最終話 新潟戦線異状なし、それ以外に報告すべき件なし

「――こちら第2小隊より中隊本部へ、目標を制圧。繰り返す、目標を制圧。これより、警戒態勢に入る」

『中隊本部より第2小隊へ、了解。増援部隊を送る。引き続き警戒せよ』

「了解、通信終わり」

 

 一通り制圧した後、生き残った後輩たちに”後始末”を任せ、私は中隊本部にそう連絡して、受話器を通信係りに返した。


 私たちの小隊は一番乗りで乗り込み、敵塹壕を制圧した。

 その後、他の小隊を支援しつつ、何とか塹壕全体を制圧した。


 今は敵の逆襲と、”お空”の警戒をしつつ、交替で休憩を取らせている。


 そして、私はその場から動かずに、座り込みながら、あちこちに連絡を取り合っていた。


 正直言ってしんどい……


 まだ午前中だって言うのに、朝食べた物はもう消化されて、お腹が鳴るほど腹が減っている。


 頭もぼんやりしている。


 けど、まだ戦いは終わりではない。

 次に備えなければならなかった。


 ……さっきの戦いで、小隊の”戦力”は半数以上を失った。


 いま戦闘可能な者は私を含めて12名のみ。


 他の小隊も同様だった。


 無理やり重症者を戦わせれば、18名にもなる。

 だが、戦力としては無理があろう……


 もし増援部隊が来なければ、私たちは――


「唯」


 交替で戻ってきた津田が気軽に話しかけてくる。

 しかも、また名前で……


「なによ」

「今のところ、敵陣地からの動きはない。至って静かで、空も安全だ」

「え、あ……フッ、それは良かった」


 それを聞いて、息が抜ける。

 少なくとも、これで敵が来る前に確実に増援部隊が来てくれる。

 そう思っただけで、胸の奥が少し軽くなった。


 もう、敵の逆襲がいつ来てもおかしくはない時間は過ぎていた。


 いつもなら、既に機械の大群が押し寄せてくるので、それを味方の支援砲撃で粉砕しつつ、塹壕内で迎え撃たないといけない。


 それがこの新潟戦線の作法だ。


 けど、まだ”来る”予兆もないのであれば、少しは防衛陣地構築に時間をかけられる。


 そして、増援部隊の機械化部隊が来てくれれば、敵の逆襲を阻止できるし、私たちが生き残る可能性も高くなる。


 今日も生き残れる……


「…………」


 津田が、じっと私の顔を見ている。

 いつも通り……のはずが、今日は妙に真剣だ。


「……なによ、なんか私の顔に付いてる?」

「……いや、久しぶりに唯が笑っているところを見た」

「え?」


 そう言われて、自分のほっぺたを触る。

 ……触ってもわからない。


「私、笑ってたの?」

「ああ、久しぶりだ……お前の笑顔を見るのは実に1年11ヶ月ぶりだな」

「そう……か?」


 そう言われて、ふと思い出してみる。


 思えば、訓練所に入ってから笑う事がなくなっていた。

 笑うような状況ではなかった。


 いつも悲しみと憎しみと……




 いや、もはや達観していた。




 もう全てに諦めていた。

 そうすることで精神を安定させていた……


 それなのに、なぜ今笑ったのだろう……


 私は……自分でも不思議だった。


「唯、かわいかったぞ」

「…………っ」


 つい、そんなことを言われて、なんか顔が熱くなる私。

 コイツ、今までそんな言葉言ってこなかったくせに……


「あ、照れた! 唯が照れた! やっほーいっ!!!」

「なっ、お、お前っ! いい加減にしろっ」

「いいじゃん! 減るもんじゃないし、俺は笑ってる唯も好きだぞ」


 減るんだよ、それが。


 私の隊長としての尊厳が!


 あとさり気なく告白すんなし。

 つか、さっきからコイツ、名前の方ばかり呼んでない?


