弱くてニューゲーム

航 希

第1話

 人間というのは、好感度を0から100にするのに長期間の根気と思考が必要だが、その逆は1秒とかからない。


 桜井翼さくらいつばさは、それを身をもって感じた。


「バカバカしい、なんでアイツらのためにと色々行動していたのに、一度の失敗でこんなにも嫌われなきゃいけないんだ」


 翼は数ヶ月前、放送委員の副委員長に任命され、多くの期待に応えられるように精一杯活動していた。


 事の発端はほんの一週間前。

 三年生の卒業を祝うため、昼の放送で卒業ソングを流す企画が上がり、翼は自分のクラスでどんな曲がいいかアンケートをとることにした。

 しかし、アンケート結果は『どうでもいい』『適当に決めろよ』等のやる気のない意見ばかりで、まともに集計が出来たものではなかった。それでも翼はめげること無く、自分で三年生に送る卒業ソングを一生懸命考え、それを流すことに決めた。


 が、それが間違いだった。


「あいつアンケートしたのに自分の好き勝手に選んで曲流したらしいぜ」

「マジ? 最悪じゃん。俺らのこと何も考えてないのかよ」


 翼の耳に入ってくるのは、陰口だけだった。

 いつも仲の良かった友人達も、翼を完全に腫れ物扱いにし、喋ることが一切なくなった。


「なんでどうでもいいとか書いてたくせに、急に被害者ヅラしてんだよ」


 翼は授業中にも関わらず、保健室のベッドに寝転がり、不満を吐露する。


 ゲームのセーブデータの様に、リセットをして好感度が上がっている状態からやり直したい気分だ、などと考えながら、昼寝でもしようと目を閉じた。が、それを防ぐかのように、仕切りのカーテンがシャッと開かれ、一人の機嫌が悪そうな顔をしている少女が現れた。


「二年C組、桜井翼くん。授業中のはずですけれど、体調でも悪いのですか?」


「あれ、美村先生もう戻ってきたの? 火曜のこの時間はいつも会議だから、バレないと思ったのに。相変わらずちっちゃいね」


「先生の行動を、記憶するのは辞めましょう。そろそろ卒業式なので、そちらの会議が優先させれただけです。それと、他人の外見をとやかく言うべきではありません。外見というのは、誰しもがコンプレックスを持っているもの。人の地雷を踏みやすい、最も危険な話題です。ですから……あの、聞いていますか?」


 つらつらと捲し立てられる説教を子守唄に、翼は一眠りしようと布団を被った。


 保健教諭の美村真由みむらまゆは、翼からすると取るに足らない相手だ。

 身体が少女のように小さく、自分の方が年上と錯覚させられるほどの身長差がある。

 ずっと不機嫌そうにしてる上に、真面目で、こうやってくどくどと言われることはあるが、この背丈では如何せん迫力がない。

 近所の小さい子の癇癪に付き合うような、そんな感覚でしかなかった。


 元々新人二年目の教師ということもあり、歳が近いのも影響して、生徒からは「真由ちゃん」と言われることもあるのだとか。


「規則です。保健室で寝るなら、一度体温計で熱を測ってからにして下さい。寝る理由を記入出来ません」


「えー、それ要る? 今までやってなかったじゃん」


「貴方が、私が居ないうちに寝始めていたから測れてなかっただけです。従わないのなら、ここを出て行ってもらいますよ」


 決められた行動を取っているロボットのような返答。


 煩わしいが、サボりたいのなら熱を測るしかない。しかし、翼は健康体そのもの。測る測らないは関係なく、出て行かされるのは確定だ。


 どうにかして回避したいが、上手い言い訳も見当たらず、諦めて出て行くことにした。


 ここでノリで押し切ろうとしないあたり、翼も真面目側の人間だ。


「あー、体調は悪くないから、帰る」


 翼はベッドから降りて、上履きを履く。

 あの教室に戻るのは心底嫌だが、他に行くあてもない。翼は保健室の外へ向かおうと、扉に手を掛けた時、後ろから右腕を強く引かれた。


「熱を、測ってください」


「え、いやだから、熱ないって。サボりって分かるでしょ」


「いいから、熱を測りましょう」


 いつも不機嫌そうな表情をしている真由の真意が、全く分からない。


 とはいえ、舐めた態度を取っているが、立場はこちらが下。翼は渋々真由の言うことに従った。


 真由に促され、翼は椅子に座る。逃げない様子を確認した真由は、戸棚から体温計を取り出すと、翼へと手渡して自身も椅子へと腰かけた。


「よっこいしょ」


「ぷっ……美村先生、年寄りじゃん。まだ二十前半でしょ」


 前触れもなく老人のような掛け声を発した真由を見て、翼は思わず笑い噴き出す。そんな掛け声、老人が立ち座りする時にしか聞いたことがない。しかし、真由は笑われても照れた様子はなく、淡々と翼を指摘した。


