第14話

ネクタイを貸してほしい、って連絡が来た。

ネクタイが必要な理由は、

「友達と遊ぶときにつけたい」

ただ、それだけだった。


そのときは、

深く考えなかった。

貸すこと自体に、意味はないと思っていた。


でも今思えば、

好きな人からネクタイを借りるって、

そういうことだったのかもしれない。


制服の一部じゃなくて、

彼女の時間の中に、

俺のものが混ざるっていうこと。


それに気づいた瞬間、

胸の奥が少しだけ跳ねた。

遅すぎるくらい、

どうしようもなく。


笑ってしまう。

あのとき、

俺だけが何もわかっていなかった。


「いいよ」

そう返したくせに、

当日に限って、忘れた。


どうしようもなくて、

休みの日に最寄りの駅まで持っていくことになった。


改札の前で待っていると、

瑠璃が来た。

制服じゃない姿は、

少しだけ別人みたいだった。


「ごめん、ありがとう」

そう言って、

ネクタイを受け取る。


それだけのはずだった。


でも、

距離が近かった。

声も、

いつもより低く聞こえた。


一歩、

踏み出そうと思えば踏み出せる距離。

何も言わずに、

何かをしてしまえる距離。


頭の中で、

いくつも可能性が浮かんで、

すぐに消えた。


俺は、

それを全部なかったことにした。


ネクタイを渡して、

少し話して、

それで終わり。

瑠璃は手を振って、

改札の向こうへ行く。


俺はその背中を見ながら、

なぜか胸の奥がざわついていた。


何もしなかった。

それが正解だと、

そのときは思っていた。

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