欠落少女の怪異解体録

浅沼まど

序(第1話):『「拡散しなければ、死ぬ」』


「拡散しなければ死ぬ」


 その言葉が、本当になった。

 廻戸めぐりと古物店こぶつてん。雑居ビルの三階、看板も出していない怪しげな店。ほこりっぽい棚には曰くありげな品々が並び、奥のソファには女子高生が二人、当然のように居座っていた。


「──というわけで、三人目が出ました」


 店主の廻戸めぐりとさくが、欠けた湯呑みを傾けながら言う。三十代前半、着崩したシャツに安物のジャケット。胡散臭うさんくさい笑みを顔に貼り付けたまま、深刻な話を世間話のように語る男だった。


昏睡こんすい。原因不明。医者はお手上げ。ああ、お茶いる? 賞味期限は気にしない方針で」

「いらない」


 黒髪の少女──祓部はらえべ千鶴ちづるが、静かに断る。


「私はもらうー。あっ、この煎餅せんべえも!」


 金髪の少女──遊佐ゆさ心音ここねが、手を伸ばす。


「心音ちゃんは遠慮がなくて助かるねえ。千鶴ちゃんも見習ったら?」

「……本題」

「はいはい」


 廻戸がスマートフォンを取り出し、画面を見せた。SNSの投稿。


『この文章を24時間以内に拡散してください。しなければ、あなたは死にます』


「チェーンメール系かあ。古典だね~」


 心音が煎餅をかじりながら言う。


「古典だから効くんだよ」


 廻戸が湯呑みを置いた。


「怪異ってのは骨董品こっとうひんと同じでね。古いほど価値が出る。いや、価値っていうか、重み? 何百年も人が怖がってきたものは、それだけで力になる」


 指を一本立てる。


「でもこいつは逆。新しいのに、強い。拡散されるたびに信者が増えて、信者が増えるたびに怪異が肥大化する。ミーム型っていうんだっけ、最近の言い方だと」

「SNS時代の呪い」


 千鶴が呟いた。


「そうそう。時代に最適化された呪い。厄介だよねぇ」


 廻戸は笑っている。まるで珍しい骨董品を見つけた時のような、値踏みするような目で。


「で、依頼は?」

「二人目の昏睡者の妹さんから。姉を助けてほしいって」


 カウンターに封筒を置く。


「報酬はこれ。まあ、僕は仲介するだけだから。成功しても失敗しても手数料はいただくよ。命で払ってもらっても構わないけど──冗談冗談、そんな怖い目しないで千鶴ちゃん」