「ダメですよ、桜井くん。個性を潰すような一般論を、語るべきではないです」


「えー、さっきまで規則って言ってた人が、個性って言い出すのはおかしくない?」


 一般論を最初に語り出したのは先生の方じゃないか、と翼はジト目で真由を見やる。それでも真由に変化はなく、いつもの機嫌が悪い表情で言い返した。


「規則を守れ、などと言った覚えはありませんよ。規則を破らない程度の策を練るべきです」


「……は? いや、意味わからないけど」


 翼は真由の言葉の意味を聞こうとしたが、無機質な機械音が二人の間で鳴り響く。意識は自然と、そちらへと向いた。

 計測が終わった体温計を確認すると、熱は36.6度。全く問題ない、と言っていいほどの平熱だ。


「体温計、確認します」


 真由は翼から体温計を奪い取ると、横にあった「保健室利用生徒履歴」と書かれた記録簿へと記入を始めた。


 真由がどんな思考で語ったのか理解出来ないままだが、この平熱なら追い出されるのは明白。何か言われる前に教室に戻ろう、そう椅子から立ち上がろうとした時、真由は「さ、ベッド使っていいですよ」と口にした。


「え、いやいや。先生、熱確認したよね? 平熱だったでしょ」


「さあ? 私には37.4度と読めましたが。そんな高熱なら、寝てなければなりません」


 翼は先程から、真由の行動が全く読み取れず、呆気にとられている。


「記録簿にも37.4度と記入したので、間違いありません。ああ、でも体温計の電源を切ってしまいました。実際の数値を確認するのは、もう出来そうにないですね。そもそもの話、私は寝るなら熱を計ってからと言っただけで、熱がなければ寝てはいけない、とは言ってませんけどね」


 これまでずっと不機嫌そうにしていた真由が、急に不敵な笑みを浮かべて、改竄された用紙を翼に見せつけた。その姿は、中学生が悪巧みをしているようにしか見えなかったが、不機嫌そうな表情より、ずっと様になっていた。


「いいかい、桜井くん。これが、規律の抜け穴。ボクに言わせれば、君の行動は非常に幼い。幼稚過ぎる。もう少し視野を広げるべきだよ」


 不敵な笑みを浮かべてからというもの、真由の雰囲気がガラッと変わった。表情も、声色も、喋り方すらも違う。


「せ、先生、なんか、雰囲気変わった?」


 取るに足らない相手だと思っていた人間が豹変するなど、驚きが勝ってしまい、翼はこの程度しか聞くことが出来ない。


 真由は翼の質問など無視して、続けた。


「君の事情は聞いているよ。でも同情は出来ないね。不幸自慢なんてしたくはないけど、その程度のこと、ボクは何度も経験した。常に異端は、ボクの方だからね」


 今までの迫力とは桁違いの、凄みのある表情をする真由。不機嫌そうな表情よりよっぽど怖い、と翼は息を呑んだ。


「君も言っていたが、ボクは背が小さい。それに口癖は年寄りじみていて、本当の一人称も『ボク』だ。自分が如何に特殊な分類かは、自身が一番わかっているよ。そんな人間が、何度勝手に期待されて、勝手に失望されて来たと思う?」


 翼に冷ややかな視線が突き刺さる。

 これは問いかけのようで、答えは求められていない。


『なんか雰囲気変わった?』


 この一言を言った時点で、翼は異端を見る側になったのだ。


 そんなつもりがなくても、翼の中には確実に「思っていたものと違う」という感情は存在した。ずっと被害者だと思って保健室に逃げ込んでいた翼も、真由から見れば加害者の一人だ。


