第3話 感電者
二十二日は通常通り六限まで授業がある。だから環菜は見送るのをやめていた。本当はすぐに下校して空港に直行すれば間に合わなくないけれど、そこまでしたくなかった。もはや、それが当然の報いとさえ思っていた。いつものように英語に苦戦をし、昼休みは部活動の友人と昼食をともにした。
月曜日の五限は物理だった。理系コースだから、昼下がりの緩い雰囲気は消え去って、張り詰めた空気が教室を支配していた。共通テストまで一か月切っている。国公立志望も私大志望も混じっているけれど、皆必死だった。環菜はそこまでやる気になれなくて、ぼんやりと隣の空席を見つめていた。先週の金曜日まで、匠海が座っていた席。
「あまり肩肘張っても良くないですよ」
開口一番、先生が言った。噂では理科大を出ているという彼は、授業を始めずに雑談を繰り広げた。理科大卒というのはどうやら本当らしく、高等専修学校から編入して入ったらしい。
「――なので、大学でやるような実験も高専のときにしていたんですよ」
電気工学科にいたようで、高圧電流を使う実習もあったと続けていた。その実験の注意事項は未だに覚えているという。皆さんも大学で言われるんじゃないかな。彼はそう言って一度切った。
「万が一感電した人がいたら、皆さんはどうしますか」
誰も答えない。ここで誰かが何かしら発言すれば雑談は終了するかもしれない。けれど、正答が出ない限り問答は続く。それは授業に入らないことを意味していた。
生徒側の興味のなさを感じ取ったのか、先生が口角だけを上げて口を開いた。
「助走をつけて、蹴り飛ばしてください」
感電している人に触れたら、自分まで感電しますからね。先生は穏やかに続けた。感電した人は電気から手を離せないから、こっちで離すんです、とも。
手を離せないのだろうか。環菜は引っかかった。離せないのではなく、離れられないのだとしたら? ただできないのではなく、分かっていてもできないのだとしたら?
誰も何も言ってないのに、匠海と海成を思い出した。海成が電流で、匠海が感電した側。匠海は海成から離れられなくなっているのではないか。
思えば吹奏楽部に入部したときからそうだった。初めて一年生だけで合奏をしたあとの匠海は、合奏練習が終わるや否や海成に近づいていって、海成と楽しそうに、時折難しい顔をしながら楽譜を囲んでいた。他人に自ら話しかけるような人間ではなかったのに。
夏になってコンクールメンバーに選ばれたときもそうだった。年功序列で上級生が吹くことになっていたソロを、匠海はそれが当然であるかのように自分のものにした。指揮者として立っていた海成もそれに賛成して。アンサンブルコンテストも先輩を差し置いて匠海が出たし、定期演奏会のポップス曲のソロだって匠海がやっていた。
二年生になったら、海成とそのファーストオプションの匠海という序列が完全に確立していた。環菜や周囲がそれに異を唱えることはなかった。このふたりについていけば、相応の結果が得られると思っていたからだった。そして現に、二度と同じものは得られないような結果をもらった。
一通り思い出して、ため息をついた。もう匠海は感電している。海成が留学したことは、なんのきっかけでもなかった。既に出会った時点で始まっていた。それなら。
「急用思い出しました! 帰ります!」
鞄を引っ掴んで勢いよく教室を出た。これなら間に合う。空港まで走って蹴り飛ばしてやる。そうやって引き離してしまえばいい。そうすればつまらなくなんかならないはずだから。
感電者 古間木紺 @komakikon
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