第2話 感電
結局、最寄り駅で匠海と別れて帰ってきてしまった。スタバで勉強して帰るとか、どうでもいい理由をつけて。期間限定のフラペチーノが美味しかったから、それはそれで良かったけれど。
夜も受験勉強は続いていく。今は予備校の宿題よりも共通テストの過去問を解くことが多い。やっぱり英語は苦手で、長文読解で点を落としてしまう。
勉強しかり、幼馴染との距離感しかり、今日はあんまり上手くいかない日のようだった。打ちひしがれていると、スマートフォンが鳴った。画面には海成の名前が表示されている。
「海成? どうしたの」
「久しぶり」
今日はずいぶん匠海と海成の関係性に触れている。下校の一件を思い出して、少しだけ気が沈む。でも、それはそれとして海成からの電話は嬉しかった。
「今電話して平気?」
「うん」
どうせ今日はダメな日だから、勉強は放っておく。
「海成こそ時間平気? 朝早いんじゃないの」
「こっちはまだ夕方だから」
「そっか」
イギリスとは八時間の時差がある。海成はそう教えてくれた。こちらが夜間に受け取る分には心配しなくていいのだろう。
「……あのさ、謝りたいことがある」
単刀直入に、しかし言いづらそうに海成が切り出した。彼に傷つけられた覚えはない。怪訝に思っていると、ふっと海成の息の吐く音が聞こえた。
「匠海のこと」
「……うん」
点と点がつながった気がした。匠海の渡英を海成は知っているのではないか。匠海はただ追いかけるのではなく、本当に隣に立つつもりなのだろう。ぼんやりと相槌を打って海成を待つ。
「俺が誘った。イギリスに来いって」
「そう、なんだ」
脳天を撃ち抜かれるとは、まさにこういうことなのだろう。匠海が海成に留学の相談を持ちかけていたのではなく、海成が匠海をけしかけたのだ。
ごめんね。海成はそうも続けた。環菜は何も答えなかった。答えたくなかった。知ってか知らずしてか、海成は続ける。
「作曲科に入って、色んな学生に演奏してもらったけど、やっぱり俺の曲を曲にしてくれるのは匠海しかいないんだよ」
そうなんだ。言っても良かったが、言わないでおいた。これ以上調子に乗らせたくなかった。
「匠海が吹くと、フレーズが魅力的かとか、その部分のバランスとか全部の良し悪しが分かるし」
憧れの作曲家のレッスンを受けながら匠海に吹いてもらえれば、より上手くなれる。海成はそう続けた。才能がある故の傲慢さが散りばめられている。匠海だって匠海なりにキャリアを見つけていたのに。
「……でも、だからって巻き込むのは」
「なんで俺の曲を匠海が吹かないんだろうって思うよ」
通信環境のせいかどうか分からないことにしたかった。ようやく発した言葉は海成に被せられた。それほどまでに核心だったのだろう。彼に匠海を巻き込むつもりは毛頭なく、ただただ必然を選んでいる。
「他の進路選んでるの、腹立つんだよ」
「……え」
腹立つ、という言葉を聞いたのは本日二度目だった。匠海が海成の曲を誰かが演奏していることと、海成が匠海に他の道を選んだことの。
「俺から生きてるって感覚を奪わないでほしい」
たぶん、匠海がそう表さなかっただけで、匠海もそう考えているのだろう。海成についていくと言っていたときの話しぶりや目は、今の海成に似ているような気がした。最初こそ大学受験を決めていたけど、そこに実感はなく、最初から海成と離れるなんて思ってなんかいなかったのではないか。匠海が、ではなく、ふたりがつまらないのだ。最初からふたりだけの世界でしかなかった。全てがふたりの舞台装置だった。
「――だから、ごめん」
海成の口調に、しおらしさがあった。環菜は思いきり鼻をすする。うわ、と海成の声が聞こえたが、聞こえなかったことにする。
「そんなこと言うなら、なんで奪っていくかな」
笑いながら、涙声になりながら、怒りをぶつけた。ばつの悪そうな笑い声が聞こえる。三度目のごめんも。軽く受け流されてしまっている。
「環菜、匠海と付き合ってたもんね」
「いや、違うけど」
「え、そうなの」
ただの幼馴染だよ。教えてあげると、海成はとても驚いていた。今日の電話の発端は、環菜を怒らせたと匠海が海成に泣きついたからだという。
「それで、筋通しとこうって思ったんだけど」
「違うけど……ありがとう」
海成に教えてやるのはそこまでだった。匠海はフルートとか音楽とかよりも、そもそも海成しか見えていないことは黙っておく。全部伝えるのはもっとつまらなくなる。
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