今日は日曜日だから

江藤ぴりか

今日は日曜日だから

 カチ、コチ、カチ――。

 時計の秒針は乱れることなく、この部屋の時間を刻んでいる。


 もう半年になるのか。

 私は新卒で入った会社で、ひどく疲れ、今は求職中という立場だ。

 ハローワークでは求人票を眺め、仕事を探す〝フリ〟を続けている。


「もうすぐ朝か。洗濯とついでにシャワー浴びよ……」

 二週間分の汚れを落とす。


 思い出したくもない、職場での言葉がシャワーとともに脳内に再生された。

「なーんでこんな簡単な仕事も出来ないわけぇ?」

「高木さんには、できないよね? 同期はもう成績で貢献しているのに、君はミスが多いし、愛想も悪い」

「てか、ブスのくせに仕事すら出来ないとか、終わってんな」


 私はブスで愛想もなくて、仕事も出来ない。

 だから頼まれた仕事は自分なりに一生懸命、やってきた。無休残業で。

 それでも評価はされず、私のデスクからはペンや資料が消えていく。

 いじめだと気づいた時には、私の心は壊れていた。


 洗濯機が仕事を終え、アラームで知らせてくれる。

 六畳一間のワンルームは洗濯をしながらドライヤーは使えない。

 ブレーカーのオヤジさんが容赦なく、電気を止めるからだ。


 私は、鏡の前で髪を乾かす。

 温風が熱いと感じながら、このあとの家事の事を考えると、億劫に感じてしまう。

 退職後に伸びた髪は美容室で……なんて気力も沸かない。

「お仕事、なにされてるんですかー?」

「無職です」

「…………」

 こうなるのがオチだ。


 洗濯物、干さなきゃな。部屋着に着替えた私は埃っぽい自分の城を眺める。

 なにもかもを放置した、雑然とした部屋は教えてくれない。

 貯金や退職金がなくなったら? 鼻で笑うハロワの職員さんの顔が妙にちらつく。

 この部屋で私は朽ち果てていくのだろうか。



 その時だった。

 ピンポーン、ピンポーン。

 インターフォンの嵐が静寂を切り裂いた。

「え、朝七時に宅配さん? ウーバー?」

 違うことは分かっている。

 聖域のドアを開けたら、私は変わることができる?

 押しかけ強盗なら私を殺してくれるのかしらと、玄関に向かい、確認もせずにドアを開ける。

 そこには見知った、懐かしい顔があった。


「おは。みなと、生きてる? 海、行こうよ」

 ――サキだ。

「え、えっ。な、んで、ここに? うみ?」

 サキが強引に部屋に押し入る。

「あー! 会社辞めてから元気してるかなって。てか、お腹空かない? 朝マックとか食べに行くよ」

「ちょ、いきなり……マック?」

 サキが手際よく、私の服を見繕い、着替えるように急かす。

「ほら、ハリアップ、ハリアップ! 湊ん家って無駄に都会に住んでるから、早朝でもご飯食べれるのいいよね。ウチ、郊外だからどこも開いてないんよ」

 職場に近いから住んでるだけで、好き好んでここに住んでる訳じゃない。


 サキは高校時代からの友達だ。

 見ての通り、行動的で暗い私とは正反対だ。

 ……なんで友達なんだっけ?