 後で”指導”しとく必要があるか……


 と考えた瞬間——


「唯、愛してる」

「お、お前……」


 こんな敵がいつ来るかもわからん時に告白してくんなよ……つか――


「……まだ戦いは終わってない。なんで今なんだ。今までは——」


 そう、今まで津田はそんな空気が読めない男でもなかった。

 ちゃんとTPOを弁えながら告白して、断っていたのに。


 それが、今日に限って。


 津田は、ほんの少し目を泳がせてから言った。


「あー、ひょっとしたら、アイツらの言葉に毒されたのかもしれないな。恋人もできないまま死んでいくのが嫌って奴を……」

「アイツらって?」

「後輩雑談女子たちだよ。『日本』に【日本】をぶつけるって話した連中」

「ああ……」


 ふと思い出した。


 あの話をされて士気が落ちてしまうと不愉快になった時のことを。


 後悔したくないことを――


 ……私だって、女子だ。


 一度くらいはそういうことを思った。


 憧れていた。


 けど、胸の大きな傷痕が諦めろと諭していた。




 もう女として幸せは掴めないと、生涯の伴侶はこの傷だと、胸にあった”空白”がそう諭していた。


 だから、さっさと私を諦めろと——言おうとしたのに。


「10年だ」

「……はい?」

「10年、待ってくれ。多分10年くらい経ったら俺、きっと渋くなるから! 唯が俺に惚れるような渋いイかしたオッサン面になってみせるから! だから……だから――」


 また珍しく言いよどみながら答える津田。

 その姿は、初めてみる真剣な姿だった。


「まだ未熟な俺と、付き合ってください……」


 頭を下げながら、津田は本気で告白してきた。


 今までこんな真面目な姿、見たことがない。

 それ以上に熱意を私にぶつけてきた。


 そんな津田の想いが私にも伝わってきた……


 ……一瞬、揺らぎそうになった。


 顔が熱くなった。


 本当、顔以外は悪くなかった。そう、顔以外は……


 ……”そういう事”にしていた……


 なのに、コイツはそんな”諦めた”私のことを諦めてくれなかった……


 なぜ?


 なにがコイツを引き立たせるんだ?


 こんな女としての”魅力”を失った私のどこに……


「……私のどこで惹かれたんだ? 私は美人じゃないし、日焼けや火傷で肌は汚いし、髪は痛んでるし、全身傷だらけだ……成長してくれなくて貧相だった胸は重症を負った際に取り除かれて、無くなったし……根暗で頭も悪く、そのせいで、数多くのクラスメイトや後輩たちを死なせた私の……どこに好きになったんだ?」


 今までその理由を聞かなかった。


 聞くのが怖かった。


 諦めていたから……諦めたかったから……


 なのに、こいつは……


「そりゃ、運命だからさ。唯を一目見た時から、好きになった」

「なんだそりゃ」


 その理由は余りにも想定外だった。


 つか運命とかお前は女か。


「それに、好きになった子の容姿や性格とか、気にしない派だ。たまたま好きになった子が、唯なんだから、今の唯も好きだ」

「……………………」


 一瞬、諦めるのを止めようとした。


 こんな私でも、希望を持ってよいと、津田の言葉を聞いて錯覚した。


 嬉しかった。


 けど、素直に受けたらなんか負けな気がした。


 そう私のプライドが邪魔してきた。




 なので――




「……まずは、友だちからだ。正三……」

「えっマジ?! つか、正三って……」

「私だけ名前呼びされるのは好かん……友だちなら、呼びあってもおかしくはないだろ?」

「お、おおおおおおおお! ぃやっっったあああああああああああああああああ!!!!!」


 戦場のど真ん中で、バカうるさく叫ぶ津田……


 いや、正三。


 敵に居場所がバレるし、うるさいから迷惑だったが……なぜか、嬉しく感じた。


 私は今まで散々断り続けてきたのに、なぜか知らないけど、結局津田に負けた。


 とうとう負けた。


 どうやら私は押しに弱いらしい。


 いや、きっと疲れていたから自然と断れずにいたのだろう。


 いや、きっとあの時、雑談後輩女子たちが話してたことが頭に過ぎったからだろう。


 私も死ぬ前に恋したくなったのだろう。


 とすれば、全てあの雑談後輩女子たちが悪い。


 そして、本当に今の津田の顔がタイプじゃないのも悪い。


 ただ、私の好みが渋いイケオジで……


 そして、ふと思った。


 もし共に老いれば、きっと正三は私のタイプになるだろうと思った。


 そう思ったから――


 だから、まずは”友だち”から始めることにした。


 まだ私の”胸の傷跡”を説得するのに時間が掛かりそうだったから。


 ……果たして、本当に諦めることができるのだろうか?


