いらっしゃい

「ドッキリ?違う違う、迎えにきたんだよ」

状況がまだ掴めない私はただ立ち止まって、混乱することしかできなかった。

現実でハルに会うのはライブだけ。

しかも良い席だったのは去年のライブだけでこんなに間近にハルがいると過剰摂取で倒れてしまいそうになる。

せっかくドッキリで放送されるなら素敵なファンでいるべきだ。


「あの!ハルのことが好きで、色んなところで助けになってます。明日も頑張ろうって思えるのはハルのおかげです。ありがとう」

まるでトーク会に参加したファンのような言葉を並べて、緊張を紛らわす。

「うん、知ってる。真白ちゃんのことは何でも知ってる」

ハルは口角を上げて、私を見つめた。

推しが尊すぎて死ぬ。


ハルに名前を呼ばれたことでこの名前をこの先も誇って生きていけるような気がした。

「次もまた、ツアー参加するね。そのためにいっぱい頑張るから!」

今ここで伝えたいことを伝えておかないと、一生後悔する。

ハルに自分の気持ちを届けられる時間なんてこの先一生ないだろう。

ここでハルに一生分の愛を伝えたい。

「アイドルになってくれてありがとう」

キラキラと輝く裏にはたくさんの苦労があるに違いない。

それでも私たちが望む姿を必死に更新し続けてくれるハルには感謝しかない。


歌の練習、ダンスの練習、その他テレビ番組への出演。

目まぐるしい毎日の中に少しでもファンという存在が癒しを与えられていたら嬉しい。

「こちらこそ俺を好きでいてくれてありがとう」

ハルからの言葉一つ一つが、心に響く。

推しの言葉はまるで正義のように聞こえてしまうのだから面白い。

椅子から立ち上がって、ハルがこちらに歩いてくる。

「無理無理無理!ハル、止まって」


推しの強烈な顔面が近づいてくる。

心の準備が必要だ。

「ん?」

計算し尽くされているであろう角度で首を傾げる。

「疲れたでしょ?これ飲んで」

ハルの左手には私が好きなコンビニのスムージーが握られていた。


このテレビ番組は優秀だ。

私をここまで喜ばせて、ハルのアイドルとしての株も上がる。

素晴らしい会社だ。

「ありがとう。私、このスムージー好きなんだ。期間限定も出るからよかったら飲んでみて」

アイドルにこんな砂糖の塊のような飲み物を勧めてはいけないのかもしれないが、出てしまった言葉をなかったことにはできない。

「知ってるよ。前回の桃味3回飲んだんでしょ」


スタッフさんが私のことを色々調べてくれたのだろう。

優秀なスタッフに感謝をする。

「せっかくなのでいただきます」

テレビの撮影にしてはカメラマンが一向に出てこない。

ドッキリなら、そろそろドッキリだとスタッフがいいにくる頃だろう。


「んー!美味しい!ハルの手から渡ってきたからさらに美味しい!」

このカップは記念にもらえないだろうか。

流石に中身は洗わないといけないが、できる限りハルが触れた場所には水がかからないようにしよう。

「わかる?俺が何か入れたの」

にっこりと笑う笑顔に心臓が貫かれた。


ハートの矢が私の心臓を貫通する。

「幸せすぎる……死んでも良いよ」

もし、明日死んだら私はきっとこの素敵な夢の続きを見ながら死ねるだろう。

それくらいこの時間が幻に思える。

ハルの綺麗な手が私の頭に触れる。

触れるファンサなんてしてもらっていいのだろうか?

他のファンから住所を特定されたりして、危険が及ばないか。

明日からの現実に、つい目を向けてしまう。


「あの、ここはカットでお願いします。さすがにハルに特大ファンサもらったことが世間にバレたら明日からまともに生きていけないかもしれないし」

失礼な申し立てにも笑顔を崩さないハル。

「何を言ってるかよくわからないけど、真白ちゃんがテレビに映ることは無いよ」

モザイクをかけてくれるのだろうか?

確かにそうすることによって危険は排除される。

「テレビで不特定多数の人間に見られたら俺だけの真白ちゃんじゃなくなっちゃうじゃん」

アイドルとは恐ろしいことを言う。

発した言葉は宝石のように価値のあるものとなる。


スムージーを飲みながらハルの顔を見つめる。

こんなに間近で見られる機会はそうそう無い。

この光景を目に焼き付けておくべきだ。

「真白ちゃん、俺のこと好き?」

「大好きです!」

可愛く聞かれれば、即答しないわけにはいかない。

食い気味に愛を叫ぶ。


「じゃあ俺とケン、どっちが好き?」

メンバーの名前を出されても、ハルであると即答した。

すると嬉しそうに私を見つめる。

「じゃあ、俺以外要らないよね?」

ハルが目の前にいるのに、瞼が開かなくなってきた。

睡眠不足からか、体もふらつく。


壁で体を支える。

せっかくテレビの企画であろうドッキリを体験している最中なのに、申し訳ない。

「大丈夫。真白ちゃんには俺がいるからね」

優しく、甘い声が耳に入ってくる。

ただ、その言葉を理解できないほど、睡魔が襲ってきてしまったようだ。


「いらっしゃい。真白ちゃん」


どれだけ眠ったのかわからない。

ここがどこなのかもわからない。

ただ一つわかるのは、あの夢のような時間がまだ続いているということ。

目の前には私の推しであるハルが立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る