 千鶴は封筒を見なかった。


「場所」

「最初の昏睡者の自宅周辺。拡散の起点に近いはずだ」


 千鶴が立ち上がる。心音も煎餅を口に放り込んで跳ね起きた。


「あ、そうだ」


 廻戸が、思い出したように言う。


「この怪異、ちょっと形が良すぎるんだよね」

「……形?」

「拡散パターン、感染速度、発症条件。綺麗きれいそろいすぎてる。まるで誰かが設計したみたいに」

「設計?」


 心音が首を傾げる。

 廻戸は肩をすくめた。飄々とした笑みが、一瞬だけ消えた。


「怪異ってのは本来、もっといびつなものなんだよ。人の感情から生まれるんだから。──まあ、考えすぎかもね」


 湯呑みを持ち上げる。


「気をつけて。死んだら報酬もらえなくなるから」

「……行くよ」


 千鶴がドアに向かう。


「いってきまーす、朔さん」

「はいはい。お土産よろしく」


 心音が手を振る。廻戸も軽く手を振り返した。

 夜の空気が流れ込む。

 欠けた少女たちは、街へ踏み出した。

 廻戸は一人、湯呑みを傾けた。


「──綺麗すぎるんだよなあ」


 誰にも聞こえない声で、呟いた。


          ◇


 夜の街を歩く。

 心音が半歩前を行き、千鶴がその後ろを歩く。いつの間にか、そういう形になっていた。


「ねーねー、ちーちゃん」

「……その呼び方やめて」

「えー、可愛いのに」

「可愛くない。あと、遊佐さん」

「私のことは心音でいいって言ってるじゃん」

「……」


 千鶴は答えなかった。心音は気にした様子もなく、くるりと振り返って後ろ歩きを始めた。


「今回のやつってさ、チェーンメールの進化版みたいなもん?」

「似て非なるもの」

「ほうほう」

「チェーンメールは、人間の悪意や悪ふざけ。でもこれはもう、人じゃない」

「お、かっこいい言い方」

「茶化さないで」

「茶化してないよー。感心してるの」


 心音が笑う。その笑顔には、翳りがない。

 これから怪異に会いに行くというのに。


「──遊佐さん」

「ん?」

「怖くないの?」


 心音は首を傾げた。本当に意味がわからない、という顔で。


「なにが?」

「……いい。何でもない」


 千鶴は視線を逸らした。

 怖くないのだ、この少女は。怖いと思う機能が、壊れているから。


──私も、同じだけど。


 千鶴は自分の手を見た。

 これから怪異と対峙たいじする。もしかしたら、傷つくかもしれない。最悪、死ぬかもしれない。

 なのに、心臓はいでいた。

 恐怖がない。奪われたから。

 静かで、空っぽで、凍りついたような心。それが今の祓部千鶴だった。


「あ」


 心音が足を止めた。


「どうしたの?」

「……いる」


 心音の目が、路地の奥を見ていた。

 暗い。街灯の光も届かない、黒々とした闇。

 普通の人間には、何も見えないはずだ。

 でも心音には見える。怪異の気配が。


「こっち」


 心音が歩き出す。迷いなく、まっすぐに。


「待って」


 千鶴が腕を掴んだ。


「偵察が先。いきなり突っ込まない」

「えー、でもすぐそこだよ?」

「だから」


 心音は不思議そうな顔をした。

 この少女には、〝警戒けいかい〟という概念がない。危険を危険と認識できない。だから怪異に近づける。だから、いつも危なっかしい。


「私が先に行く。遊佐さんは後ろ」

「はーい」


 軽い返事。心音はにこにこ笑っている。

 千鶴は小さく息を吐いた。


──この子を、守らなきゃ。


 あの日、私が巻き込んだから。

 私のせいで、この子はこうなったから。

 路地の奥から、何かの気配が漂ってくる。

 冷たい。重い。そして──言葉の匂いがする。


「行くよ」

「うん」


 欠けた二人は、闇の中へ足を踏み入れた。


          ◇


 路地を抜けると、古いアパートがあった。

 最初の昏睡者が住んでいた場所。築三十年は超えているだろう、びた階段とげた塗装。街灯の光が届かず、闇が濃い。


「うわ! 雰囲気ふんいきあるねえ」


 心音が呟いた。怖がっているわけではない。ただの感想だ。


「……静かすぎる」

 

 千鶴がスマートフォンを取り出した。画面の光が、白い顔を照らす。


「何してるの?」

「拡散パターンを追ってる」


 SNSの投稿をさかのぼる。リポスト、引用、スクリーンショット。呪いの言葉は枝分かれしながら広がっていた。


「最初の投稿は、十日前」

「十日で三人?」

「最初の一人が倒れるまで七日。二人目は二日後。三人目はその翌日」

「加速してる」

「拡散されるほど、力が増してる。だから間隔が縮まる」


 千鶴は画面をスクロールし続けた。投稿の流れを遡り、源流を探す。


「起点のアカウント……これか」


 一つのアカウントに辿り着いた。

 フォロワーゼロ。フォローゼロ。アイコンはデフォルト。投稿はたった一件。


『この文章を24時間以内に拡散してください。しなければ、あなたは死にます』


「……おかしい」


 千鶴が呟いた。


「何が?」

「このアカウント、投稿以外の痕跡がない。プロフィールも空。まるで最初から──」

「人間じゃないみたい?」


 心音が笑った。冗談のような口調だった。

 千鶴は笑わなかった。


「……そうかもしれない」


 風が吹いた。生温い、嫌な風。

 心音の表情が変わった。


「──千鶴」

「わかってる」


 空気が変わっていた。

 さっきまでは「残り香」だった。怪異がいた痕跡こんせき。でも今は違う。

 濃い。近い。


「いる」


 心音がささやいた。

 その瞳が、アパートの二階を見上げていた。窓は真っ暗だ。でも心音には視える。


「あそこ。うじゃうじゃしてる」

「うじゃうじゃ?」

「言葉がね、うごめいてるの。『拡散しろ』『拡散しろ』って。すっごい量」


 心音は一歩、前に出た。


「近づいてみよっか」

「待って」

「大丈夫だよ、ちょっと見るだけ──」

「遊佐さん!」


 千鶴が腕を掴んだ。強く。


「……っ」

「見るだけじゃ済まない。向こうも、こっちを見てる」


 千鶴はアパートを見上げた。

 二階の窓。真っ暗だったはずの窓に、何かがいた。

 顔ではない。形すらない。ただ、文字の羅列が蠢いていた。


『拡散しろ』


 声が聞こえた。


『拡散しなければ』

 

 頭の中に、直接響く。


『死ぬ』

「──っ」


 心音の体が強張った。


「……聞こえた?」

「うん。聞こえた」


心音が笑った。でも、いつもより少し顔が青い。


「やばいね、これ」

「……ええ」


 千鶴はスマートフォンをしまった。


「一度、引く」

「珍しいね、ちーちゃんが慎重」

「相手の正体がわかるまで、無策むさくで突っ込むのは愚策ぐさく

「私のこと言ってる?」

「……言ってない」

「絶対言ってる」


 千鶴は答えず、きびすを返した。

 背中に、視線を感じた。


『拡散しろ』


 声が、追いかけてくる。


『拡散しなければ、死ぬ』


 ──次は、る。


 千鶴は心の中で、そう決めた。

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