 そうだ、サキの「友達百人計画」の一環で、私も巻き込まれたんだった。


 サキは明るい茶髪、ビタミンカラーのTシャツ。

 私は黒髪ボブにオーバーサイズのパーカーをフードを被って閉じこもっている。

 こんなにも対照的なのに、いつもサキが声をかけてくれたんだ。


「あ、似合うじゃん。湊は清楚な感じがいいよね」

 ふんわりとしたブラウスに、テーパードパンツ。

 サキコーデのこの服装は、通勤の時によく着ていたものだ。

「……あの時、勧めてくれたやつじゃん。お気に入りだから、着てたけど、もう……」

「えー、もう辞めたんでしょ? なら関係なくない?」

 私の腕を掴み、玄関に走る。

 面倒だなって思っても、私は動いてしまう。

 カチャリと彼女の大ぶりのアクセが鳴る。日焼けした肌が私には眩しすぎた。



「サキは今、ダイバーのインストラクター、しているんだっけ」

 連れ出されたマックの店内。マフィンを口いっぱいに頬張る彼女に、聞いてみた。

「ふぉーだよ。やっぱ、海好きだから」

 モゴモゴ、食べるかしゃべるかどちらかにしてほしい。

「なんで、いきなり来たの?」

 親指で口元をぬぐい、私に向き直った。

「え、なんかFBで会社辞めたって書いてたじゃん。ウチ、さっきそれを見てさ、なんか来ちゃった」

 屈託のない笑顔で言うもんだから、私はなにも言えなくなる。

 FBに投稿したのって、確か半年前なんだけど……。

「やっぱ忙しいんだ。大学ではどうしてたの?」

 サキは上を見上げ、考え込んでいる。

「んー? いつも通り、かな。湊は高卒入社だよね。すごいよ」

 私もマフィンをひとくち食べてみる。不思議とおいしいと感じた。


 高校卒業後、私は就職、サキは進学の道を選び、それから連絡が途絶えていた。

「んじゃ、駐車場行こっか」

「? 駐車場って……」

「いーから、いーから!」

 あれよあれよと言う間に、サキの愛車を紹介される。

「タターン! FJクルーザーのかわい子ちゃん『バナナ』ちゃんだよ!」

 濃い黄色の車体にゴツい体格。丸めの顔がサキらしい車だった。

「ささ、乗って乗って」

 助手席に乗るのにタラップがあるなんて……。席に着き、シートベルトを締めると、視界がひらけた。

「うわ、すごい」

 視線が、高い。男の人より高いんじゃないのかな? そのくらい、地面が遠くて、見渡せる。


「さてと。ウチのお気に入りの曲、かけるかんね? ここではウチを王様と呼びなさい」

 腰に手を当て、偉そうに振る舞うサキ。

「ははっ、なんなりとお申し付けください、王様」

 高校時代のようにノッてみる私。

 この場だけは、私たちは高校生だった。


 EDMがドライブのお供なのか、耳が壊れそうなほど大音量だ。

「サキ、車買ったんだね!」

「え? うん、大学の時に貯めたお金で奮発したんだ」

 ビートを刻む音量に負けないよう、会話する。

 あいかわらず、サキだ。

 すごいよ、だって嫌な思い出もかき消してくれるんだもん。


 窓の外にはもう海が見える。

 彼女が好きな広い海。

「どこまで行くの?」

「んー、てきとうに砂浜に降りれるとこかな?」

 この王様、テキトーだけど、目が離せない。



 バナナちゃんが駐車場で停まる。

「? どした? 早く、降りよ」

 私はまだ決心できない。

「やっぱり、まだ……」

「まだじゃないでしょ、今踏み出さなきゃ」

 運転席から降りたサキが、助手席のドアを開けて私に手を伸ばす。

「今日は日曜日。湊が外に出ても大丈夫なんだよ」

 ジャラジャラのブレスレットが私を連れ出した。


 平日じゃないから人目なんて気にしなくていい。

 それに海開き前だから人もいない。

 潮風が私に教えてくれた。


 地元の人だろうか。犬を散歩させている人が「こんにちは」と声をかけてくれた。

「かわいいワンコですね! ほーら、よしよしよし!」

 サキは持ち前の人懐っこさで地元の人と会話をしている。

 見ているだけの私に、飼い主さんは声をかける。

「お友達と旅行ですか? いいとこでしょう」

 私に対しての問いだ。

「……ええ、この子の車で突発的に来たんですよ」

「へぇ、いいお友達ですね。可愛らしいお嬢さんたちを見てるとこっちまで若返りそうだ。ショコラも嬉しそうだし」

 おじいさんは目元のシワを緩めて、ショコラちゃんに話しかけた。

「ほら、お姉ちゃんたちに会えてよかったね、ショコラ」

「えへへ、ショコラちゃんかぁー。かあいいねぇ」

 サキも顔が緩みきっている。

 つられて私も笑顔になる。


「あ、触っていいか聞かなくてごめんなさい。サキ、飼い主さんに聞かなきゃダメでしょ」

「いいの、いいの。この子、人が好きな子だからね。よかったら、お嬢さんもショコラを撫でてやって」

「ありがとうございます」

 私はしゃがんで、ダークブラウンのトイプードルにあいさつをする。

 拳を作り、鼻のそばに置く。ニオイで敵意がないことを示す。

「湊、この子懐っこいよ! 早く撫でてあげなよ」

「もう、サキは遠慮がないんだから。まずはこうしてワンコさんにあいさつしなきゃ、びっくりするでしょ!」

 飼い主のおじいさんは私たちのやり取りを見て、クスリと笑った。

「おやおや、黒髪の子はやさしいね。ほんとにいいお友達だ」

 なぜかサキが照れている。私も顔が熱くなっていく。

「いやぁ、この子ね、今悩み事抱えてまして。だからウチが連れ出したんですよー」

 無職だって言わないところに優しさを感じる。

 ショコラちゃんは満面の笑みで私に撫でられていた。

「おや、そうなのかい? んじゃ、海を見て気晴らしするといいよ。ほら、ショコラ、お姉さんたちにバイバイしなさい」

 ワンコとおじいさんに別れを告げる。


「砂浜に行こっか」

 私はまた立ち止まってしまった。

 でも、おじいさんも言ってたじゃない。海でも見て気晴らせって。

「サキ、私ね――」

「おお、巻き貝みっけ! こっちはキレイな二枚貝!」

 今までの辛かったことを吐露しようとしたら、サキは貝殻集めに夢中になっていた。

「まったく、サキはサキなんだから……」

 私は自然と砂浜に足を踏み出していた。

 そうだ、今は海を見ていよう。未来に悲観するのはまたの今度。


「わー、湊! 裸足でも冷たくないよ!」

 ちょっと目を離した隙に、サキは靴を脱ぎ捨てていた。

「えっ、まだ五月だよ?」

「けっこう、あったかいよ! 湊も脱ぎなよー」

 後のことを考えると、砂が靴下に入ったら大惨事になるのこと間違いなし。でもサキはそんなこと、気にしてない。

「サキー! ちょっと待ってよ!」

 私も靴と靴下も脱いで追いかける。

 ホントだ。あたたかくて、気持ちいい。

 運動不足の足は、うまく動けない。べチャリと転んで、顔に砂がついた。

「あっはっは! 湊、だいじょーぶ?」

 日焼けした彼女の肌にジャラジャラブレスレット。

 私はその手を握り返して、砂を払う。

「だいじょーぶ、だよ。もう、吹っ切れたから」


 私とサキは夕方まで海で遊んだ。

 砂浜に並んだ二人の影が長く伸びている。

 そういえば、洗濯機に置いたままの状態だった。

「明日、洗濯物干そうかな」

 夕日が眩しくてサキの顔はよく見えない。

「そうしてあげて」

 横顔がまた言葉を続ける。

「海だって荒れる日もあるからさ。湊も今は時化しけてるだけだよ。やれることをやろ」


 そうだ、悲観しないように今、できることをやろう。

「わかった。ありがと、サキ」

 私の言葉に返事はなかった。

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今日は日曜日だから 江藤ぴりか @pirika2525

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