第9話 ギャング団シャドウ・ヴェイン

南の大都市、セレンチア。 太陽が暴力的なまでに降り注ぐ。


バーレイグと名を変え、人波というノイズに紛れて息を潜める。 半歩後ろ。 銀色の毛並みを持つ神狼フェンリルが、影のように追従する。


『バーレイグ。何か掴めたか』


脳内に直接響く声。


「……ああ。少しだがな」


古書店の店主から半ば脅し取った羊皮紙の地図を広げる。 この世界は、女神信仰が酸素のように浸透している。 表通りは礼拝堂で溢れ、光に満ちている。


だからこそ、思考は逆説へ。 「黙示録の魔女」── そんな異端が、女神の威光が届く場所(ひかり)に封印されているはずがない。


探すべきは、光の届かぬ「影」。 忘れ去られた土着神。 異教の痕跡。


地図が示すのは、街外れの岬。 人々が忌避する断崖絶壁。 そこに小さな印がある。


◇◆◇


セレンチアの喧騒を背に、寂れた道を一時間。 その廃墟は姿を現す。


潮風に風化し、骨組みだけになった神殿跡。 石柱に彫られた神の顔は削げ落ち、もはや判別不能。


「……ハズレ、か」


舌打ち一つ。 女神信仰の裏で潰された、無数の敗北者の墓標。 こんなものは大陸の至る所にある。


踵を返そうとした、その時。 フェンリルの足が止まる。


低く唸り、鼻をヒクつかせ、崩れた祭壇の奥── 暗い地下へと続く闇を睨んでいる。


『……バーレイグ。この匂い……』


「ああ、気づいてる」


廃墟特有の、乾いた埃とカビの匂いではない。 もっと生々しく、鼻腔にまとわりつく鉄錆の臭気。


まだ温かい、**「新しい血」**の匂いだ。


気怠さが一瞬で消え失せる。 右手が、コートの下の『ルシファーズ・ハンマー』のグリップへ吸い込まれる。 親指が撃鉄に触れ、いつでも死を吐き出せる準備は整った。


波の音だけが支配する静寂。 その裏に、何かが潜む。


『どうする、バーレイグ』


「……行くぞ」


音もなく階段を滑り降りる。 フェンリルが背後を固める。 地下の闇。 血の臭気が濃度を増していく。


やがて、開けた空間。 奥で松明の火が揺らめき、壁に不気味な影を躍らせる。


その光源の下、眉をひそめる。 数匹の小鬼(ゴブリン)が、車座になって**「何か」**を貪っている。


咀嚼音。 骨を噛み砕く不快な音。


散らばった衣服の残骸が、その「何か」がかつて人間だったことを雄弁に語る。


「……ちっ。もう助からないな、ありゃ」


吐き捨てる。 悪魔王が討伐され、統率を失った魔物は、もはや軍勢ではない。 ただの害獣。 繁殖し、食うために人を襲う。


(……黙示録の魔女とは、何の関係もなしか)


完全に外れ。 お尋ね者となった今、ギルドに報告する義理もない。 撃鉄から指を離そうとする。


(……放置して、次の犠牲者が出ても寝覚めが悪い)


フェンリルが、喉を鳴らす。 考えは同じか。


「……害獣駆除といこうか」


誰からの依頼でもない。 金にも名誉にもならない。 ただ、そういう性分なだけだ。


音もなく巣窟へ踏み込む。


数分後。 銃声一つ立てることなく、地上へ戻る。 手には、犠牲者の衣服の切れ端。


神殿の裏手、海が見渡せる丘に、石を積み上げただけの、簡素な墓標を作る。 名も知らぬ誰かへの、ささやかな弔い。


「……行くか」


立ち上がった、その瞬間。


「──動くな」


複数の鋭い殺気。 包囲されている。


木々の影から現れたのは、十数人の少年少女。 薄汚れた革鎧、錆びついたナイフ。 だが、その瞳に宿る光だけは、ギラギラと研ぎ澄まされている。


リーダー格の赤毛の少年が、一歩前に出る。 視線は、作ったばかりの墓と、手の中の衣服の切れ端に釘付けだ。


「……リョウのじゃないか」


声が震えている。


「てめえが、やったのか……?」


弁明する気も起きない。 その沈黙が、肯定と受け取られた。 少年たちの殺気が膨れ上がる。


「仲間を殺られて、黙ってる『シャドウ・ヴェイン』じゃねえぞ……!」


一瞬の隙。 小柄な影が、視界の外から懐へ飛び込む。 速い──!


反応するよりコンマ一秒早く、腰のルシファーズ・ハンマーが抜き取られる。 銃は流れるような連携で赤毛のリーダーへ。


震える手。 だが確かな殺意が、銃口を眉間へ突きつける。


「……仲間の仇だ。死ね」


引き金が絞られる。 乾いた銃声が、至近距離で炸裂。


誰もが、頭が吹き飛ぶ光景を幻視しただろう。 だが、現実は違う。


放たれた弾丸は、銃口を飛び出した刹那、見えざる手に掴まれたように軌道を直角に捻じ曲げる。


支配下にない銃から放たれた弾丸。 だが、その**「鉛玉の所有権」**は、こちらにある。


(──頭をぶち抜け)


そうは念じない。 ただ冷徹に、こう命じる。


(──警告だ。そして、後ろだ)


弾丸が顔の横をすり抜け、同時に少年の頬を鋭く切り裂く。


「なっ……!?」


少年が頬の痛みに目を見開く。 その直後。 彼の背後の闇から、湿った肉を穿つ音が響く。


忍び寄っていたゴブリンの眉間が、正確に撃ち抜かれていた。 小鬼は声も上げずに崩れ落ちる。


「な、なんだ……? 今のは……?」


少年たちは、目の前の物理法則の崩壊に、完全に凍り付いている。 だが、呆然とする彼らを嘲笑うかのように。


神殿の地下から、周囲の森の闇から、無数の赤黒い光が灯り始める。


一つ、二つではない。 数十、数百。


闇が、叫ぶ。


仲間の血の匂いに誘われ、巣の奥から、周辺一帯から、ゴブリンの**「群れ」**が津波のように溢れ出してくる。


地を埋め尽くす害獣の群れ。 完全包囲。

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堕ちた勇者、王殺しの罪で処刑せよ! ~黙示録の魔女と最凶の《銃神》が鮮血で染める、反逆の葬送華《ライズ・オブ・ザ・レネゲイド》~ 千樹 @GXGXZAZA20251015

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