第13話 アサシン

 数日後。

「男の名は、アサシン。情報を求む。報酬は一万金貨」

 そんな張り紙が、ルーマ市内のあちこちに貼り出された。

 懸賞主の名は、ユイルだった。

 一万金貨は、彼が老師から相続した財産に匹敵する大金だ。

 この張り紙作戦には、二重の効果がある。

 賞金に惹かれて情報が集まるならそれも良い。

 同時に、プレッシャーをかけられたアサシンが、懸賞主であるユイルを殺しに現れることも狙っていた。

 自分の命すら餌にする、ユイルの苛烈な指し手だった。

(出て来い、アサシン。オレの前に)

 

 その痩せた男──アサシンは、そのとき自分の部屋にいた。

 ルーマ市内のある建物の一角、天を指すようにそびえる尖塔の地下室が、彼のねぐらだった。

 物心ついてから、弓の訓練と“仕事”以外の時間を、ほぼこの部屋で過ごしてきた。

 アサシンはベッドに体を横たえ、自分の歩んできた道を反芻していた。

 彼は、身分の高いある男が、嫡男の生母の侍女である十五歳の少女に手をつけて産ませた子どもだった。小さな体の母親は、出産の苦しみに耐え切れず、命を落とした。早産だったのでアサシンが先に生を受け、家系上、彼は父親の嫡男の兄となった。しかし、その扱いは、全く兄弟とは呼べないものだった。

 父親からは、名前すら与えられなかった。食事も最低限で、体は痩せさらばえていた。ねぐらはこの地下室だ。読み書きも、満足に教えて貰えなかった。

 五歳頃から、弓の訓練を受けさせられ、十二歳ぐらいである程度の腕前に達した。

 初仕事は、父親の政敵の暗殺だった。

 この時点から、非力さを補うために毒矢を使った。

 初仕事を終えた少年に、父親は金貨を与えた。少しのねぎらいの言葉と共に。

 そして。

 父親は告げた。

「今まで、名を呼ばずに育ててきたが、我が役に立った故、お前に名を与えよう。お前の名は、“アサシン”だ。今後は、そう名乗るが良い」

 初めて名前を呼ばれて、痩せた少年は喜んだ。

(アサシン、アサシン、アサシン)

 自分に付けられた名前を、何度も繰り返し、必死に覚える。

 その名前の意味など、学の無い少年に分かるはずもなかった。

 そして、彼は絶望する。

 ある日、父親が急死し、嫡男である彼の弟が家督を相続した。

 アサシンには、父親の死に顔を拝むことも許されなかった。

 壮麗な葬儀の後、アサシンは弟に呼び出された。

 初めて間近に見る、腹違いの弟。堂々としていて、美しく、神々しい。権力者となった弟が、厳かに告げる。

「先代の遺した言葉を伝えよう」

「言葉?」

「父はこう言った。お前には腹違いの兄がいる。名は、“アサシン”」

「そうです、俺がアサシンです」

 弟の青い瞳が、ギラリと光った。

「父は、お前をそう呼んでいたのか?」

「……はい」

 質問の意味を量りかね、アサシンは小声で答えた。

「では、これからも、お前をアサシンと呼ぶとしよう。ククククク……」

 突然、弟が笑い始める。アサシンは戸惑った。

「ククククク。これはおかしい。我が兄が、アサシンか!」

 アサシンには、訳が分からなかった。

「お前、“アサシン”という言葉の意味を知っているか?」

「……いいえ」

 意味など、考えたことがなかった。教わってもいなかった。

「では、教えてやろう……。アサシンと言うのはな──“暗殺者”という意味の言葉なのだ」

 衝撃が、アサシンを襲った。

「暗殺者……」

「そうだ。今までお前がやってきたことに、相応しい名前だな」

 笑いながら、弟は続ける。

「お前に本当の名前などない。アサシンで充分だ。お前は今までも、そしてこれからも、主人──マスターに仕える“アサシン”なのだ」

 ──アサシンは絶望した。全てに。

 そして、その日の夜から、彼は悪夢にうなされるようになった。

 いつも夢に見るのは、暗殺した相手が毒矢を受け、苦しんで死んでいく様だった。苦悶するその表情が目に焼きつき、断末魔の声が耳にこびりついて離れない。

 もう、“仕事”を辞めたかった。しかし、それは許されそうもなかった。そんな望みを口にすれば、冷酷な弟は兄の口を永遠に塞ぐことだろう。

 生きていくために、殺す。

 殺すために、生きる。

 煉獄で業火に焼かれるような毎日だった。

 寝るのが怖い。悪夢を見るから。

 起きるのが怖い。いつ命令が下るか分からないから。

 そして今、ベッドに横たわっているアサシンは、街で剥がしてきた張り紙を手にしていた。

 ユイルという少年からの、彼への挑戦状。

 ユイル──彼が殺した老師の、正当な後継者。

 アレクの追求から逃れるために、彼は老師の遺志を歪めたのだった。

 ユイルがアサシンに向けてくる敵愾心は、正義の実現と言って良かった。

 自分のほうが悪なのだと理解している。それでも生存本能が、ユイルとの死闘を命じていた。

 殺さなければ、殺されるだけなのだ。

 アサシンは、壁に飾っていた弓と矢を手に取った。

 不本意でも、狩人となって獲物を狩らなければならない。

 矢筒を背負い、弓を手にして、アサシンは街へと繰り出したのだった。

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2025年12月31日 18:00
2025年12月31日 18:00

ルーマンの宝剣 山本 司 @t_yamamoto

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