第2話 捨てられる大根の皮と、0円の絶品かき揚げ


​ 厨房は戦場だ、なんて使い古された表現だが、割烹『道草寄り道回り道』のランチタイムには、それ以外の言葉が見当たらない。


​「おい律子! 盛り付け遅いぞ!」


「すみません!」


「揚げ場、油が足りないぞ! 倉庫から油、持ってこい!」


「はいっ!」


​ 怒号と蒸気、そして出汁の香りが充満する十坪の空間。私は一番下っ端の「追い回し」として、皿洗いから野菜の下処理まで、目が回るような速さでこなしていく。


 けれど、私の目は見てしまった。

 まな板の向こうで、大将の源さんが大根を桂剥きにしている手元を。


​ シュッル、シュッル、シュッル、……


 リズム良く切り出される大根の皮。

 白い宝石のような中心部分を使うために、皮はかなり厚めに剥かれている。この店では「口当たりが悪くなる」という理由で、皮やその周辺の身は容赦なく廃棄される運命にある。

 源さんは、その山のような皮を、無造作に足元のゴミ箱へ放り投げようとした。


​「あっ!」


​ 思わず、声が出た。

 源さんの手が空中で止まり、ギロリと私を睨む。


​「……あんだよ、律子。手が止まってんぞ」


「あ、あの、大将。その皮……捨てちゃうんですか?」


「当たり前だろ。ウチはウサギ小屋じゃねえ。

客から金取って出す料理に、硬い皮なんか使えるか」


「でも……まだ綺麗だし、食べられます。もったいないです」


​ 言ってしまった……瞬間、厨房の空気が凍りつく。

 源さんは手に持っていた大根の皮をまな板に叩きつけた。


​「もったいねえ? 貧乏くせえこと言ってんじゃねえぞ。ここは割烹料理屋だ。最高の部分だけを出すのがプロの仕事だ」


「でも、食材への敬意もプロの仕事だと思います!」


​ 私だって引かなかった。

 実家から送られてくる野菜がどれだけ大切に育てられているかを知っているし、何より今の私の経済状況からすれば、その大根の皮一山で三日分の食費が浮く。

それがゴミ箱行きだなんて、食材に対する冒涜であり、私に対する挑発だ。

 源さんは鼻で笑った。


​「威勢だけは一人前だな。……いいだろう」


​ 源さんはあごで「ゴミ(と彼が呼ぶもの)」の山をしゃくった。


​「今日の夜、予約が一組キャンセルになった。手が空いたからな、今日の『まかない』はお前が作れ。ただし、食材はその『ゴミ』だけだ」


「えっ?」


「俺を唸らせるもんが作れたら、その貧乏臭い口、二度と叩けないように塞いでやるよ。作れなかったら──来月から皿洗い専属だ」


​ これは、処刑宣告か、それともチャンスか……

 私は拳を握りしめ、大きく頷いた。


​「……やります。後悔しないでくださいね」



​ ◇



​ ランチ営業が終わり、夜の仕込みまでのわずかな休憩時間。

 私の目の前には、厚めに剥かれた大根の皮の山。そして、刺身のツマとして用意されたものの、余ってしまった大葉と人参の切れ端がある。

 材料費、正真正銘のゼロ円。

 これを、頑固親父の舌を唸らせる一品に変える。


​「大根の皮は繊維が強くて硬い。煮物にしても筋が残る……なら」


​ 私は包丁を握り直す。


 トントントントントン!


 軽快なリズムと共に、大根の皮を繊維に沿って極細の千切りにしていく。人参も同様に。

 ボウルに入れたそれらに、塩をひとつまみ振って軽く揉む。


 これが最初のポイントだ。


 塩の浸透圧で余分な水分を出し、繊維を柔らかくする。これをサボると、揚げた時にベチャッとした仕上がりになってしまう。

 五分ほど置いて水気をしっかり絞ると、かさは減ったが、大根の香りが強くなった気がした。

 そこに、粗く刻んだ大葉をたっぷりと混ぜ込む。


 つなぎは、小麦粉だけじゃない。片栗粉を三割ほど混ぜる。そして、必ず「冷水」で溶くこと。

 衣をまとわせた野菜の塊を、百七十度の油へ静かに滑らせる。


​ ジュワァァァ……ピチピチピチ……


​ 油の中で、野菜たちが踊る。


 大根の皮は加熱されることで甘みを増し、大葉は香りを放つ。

 泡が小さくなり、音が軽快な「カラカラ」という音に変わったら、引き上げ時だ。


​「お待ちどうさまでした」


​ 私は揚げたてのかき揚げを、天紙を敷いた皿に乗せて源さんの前に出した。

 横には、冷蔵庫の隅で忘れ去られていたカボスを半分に切って添える。


​「……フン、見た目は一丁前だな」


​ 源さんは疑わしげな目で箸を伸ばした。

 天つゆはない。塩とカボスだけで食わせる、素材勝負だ。


 かき揚げを持ち上げ、ガブリと齧り付く。


​ サクッ。


​ 厨房に、いい音が響いた。


 私は固唾を飲んで見守る。


 源さんの咀嚼そしゃくが続く。

サクサクという軽快な歯ごたえの奥から、大根の皮特有の強い甘みと、大葉の爽やかな香りが鼻に抜けていくはずだ。


 皮だからこそ出せる、力強い食感と風味。

これは、白い身の部分では絶対に出せない味だ。

​ 源さんは無言のまま、二口、三口と箸を進めた。

 そして最後の一口を平らげ、茶をすする。

 長い沈黙の後、源さんは私を見ずに、ボソッと言った。


​「……皮っつうのは、身を守るために一番栄養と旨味を蓄えてる場所だ。昔の職人は、それを知ってた」


「えつ?」


「悪くねえ。……酒が欲しくなる味だ」


​ それは、源さんなりの最大の賛辞だった。

 心の中でガッツポーズをする。勝った。ゼロ円食材で、三ツ星の舌に勝った!


​「律子」


「は、はい!」


「明日の夜から、突き出し(お通し)を一品、お前が考えろ。原価はかけるなよ。今日みたいに、頭と腕を使え」


​ 源さんはぶっきらぼうにそう言うと、タバコを吸いに勝手口から出て行った。


 残された皿は、綺麗に空っぽになっていた。


​ 私は熱の残るコンロの前で、小さく震えた。


 皿洗い専属回避、どころか、料理人としての第一歩だ。


 「お金がない」「良い食材がない」と嘆くのは簡単だ。でも、工夫次第で「ゴミ」は「宝」になる。


 それはきっと、今の私の人生も同じだ。


​「……よしっ!」


​ 私は自分用のまかないとして残しておいたかき揚げを、つまみ食いした。

 揚げたての大根の皮は、驚くほど甘く、そしてちょっぴり涙の味がした。



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