 友だち以上の関係になるのだろうか? 全ては私の気持ち次第だった……




 ただ、今言えるのは、顔なんてどうでもよくなって、なんか津田のことが――


 ほんの少し好きになったくらいだ。


 


 そんな時――


 


「た、立花同志軍曹!」


 休憩で離れていた通信係が、息を切らして駆け戻ってきた。


 甘くほどけかけた頭を、無理やり戦闘モードに引き戻す。


 ……名残り惜しかったけど……仕方が無かった。


「どうした」

「先ほど、中隊本部から通信が入ったのですがっ、途中で通信が途切れました! かけ直しても本部からの応答がありません!」

「貸せ」


 通信係りの背中の通信機から受話器を受け取る。

 私も本部へ通信を試みる。


 ……返事がない。何度繰り返しても、沈黙だけが返ってくる。

 


 

 嫌な予感がした。

 

 ――思えば、静かすぎる。

 見上げる空は、静かすぎた……


 こういった時は、いつも悪い予感が当たった。


「……ジャミングの強度は?」


 通信係りにそう言うと、慌ててジャミング測定器を取り出し、そして、絶望した表情で答えた。


「――0です! 中隊本部のジャミング装置が機能していません!」




 ――まずい。


 アレが動いていないとなると、空からあの”悪魔ども”がやってくる――


 守られていた”空”が開く――


「ゆ、唯!」


 津田の声が刺さる。

 わかってる。わかってるのに——


 私は急いで短距離無線を開いて、叫んだ。


「全小隊! 今すぐ近くの穴倉に隠れ――!?」


 言い終える前に、“それ”が落ちてきた。


 金属の、乾いた音が私の足元で鳴った。


 手榴弾だ。


 それが、近くにいる津田の足元に転がった。


 咄嗟に、身体が勝手に動いた。


「正三っ!」

「え――」


……………………


…………


……




 ――気づいた時には、私は土の上に倒れていた。


 身体が言うことをきかない。

 足に力を入れたつもりなのに、何も返ってこなかった。


 横を見れば、その原因がわかった。



 黒いハイソックスを穿いた私の足が、少し離れた場所に転がっていた。


 ……そして、膝のあたりから、赤いものが滲んでいる。

 

 ——吹き飛ばされたのだと、遅れて理解した。


 頭もぼんやりしてくる……気力も徐々に無くなっていく……



 視界を上へ向ける。


 高い青空と、白い雲。


 ひどく、気持ちのいい快晴だった。


 それが、私が最後に目に映った背景だった――

 

 こんな、快晴な日に死ぬのも、悪くないと思った。


 痛みが遠のいて、眠気だけが増していく。




 ああ、もう思い残すことは……何も――




「唯! 唯いいいいいいいいいいいいいい!!!」

 

 ……うるさい。


 せっかく静かに逝けると思ったのに。


 うるさくて死ねない……


 痛みも一瞬蘇ってくる。かなり痛い……


 薄ぼけた視界の端に、見慣れた顔が飛び込んだ。


 私は、そいつの名を呼ぶ。


「津……田……?」

「あ、ああ! 俺だ!津田だ!」


 そいつがそんなことを言ってくる……


 言ってるけど、何を言ってるのか、わからなかった……


 わかってるのは、もう私は助からないこと……それだけはわかっていた……


 ……なにか、遺されるコイツに、言ってやらねぇと……


 事切れる前に、なにか……遺さねぇと……


 残される……コイツが可哀想だ……




 まだ生きてるコイツが……




 ……好き? 


 なんか嫌だ……恥ずかしくて……


 ……部隊は? 


 いや、もうそんなことはどうでも、いっか……


 ……あ、思い出した……


 言うべきこと……あの約束、守ってくれるかな……




「……津田」

「待ってろ! 今すぐ衛生兵を呼んでくるから、衛生兵! 衛生――……唯?」


 最後の力を使って、奴の腕を掴む……まったく、コイツは……


「……津、田……」

「……っ、唯……!」


 言葉が途切れ途切れになる。

 それでも、伝えたいことだけは決まっていた。


「……立花……の名、もらって……くれ…………」

「……唯? 唯! ゆ―――……」




 ……そこで、私の意識は、事切れた。


 最期に見えたのは――



 高い青空、白い雲。


 それから、忌々しい”蚊”みたいな影――無人機みたいな影と――


 初めて好きになった男の、泣き顔……――


 その顔を見た時、なんだか、痛みが無くなっていくような感じがした――




 胸に刻まれた傷痕の痛みは、もう……――――




―――――――――――――――――――――――――――――――――


司令部報告書


日本★赤軍第1愛知方面軍”臨時新潟派遣軍団”

第925神戸学徒師団第3垂水連隊霞ヶ丘大隊第”99”中隊第2小隊


命令に従い、ユニオン軍第一防衛線の一部塹壕の奪還に成功するも、

敵の逆襲及び航空投下攻撃に遭い撤退。


生存者1 戦死者1 行方不明36

※遺体回収不能者は行方不明として処理。


新潟戦線異状なし、それ以外に報告すべき件なし。


                        




※完

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新潟戦線異状なし ――私たちの進学先は、戦場でした……鉄と血と制服と―― 御伽草子913 @raven913

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