋でした。

 人工森林の木々を伐採して作られたと思われる、木造建築の小屋でした。月面都市ではそうお目に掛かれない小屋です。


 木々が自然に生えることのないこの世界において、木造建築というのはそれだけで非常に価値のある建物です。


 そんな小屋の扉を前にして、赤ずきんは軽く扉をノックしました。


 やがて、扉の奥から「どうぞ」という音が響きました。

 赤ずきんは、その声を聞くや否や、何の躊躇もなく足を踏み入れました。


「待っていたよ。“赤ずきん”」


 ぎぃ、ぎぃ、と赤ずきんが歩く度。木造建築の床が軋みます。

 まるで風情など感じさせる気配すらないほどに、廊下にはいくつものケーブルが走っていました。

 いくつも張り巡らされたケーブルは、ひとつの部屋に繋がっています。


 赤ずきんはそのケーブルを辿るようにして、ひとつの洋室に足を踏み入れました。


「……あなたが、お婆さんね?」

「そうさね。お前さんがここに来ることは、知っていたさ」


 それは、薄暗い部屋でした。

 いくつも張り巡らされたケーブルの先は、その室内に並べられた機器に繋がれていました。

 薄暗い部屋を照らす光源と言えば、いくつも並べられたモニターのみです。


 そのモニターの前に座っていたのは、しわがれた一人の老婆でした。

 赤ずきんは、バスケットの中に右手を突っ込んだまま老婆に問いかけます。


「ずいぶんと情報伝達が早いのね。お婆さんの耳はどうしてそんなに大きいの?」

「私達にとっちゃ、情報こそが命だからさ」


 赤ずきんは、鋭く老婆を睨みつけます。

 それから、何の躊躇もなく回転式拳銃を取り出しました。その銃口の先を、老婆へと突きつけます。


 しかし老婆は一切動じません。

 ゆっくりと振り返ったかと思うと、穏やかな笑みを湛えたまま赤ずきんを見つめます。


「おやおや、ずいぶんと美しい見た目をしているね。さぞかし愛されてきたのでしょう」

戯言ざれごとを……。ここに来る道中、野盗に襲われた」

「おや、それは災難だったねえ。お茶でも飲んでいくかい?」


 まるで老婆は動じません。

 その立ち振る舞いに、より一層赤ずきんは激情に駆られました。


「なぜお前は野盗に狙われない!なぜ、なぜ……っ!」

「ふうむ。そう言われてもねえ……」

「っ……お前の仕業か?」

「やれやれ……犯人扱いかい。全く、これだから若者は嫌いなんだよ」

「お前みたいな、孤独な老婆1人。狙わない理由などないだろう」


 老婆は皮肉命た笑みを浮かべながら、「くっくっ」と嚙み殺したような笑いを零しました。

 やがて、その笑いは徐々に高笑いへと移行していきます。


「あっはっはっはっ!!ずいぶんと間抜けなガキじゃないか!!そうさ、私がやつらを動かした!!“赤いコートを着た少女を殺せ”ってさぁ!!」

「……っ!!お婆さんの手はどうしてそんなに大きいの!?」

「当たり前じゃないかっ!!あたしらは少女一人くらい、簡単にひねりつぶせる力を持っているからさ!!」

「ふざけたこと、言うなっ!!」


 赤ずきんは怒りの感情そのままに、回転式拳銃のトリガーを何の躊躇もなく引きました。


 重い撃鉄音が鳴り響きます。真紅の火花が、薄暗い室内を照らすもう一つの光源となりました。


「ああああああああああっっ!!!!」


 何度も、引き金を引きました。

 その度に、火花が迸ります。


 昂る感情を解き放つが如く。

 何度も、何度も。


 ですが、その銃弾のいずれも、老婆には命中しませんでした。

 いえ、厳密に言えば。老婆はこの場にはのです。


「青い。青いねえ赤ずきん」


 コバルトブルーの瞳を持つ赤ずきんは、鋭い双眸で老婆を睨みつけます。

 厳密に言えば、老婆の姿を投影したホログラムへと。


「ずいぶんとふざけたことを言ってくれるじゃない。お婆さんの口は、どうしてそんなに大きいの?」


 銃弾を全て撃ち切った赤ずきんは、弾切れと同時に冷静さを取り戻したようです。

 再び何の感情も汲み取ることが出来ない顔色に戻った彼女は、じっと老婆を睨んでいました。


 徐々に、老婆を投影するホログラムのシルエットが歪んでいきます。


「私も、所詮“狼”の一員に過ぎないってことさ」

「……呆れた。私はまんまと狼に“喰わされた”ってところかしら」


 赤ずきんは撒き餌を掴まされただけということに、この時初めて気付きました。

 観念したようにため息をつきます。それから、ホログラムを投影する機器へと静かに近づきました。


「そうさ。私ら“狼”は、いつでもお前らを狙っている。そのことを、胸に刻んでおくんだね」

「うるさい」


 静かな怒りを滲ませた赤ずきんは、そのままホログラムを投影していた機器を勢いよく踏みつぶしました。


 ☆


「やられた。まんまと食わされたわ」

『お疲れ様、赤ずきん』


 しかめっ面を浮かべた赤ずきんは、携帯を用いて一人の男性へと連絡を取っていました。

 通話先の男性は、どこかのんびりとした声音で赤ずきんへと言葉を掛けています。


『にしても、残念だったねえ。“狼”に近づいたと思ったら、また遠ざかった』

「私を闇に屠る算段だったのね。してやられたわ」

『言っておくけど“マザー”に罪はないよ』

「分かってるわ。彼女だって、偽の情報を掴まされたに過ぎないのだから」


 赤ずきんは悪態を吐きながら、再び大きくため息をつきました。

 それから、バスケットに詰め込んだ飴玉を無造作に取り出し、ひょいと口の中に放り込みます。

 包装のくしゃりという音が通話先にも聞こえたようです。狩人は、呆れたような声音で、やんわりと赤ずきんを窘めました。


『キャンディだって今や貴重なんだからさ、そんな雑に食べないでよ』

「うるさい。私に指図しないで、今機嫌が悪いの」

『はぁ……まあ、君の好きにしたらいいけどさ。残念だったね』

「……まあ、ね。それはあなただって」

『僕のことは良いからさ。また何か情報が分かったら連絡するよ』


 赤ずきんの言いかけた言葉を遮って、狩人は「じゃあまた」と一方的に言い放ちました。

 そのまま、ぶつっ、という音が響くと共に通話は終了しました。


「……」


 赤ずきんは、じっとその携帯端末を見つめていました。


「自分が一番悔しいくせに……嘘つき」


 ぽつりと、赤ずきんは寂しげに。

 そう呟いたのでした。

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