レンズの向こうに貴方が見える?
稲子 東(トウゴ ハル)
レンズの向こうに貴方は見える?
私の故郷は福井県鯖江市だ。この街の有名な産業は眼鏡、繊維、漆器などが盛んだが、最も有名なのは当然のことながら眼鏡産業だ。だって、日本の眼鏡フレームの九十六パーセントを占め、世界でのシェアもニ十パーセントくらいはあるからだ。
私はメガネストリートを彼氏と共に歩いていた。今の彼氏は上京してから同じ大学で知り合った。大学三年の夏休みは、結婚を前提に彼とお付き合いしたいのでその許しを乞いうことが目的の帰省だった。そうなのだ、私は彼を両親に紹介することを決めたのだ。
このメガネストリートを私は高校生の頃、一人の甘党の友人と楽しくお喋りしながら歩いていた。いつも私が少し先を歩き、彼は斜め後方から私を眺めていたはず。彼に言葉をかけるとき、私はくるりと身を反転させてから話し出す。そして、用件が済むと再び私は彼の前をスタスタと歩き出す。ちょっぴり飼い主と散歩する犬みたいだと思ったことがある。でも、ほんの少し彼に甘えたくなったとき私は彼の横に並んで彼の脇に私の腕を通して、ほんのつかの間の自分の恥じらう感情を楽しんでいた。この日は、めがねミュージアム二階のカフェに新作のスィーツが入ったということを聞きつけたからだ。
「ねえ、真ちゃん。あなたは東京の大学に行くの?」
「うん、前にも言ったように、そのつもりだけど。ナンはどうするつもり?」
「そうだなあ、私の家は両親ともに先生してるし、私も中学校の教師になりたいかなって、小学生になった頃から思ってたかな。地元の大学にでも行こうかと。」
「へえ、偉いよね。だって、ここにいても面白いことある?」
「あるよ」と、私は答えたが、次の言葉になるような地元イベントや特徴が思いつかなかった。坂井市の三国花火大会のような盛大な祭りは確かにここにはない。地味な街だ。
「あのね、真ちゃん。これからの話だけど『さばやき』という名前の付いた鯛焼きに似たスイーツが名物になるよ。」
「はあ? これからってどういうことだよ。また、勉強し過ぎて、予知夢か妄想の世界に入って、現実逃避をしていたでしょう。ナンちゃんは相変わらず愉快だよね。ハハハ。」
私は真ちゃんが大好きだ。彼とは小学校から一緒だ。彼は両親の仕事の関係で小学3年生のとき転校してきた。
「ミナミさんって、漢字でどう書くの。東西南北の南なの?」
「そうだよ。南に美しいと書くんだよ。」
「そうしたら、『ナン』ちゃんって呼んでいい?」
「はあ?」と。私は彼の唐突な発言に脳内細胞がついていかなかった。
その後、田舎でクラス数も少ないせいか同じクラスになることが頻繁にあった。彼はいつでも成績は優秀だから、何でも博士のように知っていた。自然とクラスのまとめ役的存在になり、クラス委員長にもなった。さらに運動神経も良くて足も速かった。だから、クラス対抗リレーでは必ず花形アンカーを務めていた。おまけに性格もいいときていたから、性別を問わずみんなからとても好かれていた。その彼が私をどうしてだか認めてくれていることが嬉しかった。彼は私の何を認めてくれていたの?