「身長で侮られ、人より信用度が低いところからスタート。成果を積み上げても、一度の失敗で『やっぱりあの子は小さいから』と結び付けられる。そうすれば、信用度は最初から。いや、もっと低いところからのやり直しかもしれない。まさに弱くてニューゲーム、ってね」


 一般的な容姿をしていることで、一定の信用度が保証されている翼にはない、最悪な初期ステータスだ。


「仮に容姿で気に入られたとしても、性格が伴わない。勝手に、小さい人間は性格も小動物だと決めつけられる。違ったら裏切り? バカバカしくて笑えてくるよ。ああ、君もコーヒー飲むかい?」


 恐らく、翼が今回経験した出来事を、真由は更に低い地点から幾度となく繰り返してきた事だろう。それなのに、真由は全く悲しんだ様子はなく、呑気にコーヒーを淹れ始めた。


 真由にとってはもう、そんな出来事は日常に溶け込んだ一部になっているのだ。


「桜井くん。ボクは君に、ボクの方が苦労してるんだからそれくらい耐えろ、なんて馬鹿なことは言わないよ。逃げたいなら逃げればいいじゃないか。学校なんぞ、片手で数えられる程度の年数しか滞在しないんだ。卒業式は楽しいパーティだと思うといい。嫌いな人間と自らの意思で縁を切れる、こんな素晴らしいパーティは滅多にない。君が望めば二度と会わなくていい存在達。それが上辺だけで別れを惜しんで泣いているところなんて、とても滑稽だとは思わないかい?」


 真由はその光景を想像してくっくっくと笑う。


 到底、教育関係者が口にしていいようなセリフでは無い。同年代と仲良く、なんて謳う教師陣とは何もかもが違った。


「悪いけど、ボクは君を慰める気なんてない。ここはカウンセリング室じゃないんだ。職務以上のことはしたくない。でも、同じ経験をしてきた先輩として、愚痴くらいは聞こう。君の卒業までの一年間、逃げる手助けだけはしてあげるとも」


 真由は二個の紙コップにコーヒーを注ぐと、片方を翼に手渡し、もう片方に口をつけた。


「うぇーにがっ」


 どうやらかっこつけて、ブラックで飲んだようだ。


 一口飲んだだけで真由は仰け反り、すぐに紙コップを置いて、引き出しから砂糖とシロップを、冷蔵庫からは牛乳を持ってきた。

 先程までの威圧感は何処へやら。今の行動はどう見ても、少女がコーヒーを何とか飲もうと試行錯誤しているようにしか見えなかった。


「全く、こんな苦いものをそのまま飲む人間の気が知れないね。君も使う?」


「あ、はい。貰います。ありがとうございます」


 翼は真由に対して舐めた口調で話していたはずなのに、今は自然と敬語に変わっていた。


「ははっ! すぐに態度を改めるとは、存外に素直じゃないか。でも、口調を変える必要は無いよ。ボクは別に、偉くなりたくてこんな話をしたわけじゃない」


 急変した翼の佇まいを見て、真由は声高々に笑う。いつもの不機嫌顔からは想像も出来ない、笑い方だ。


「君がただのサボりなら、有無を言わさずに追い出したよ。でも、昔のボクのように生き方を間違えているようだったからね。教師らしく、生き方の授業をしただけさ」


「普通の教師は『逃げていい』なんて、教えないと思うけど……」


「そりゃあ、普通の教師じゃないからね。今どき、一般論だけでは成長の余地などないだろ。もっと理不尽な状況と、心を壊さない妥協点といった、諦めることの重要さを学ばせるべきだよ」


