第6話
一ヶ月の恋は、終わった。
そう言い切れるようになるまでに、私は十年という時間を必要とした。
ユウトとネット越しに言葉を交わしたあの夜から、彼は少しずつ“遠く”なっていった。
通信は不安定になり、返信の間隔は延び、やがてアカウントは沈黙した。
最後のメッセージは、短かった。
――「真理、君は前に進んで。
――僕は、君が作る未来の中で待つ」
それが、別れだった。
泣いた。
壊れそうになるほど泣いた。
でも、不思議と絶望はなかった。
彼は消えたのではない。
“託した”のだ。
あの恋が、ただの異常体験で終わらなかった理由は、そこにある。
十年後。
私は、会社の会議室に立っていた。
ガラス越しに見える都会の景色は、かつての私が恐れていた「現実」そのものだ。
「では次に、新規プロジェクトの最終責任者を紹介します」
拍手。
少し遅れて、私も頭を下げる。
「開発責任者、竹内真理です」
三十路を過ぎ、恋に臆病だった私が、今は四十代。
肩書きが増え、背負うものも増えた。
でも、失っていないものがある。
――信じる力。
会議が終わり、資料をまとめながら、私は自分のデスクに戻った。
モニターの片隅に映る、プロジェクト名。
《同じ時間軸の世界線で恋して》
十年前のゲームとは、まったく別物だ。
技術も、構造も、倫理規定も。
でも、根っこは同じ。
人と人が、同じ時間を生きること。
データでも、仮想でも、“本物の感情”を否定しないこと。
あの禁忌は、私たちの失敗だった。
境界を曖昧にしすぎた。
守るべきものを、守れなかった。
だから今回は、違う。
私は十年間、研究を続けた。
意識同期。
時間遅延補正。
感情の非依存設計。
そして――再現。
あの世界線を、今度は“壊れない形”で。
夜。
誰もいなくなったオフィスで、私は一人、開発中のテスト環境にアクセスした。
首輪型ではない。
痛みも、拘束もない。
選ぶのは、いつだって“戻れる”設計。
「……ログイン」
視界が、柔らかく滲む。
白い靄。
やさしい空気。
懐かしい感覚に、胸が締め付けられる。
「……久しぶり」
声に出した瞬間だった。
「おかえり、真理」
聞き慣れた声。
十年間、忘れたことのない声。
靄が晴れ、そこに立っていたのは――ユウト。
年齢は、変わらない。
でも、目だけが違う。
迷いのない、はっきりとした目。
「……ユウト」
名前を呼ぶと、彼は笑った。
「十年、待ったよ」
足が震えた。
涙が溢れそうになる。
「ごめん……長くなった」
「いいんだ」
彼は首を振る。
「君が、生きてきた時間だから」
胸が、いっぱいになる。
「ねえ、今回は……」
私は、深く息を吸った。
「禁忌は、ない。
縛られることも、消えることもない」
彼は一瞬、驚いたように目を見開き、そして――静かに、頷いた。
「やっと、同じ場所に立てたんだね」
夕焼けが、街を染める。
あの頃と同じ景色。
でも、意味は違う。
私は、彼の前に立ち、まっすぐに言った。
「大好き」
もう、忌むべき言葉じゃない。
「今度こそ、
一緒に幸せになろう」
ユウトは、迷わず手を伸ばした。
「うん。今度こそ」
指と指が、重なる。
確かな温度。
これは、逃避じゃない。
代替でもない。
現実を生きた私が、
現実の技術で選び取った未来。
一ヶ月の恋は、終わった。
でも――
十年越しの恋は、
ここから始まる。
同じ時間軸の世界線で。
同じ時間軸の世界線で恋してた 凧揚げ @kaitoQQQQQ
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