「明日は晴れるよ」と私が言うと、必ず彼は精度の高い天気予報が雨だと断言しているにも関わらず、「うん、信じるよ」と言ってくれた。確かに次の日は一日中雨が降ったりやんだりしていた。翌日の会話では……。
「ナンちゃん、惜しかったね。晴れは明日だってお天気ニュースは言ってたね。先取りしちゃったんだね。」
また別の日には……。
「今度のテストはどこが出る?」と彼に訊かれることもあった。私は考えるふりをして、「たぶん、この問題の類題が出る気がする」と答えると、やはり彼は「うん、信じるよ」と笑顔で言った。結果的には、その問題が出題されるか否かは彼にとっては意識の外にあったみたい。なぜなら、優秀な彼はいつも網羅的に出題範囲を勉強しているからどこが出てもへっちゃら。でも、彼は私の心情を気遣って言ってくれた。「ナンちゃんの言う通り出たね」と。そして、私は彼に偉そうに、「そうでしょう。言った通り出たでしょう」って威張って返すことが多かった。単に私自身の照れ隠しだったが、彼にそう言ってもらうと何だかちょっぴり擽ったい気がして妙に心が弾んでいた。
同じ高校に入学したのを機に、私は自分の気持ちを伝えようと決心した。私には彼の返事が分かっていたが……。最初に私が告白をしようとしたのが、めがねミュージアムのカフェだった。
「真ちゃん、ごめんね。部活休ませちゃったね。」
「ナンちゃんだって、今日はアニメ同好会同人誌の打ち合わせがあったはずだよ。」
「どうして、真ちゃんはそれを知っているの?」と、私は不思議そうな表情のまま彼の瞳を覗いた。後で分かったことだが、私と同じ同好会の友人からその情報を得ていたらしい。本当に私にとっては驚きだった。彼はいつも私に合わせてくれて、自分のスケジュールを変える人で、一方、私は自分の都合に人を合わせたがる偏屈な癖を持っていた。だから、今回、私が自分の内なる感情を抱えながら、彼を誘ったことにきっと彼は疑問を持っていたということかも?
「ずっと昔から真ちゃんのことが好きだったの」と私がドキドキを抑えて告白をしようとしていると、案の定、彼が私の気持ちを察してくれてか、「ちょっと待って」と言ってから咳払いをして、私にテーブルの上に手を出すように促した。すると、彼は私のその手を両手で包み込んでから言葉を発した。彼の掌は回路のように暖かい。
「ナンちゃん、ありがとう。僕もナンちゃんのことが昔から……、僕が転校してきたときから好きだったんだよ」って。私は自分が告白をしてからこの状況設定が行われるものだと思っていたが、微妙に予知したものとは異なっていた。ほぼ九十パーセントの確立で当たっていた未来透視の誤差が大きくなってきたのを私は感じていた。私はその日を境に祖父の遺品であるくぐもったレンズの古い丸フレームメガネを覗く習慣を止めてしまった。
高校三年生に私たちがなってから、部活も同好会も引退して暇な時間を持つようになったので、お互いに勉強会だと親に言い訳をして、よく会うようになっていた。私たちはメガネストリートを歩いて、いつものカフェに行って将来のことを語り始めた。
そんなある日の夜、私は一抹の不安を抱えたまま、真夜中に仏壇の下の棚にしまってある祖父のメガネケースを久しぶりに取り出した。
小さい頃、祖父は丸メガネの向こうからいつも真ん丸な眼でニコニコして私を見ていた。生前の祖父は本当にいつも私の未来を見ていたのか、時折、その日に起こることを私に言い聞かせるように話した。
「南美ちゃん、今日は学校に行く道を替えてごらん。きっといい人に出会えるよ」と。
祖父は私にかつて真ちゃんが現れることを告げてくれたことがあったから、祖父の発言を信じていたのは確か。その日、私は祖父の言った「いい人」に出会うべく早く家を出て、遠回りをして菜の花を眺めながら、「今度会う人ってどんな人?」とワクワクして早足で登校した。でも、誰にも合わずに学校の正門に着いてしまった。「おじいちゃんの嘘つき!」と思っていると、学校近くに救急車のサイレンの音が近づいてきた。後からやって来たクラスメイトが大きく目を見開いて、私に興奮して話かけた。
「大変、大変。南ちゃんは大丈夫だったのね。その角の先で五年生の男子達が車にぶつかったの。」
