破(第2話):『設計された呪い』
翌日。放課後。
「あの子だ」
駅前のカフェ。ガラス越しに、女子高生が一人で座っているのが見えた。制服は違う学校のもの。手元のスマートフォンを、何度も何度も確認している。
「間違いない。あの子、すっごい〝視える〟」
「……どんな風に」
「影が濃い。普通の人の三倍くらい。それに、文字がちらちら浮いてる」
心音は平然と言った。
「話、聞いてくる」
「待って。私が──」
「大丈夫大丈夫」
心音はひらひらと手を振って、カフェに入っていった。
止める間もなかった。
千鶴は舌打ちを噛み殺して、少し離れた席に座った。
「ねーねー、ちょっといい?」
心音の声が聞こえる。
「……えっ、何?」
感染者の少女──仮に「A子」としよう──が顔を上げた。目の下にクマがある。顔色も悪い。
「あのさ、変な質問なんだけど」
心音がにっこり笑う。人懐っこい、警戒を解く笑顔。
「最近、変な投稿見なかった? 拡散しないと死ぬ、みたいなやつ」
A子の肩が跳ねた。
「な、なんで……」
「いや、私も見ちゃってさー。気になって」
嘘だ。心音は見ていない。でも嘘に聞こえない。
「……見た」
A子の声が震えていた。
「見たけど、回さなかった。だって馬鹿馬鹿しいし、迷惑だし」
「だよねー! 私もそう思う」
「でも……」
A子がスマートフォンを握りしめた。
「……声が聞こえるの」
心音が首を傾げた。
「声?」
「『拡散しろ』って。ずっと。頭の中で。寝ても覚めても」
A子の目が、どこか
「最初は気のせいだと思った。でも昨日から、文字が見えるようになった。壁とか、天井とか、どこにでも。『拡散しろ』『拡散しろ』って」
「それ、やばいね」
「……っ」
A子が笑おうとした。でも、笑えなかった。
「やばいよね。私、おかしくなっちゃったのかな……」
「おかしくなってないよ」
心音が言った。真剣な目で。
「それ、本当にいるから」
A子の顔が
「……え?」
「怪異っていうの。言葉が化け物になったやつ。あなたのせいじゃない。あなたは悪くない」
「何、言って」
A子が立ち上がろうとした。
その時、千鶴は視た。
A子の背後。影の中から、何かが
文字だ。
『拡散しろ』
『拡散しろ』
『しなければ』
「遊佐さん!」
千鶴が叫んだ。
心音が振り返る。同時に、A子の体がぐらりと傾いた。
「──あ」
A子の目が閉じる。崩れ落ちる。
心音が
「ちょ、嘘でしょ」
「──四人目だ」
千鶴が駆け寄る。
A子は意識を失っていた。呼吸はある。でも、何を呼びかけても反応がない。
昏睡。
「くっ……遅かった」
千鶴が歯を
心音はA子を抱えたまま、顔を上げた。
「……千鶴」
「なに?」
「あいつ、笑ってた」
「……笑ってた?」
「怪異。A子ちゃんを喰った時、笑ってた」
心音の目が、真剣だった。
「すっごい、嬉しそうに」
◇
救急車を呼んだ。
A子は病院に運ばれた。医者には原因がわからないだろう。でも、そうするしかなかった。
「……最悪」
カフェを出て、千鶴は呟いた。
「目の前で、四人目を出した」
「千鶴のせいじゃないよ」
「私のせいだ。もっと早く動いていれば」
「だから──」
「遊佐さん」
千鶴が振り返った。
「お願い。今は、黙ってて」
心音は口を閉じた。
千鶴の目が、冷たかった。怒っているのではない。自分を責めている。その冷たさだ。
「……ごめん」
「謝らないで」
千鶴はスマートフォンを取り出した。
「やることをやる。後悔は、終わってから」
画面を操作する。SNSの投稿を
「何してるの?」
「起点を探してる」
「起点?」
「どんな怪異にも
千鶴の指が止まった。
「……見つけた」
画面には、あのアカウントが表示されていた。
フォロワーゼロ。フォローゼロ。アイコンなし。投稿は一件だけ。
「遊佐さん。このアカウント、どう思う?」
「どうって……普通に怪しいけど……」
「怪しいだけじゃない。存在しないんだ」
千鶴が画面をスクロールする。
「アカウント作成日は十日前。でも、それ以外の活動が一切ない。いいねもない。
「それって」
「人間なら、何かしら
千鶴は画面を見つめた。
「最初から、人間じゃない。このアカウント自体が、怪異の一部」
「えっと……つまり?」
「言葉が先にあったんだ」