 もの凄い爆弾発言の数々で、翼も思わず引いてしまう。こんな思考で、真由はどうやって教師になれたのだろうか。


「じゃあ授業って言うなら、今のクソみたいな立ち位置の打開策を教えてよ、美村先生」


 翼は紙コップを握り、縋るように真由に懇願した。

 真由の考えはかなりぶっ飛んでいるが、翼が一人で悩むよりはよっぽどマシだろう。何より、経験者の意見は貴重と言える。


 助けを求められた真由は腕を組み、更には足も組んで目を閉じた。なんとも偉そうな子供の風貌だが、翼はもう侮ったりなどしない。


 待つこと二分。寝てしまったのかと思う沈黙の後に、真由は老婆が話し始めるかのように、ゆっくり「そうさねぇ……」と口を開いた。


「一番嫌いな奴を、選ぶんだ。わがままなやつがいいな。加えて、クラスの中心に近しい人物だと完璧だね」


「え、なんで?」


「そいつの言うことを聞け。いいか、全部は聞くな。違うと思ったら、絶対に反抗すること。それを繰り返すんだ」


 上辺だけの涙が滑稽だ、と先程言ったばかりではなかろうか。もう自分が言ったことを忘れてしまったのかと、翼は訝しげな視線を真由へ送る。


「それ、結局媚びてるだけじゃん。孤立した今やっても逆効果でしょ」


 むしろ孤立が嫌で縋りついているように見えて、それこそ滑稽な場面だ。しかし、真由は翼の反対意見を鼻で笑った。


「分かってないね。これは媚びてるんじゃなくて、正面から立ち向かってると言うんだよ。クラスの中心に近い人間のわがままに、正面から対立するやつなどいやしない。絶対に怯んじゃいけないよ。発言力が低下するからね。正しいところは正しいと受け入れ、間違いは正確に指摘する。それだけで、人は見てもらえてると感じて、一目置く存在になる」


 一呼吸置くように、真由はコーヒー風味の砂糖水を啜る。あれだけ入れてもまだ苦いのか、顔を歪ませながら飲み込んで、目を閉じた。


「君も今回のことでわかったと思うが、信用というのは一回の失敗で失われる。そのくせ、元に戻すにはそれまでの何十倍の成功をしなければならない。結局、簡単な打開策などは存在しないんだ。この案だって、相手の受け取り方次第だからな。君には悪いが、成功するとも思ってない」


 案を出した直後になんとも頼りない。

 真由の案で翼が失敗した時に、責任から逃れるために言い訳でもしているのだろうか。そんな風に翼は真由を疑った。


 しかし、その直後に真由は閉じていた目を、片目だけ開けてニヤリと笑うと「ただな……」と続けた。


「評価が地に落ちた今だからこそ、やりたい放題だとは思わないかい? 今の君は、それが出来る場所にいる」


 どうにか大事にならずに円満解決を、と望む教師が多い中、この美村真由という教師はどこを取っても異質過ぎる。

 一体どれほどの数、やり直しを経験したのだろうか。それを想像すると、翼は唾を飲み込んだ。


「それでも、ダメだったら?」


「その時はまたここへ来て弱くてニューゲームだ。次の案を考えればいい。ああ、言っておくけど、ボクは毎回アドバイスを言う気は無いからね。逃げ場所だけは確保しておくから、あとは君次第だよ」


 そう言い切ると、真由は「よっこいしょ」と言って立ち上がり、軽く伸びをした。伸びを終えて「ふぅ……」と一息吐いた直後、それまでの少女のような空気は霧散し、いつもの不機嫌そうな顔の真由が現れた。


「さて、そろそろ時間です。次の授業からは出席するんですよ」


 やはり、こちらの真由は何も怖くない。

 でもこれが、真由が何度も繰り返して得た、評価がリセットされないやり方なのだろう。


 とはいえ、真由の喋り方や雰囲気が変わるのは分かるが、その表情はどうにかならないのかと、翼は余計なことを考えてしまった。


「美村先生、笑ってた方が評判良くならない? ずっと機嫌悪そうだと、むしろ評価下がる気がする」


 余計な思考ついでに、思ったことをそのまま口にすると、真由は被ったばかりの仮面を即座に脱ぎ捨てた。


「恥ずかしい話だけどね。ボクは笑うと、本当に幼いんだよ。舐められないように眉間に皺を寄せていたんだが、それでも舐め腐った態度をしてくるやつもいるんだ」


「げっ……」


 言わなきゃいいものの、完全にやぶ蛇だ。

 真由は笑顔で笑うと幼いと言っているが、今の笑顔は後ろに般若が見えるほど恐ろしい。


 翼が背筋を凍らせ、なんて言い訳をしようかと焦っている姿を暫し見つめた後、真由は小さく笑った。


「その豪胆さがあれば、君は大丈夫だよ」


 それは、少女と言うには大人びていて、仮面と言うには違和感がある、穏やかな微笑みだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

弱くてニューゲーム 航 希 @wataru-nozomi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画