私はぞっとして、その場に立ち尽くしていたことを記憶している。もしいつもの時間にお家を出ていたら、今頃の時間にあの角を曲がっていたかもしれなかったのだ。帰って祖父にその話をすると、「南美ちゃんが無事でよかったね。神様が守ってくれたんだね」と祖父は優しい声で言って、やはり丸い目をして笑顔でいた。そのとき、私は思った。いつも私に祖父が話しかけるときには何か、良い悪いはあるが、が私を襲うときだと。私は祖父にそのことを生前聞きそびれていた。その祖父が、私が中学生になる直前に逝去した。遺品であるメガネも棺に入れるはずだったが、私が固執して、「おじいちゃんを感じていたいの」と言って、仏壇の棚にしまっていた。祖父が使っていたメガネを覗く気持ちになったのは、それからしばらくしてからだった。友人との困りごとが私を悩ませていたとき、祖父の助言を得られるかもしれないとメガネケースを取り出した。自然とそのメガネを掛けてみると、ぼんやりだがその友人の言動が脳裏に映ったような気がした。次の日、前日の脳裏の映像が現実のものとなった。それ以来、私は真夜中になるとそっと自室を抜け出して、祖父の丸メガネで暗闇を眺めるようになった。
私は真ちゃんと結ばれる将来を考えるようになっていた。幾度かそう念じてレンズの先を見ようとしたが……。真ちゃんの姿がない。ただ見えるのは、私が乗用車の暴走に巻き込まれそうになる映像だった。ごく近い未来に私は事故に巻き込まれる可能性があると直感し、自分の周りに気を付けることを肝に銘じて過ごしていた。
「真ちゃん、私もあなたと同じ東京の大学受けてみようかなあ。」
「えっ、そんなことしたらまた仲間に冷やかされちゃうな。アハハ。」
そのときの彼の顔が嬉しそうで、半面、とっても照れ臭そうで、そんな彼がチャーミングに私には見えた。その彼の表情が私には永遠の宝物になった。ずっと彼とこうしていたい。ずっと同じ空気を吸っていたいと心底から私は願った。
「ねえ、真ちゃん。私、いいよ。」
「何なのさあ、『いいよ』って?」
私はこの日、彼と一緒にラブホと呼ばれるところに立ち寄った。
その記念すべき日の帰り道に見覚えがあった。私が事故に遭遇する光景に酷似した街灯の明るさ。私たちはその直前までしっかり腕を組んで寄り添って歩いていた。分かれ道で、私は真ちゃんに軽く手を振った。もちろん、「明日も会おうね」って言葉を掛けあった直後だった。急激な迫り来るエンジン音とともに煌々としたヘッドライトが私の目に飛び込んできた。私はあまりのことにそこで身動きが出来なくなっていた。あの光景だ、と気づいた次の瞬間だった。私の身体に黒い人影がドンと当たると私の身体は空中に舞い上がった。一瞬の出来事が永遠の時の中に刻まれていった。
私を強く押した影は車のバンパーに跳ね上げられた。
「真ちゃん……?」
私の肌に浸透した彼の体温が私の中で沸騰し始めた。真ちゃんに違いない。真ちゃんだ。真ちゃんの身体が白い街灯を遮り、まだ空中から落ちてこない。私は尻もちをついた体を両腕で起こした。体中の血液が熱い真ちゃんの息を感じていた。まだ、真ちゃんは生きている。その確証が私を動かしていたが……。
私はそれ以来、祖父のメガネケースから丸メガネを取り出さなくなった。私には最初から未来など見えていないのだ。様々な欲深い願望が私を弄んでいただけ。私の真ちゃんはこの地球上のどこにもいない。
もうすぐ懐かしいカフェの前を通り過ぎる。
「ねえ、南ちゃん。僕さあ、この通りを以前にも君と歩いたような気がするんだ。」
細いシルバーフレームの中に懐かしい彼の瞳が輝いているような気がした。
「そうだね」と呟いて、彼を正面から一度眺めてから私は少し俯き加減に小さく頷いた。
私の左頬、彼の視界に入らない頬に涙粒が一筋だけ線を作っていった。彼の銀縁のメガネフレームから覗く横顔は真ちゃんによく似ていた。私は彼の腕に自分の腕を強く絡めた。
「もう離さないよ」と、私は心の中で真ちゃんに語りかけた。
了
レンズの向こうに貴方が見える? 稲子 東(トウゴ ハル) @tougo-haru
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