千鶴が言った。
「普通、怪異は人間の感情から生まれる。恐怖、不安、罪悪感。それが積み重なって、形になる。でもこいつは違う」
風が吹いた。冷たい風。
「『拡散しなければ死ぬ』という言葉が、最初から設計されていた。人間の恐怖を喰うために、最適化された呪文として」
「設計……」
「拡散されるほど信じる人間が増える。信じる人間が増えるほど恐怖が生まれる。恐怖が生まれるほど怪異は肥大化する。そして肥大化した怪異が、拡散しなかった人間を喰う」
千鶴はスマートフォンをしまった。
「完璧な循環。完璧な捕食構造。こんなもの、自然発生するはずがない」
「じゃあ、誰かが作ったの?」
心音が聞いた。
千鶴は答えなかった。
答えられなかった。
「……わからない。でも、いる。この怪異を設計した誰かが」
夜の街を見渡す。
どこかで、誰かが見ている。そんな気がした。
「今は、目の前の怪異を祓う。それが先」
「うん」
「起点は特定した。あのアカウントの最初の投稿。あの言葉を断てば、連鎖は止まる」
「どうやって?」
千鶴は右手を見た。
影が、揺れている。
「──斬る」
静かに、言った。
「言葉を、斬る」
◇
夜。あのアパートに、戻ってきた。
「やっぱり、ここなんだ」
心音が呟いた。
建物全体が、瘴気に包まれていた。昨日よりも濃い。昨日よりも、重い。
「四人喰って、さらに肥大化した」
千鶴が呟く。
「起点の投稿がここから発信されてる。このアパートの、二階」
「昨日の窓だね」
「ええ。あそこに、核がある」
千鶴は階段を見上げた。
「私が先に行く。遊佐さんは──」
「私も行く」
「遊佐さん」
「千鶴一人で行かせない」
「危険だ」
「知ってる」
心音が笑った。
「でも、私にしか視えないものがあるでしょ。千鶴の目になるよ」
「……っ」
千鶴は何か言おうとして、やめた。
「……絶対に、私から離れないで」
「うん」
二人で、階段を上がった。
二階。廊下。一番奥の部屋。
ドアは、開いていた。
「……いる」
心音が
「いっぱい、いる。言葉が、渦巻いてる」
一歩、踏み込んだ。
『拡散しろ』
瞬間、声が襲ってきた。
『拡散しろ』『拡散しろ』『拡散しろ』
無数の声。無数の言葉。壁を埋め尽くす文字の
部屋の中央に、それはいた。
『拡散しなければ死ぬ』という文字が、
「心音! 下がっ──」
振り返った時、心音は立ち尽くしていた。
目が、虚ろだった。
『拡散しろ』
声が、心音を包んでいた。
「拡散、しなきゃ」
心音が一歩、核に向かって歩き出した。
「駄目……拡散しないと……」
「心音!」
千鶴は走った。心音を抱きしめる。引き戻す。
「離して、千鶴。拡散しないと。しないと、死んじゃう」
「違う! それは嘘だ!」
「嘘じゃない。だって、聞こえるもん」
心音の目が、千鶴を見た。虚ろで、空っぽで、恐怖のない目。
この子には、警戒心がない。だから恐怖もない。恐怖がないから、呪いを「正しい」と受け入れてしまう。
「心音。聞いて。私の声を聞いて」
「千鶴……」
「私がいる。ここにいる。だから、大丈夫」
「……ちづる」
心音の目に、少しだけ光が戻った。
「……怖い」
「怖くていい」
千鶴は心音を抱えたまま、部屋の外へ出た。廊下に下ろす。
「ここにいて。絶対に動かないで」
「千鶴……?」
「終わらせてくる」
千鶴は立ち上がった。
部屋の中で、怪異が蠢いている。『拡散しろ』という声が、まだ響いている。
スマートフォンを取り出した。
画面を見る。起点のアカウント。最初の投稿。
『この文章を24時間以内に拡散してください。しなければ、あなたは死にます』
これが、核だ。
この言葉を断てば、連鎖は止まる。
「千鶴」
背後から、心音の声。
「一人で、行かないで」
「……大丈夫」
千鶴はスマートフォンをしまった。
振り返らなかった。振り返ったら、決意が鈍る。
「私は、怖くないから」
怖くない。怖いと思えない。
それが今だけは──救いだった。
千鶴は部屋に踏み込んだ。
右手を、己の影に沈める。
「──
次の更新予定
2026年1月3日 18:05
欠落少女の怪異解体録 浅沼まど @Mado_Asanuma
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