でりゅーじょん

香久山 ゆみ

でりゅーじょん

「いてっ」

 部屋に入るなり、足元のダンボール箱に躓く。

「もう、また! 和久さん、こんな所に出しっ放しにしないでくださいよ」

「俺じゃねえよ。お前さんだろ」

 見え透いた嘘だ。

 警察庁の薄暗い地下のどん突きの資料保管室。配属は、俺と和久さんの二人しかいない。俺はヘマしてここに飛ばされた。和久さんはここに長いらしい。

「ちょうどいいや。年の瀬だし、大掃除しましょう」

 ここでの仕事は、運ばれてくるダンボール箱を整理して採番して保管して……、以上だ。未解決のまま時効を迎えた事件の資料だから、他にやることはない。人も来ない。手持ち無沙汰である。

「俺は普段から資料は丁寧に扱っているからな。お前さんが頑張れ」

 そう言って、和久さんはコーヒーを淹れてデスクで新聞を広げている。くそ。腹立つけど、俺はまだおっさんみたいに割り切れない。手持ち無沙汰だと遣りきれない。暇を持て余してしまう。

 だから、掃除は若輩の仕事であると自ら納得させて、部屋の奥へ入っていく。

 資料保管室はそれなりの広さはあるが、デスクを置いた一角以外は、すべて棚とダンボール箱で埋め尽くされている。

 ダンボール箱の蓋と側面には四桁の番号が振られていて、規則正しく棚に収められている。が……。

「なにが、普段からきれいにしてるだよ」

 奥へ行くほど埃っぽいし、どっかから卵の腐ったようなにおいがする。

「くさ。……うわ!」

 蜘蛛の巣に頭から突っ込んでしまう。最悪だ。

 てか、こっちの方、尋常じゃない蜘蛛の巣なんだけど。棚から棚へ細い糸が張られている。注意して見ると、小さい蜘蛛がちらほらいる。どっかで卵でも孵ったんじゃないか。

 はたきで巣を落としながら通路を進むと、分かりやすく蜘蛛の糸が増えていく。元凶に近付いているのだろう。どこだ。

「げ」

 保管室の隅に、蜘蛛の巣まみれのダンボール箱を見つけた。

 恐るおそる棚から下ろして、蓋を開ける。

「ぎゃっ!」

 かわいい部下の悲鳴に、さすがの和久さんものそのそやって来た。ちゃっかり自分だけマスクと軍手をしている。と思ったら、俺にも渡してくれた。優しい。良い人だ。

「ひどいな」

 ダンボール箱の中はふわふわ白い綿を敷き詰めたみたいになっていて、ぬいぐるみか何かだと思って手を伸ばしたら、わっと蜘蛛の子が散っていった。

「これ全部……」

「蜘蛛の卵だな」

 白い繭に和久さんが頷く。「やったな、仕事だぞ」と俺に目配せする。そう、資料を正しく整理するのが俺の仕事だ。蜘蛛の巣に侵された事件資料は、きれいに整理し直さなければならない。

 この箱をデスクまで運ぶ気にはならず、その場でしゃがんで作業に掛かる。

 軍手を突っ込んで、蜘蛛の巣と卵を取り除いていく。手を伸ばすたびに、蜘蛛の子がわいて出てくる。

「あれ?」

 結局、蜘蛛の巣を全部出したら、空っぽになった。ダンボール箱から証拠物件らしきものは出てこなかった。

「事件概要は?」

 唯一入っていたクリアファイルに挟まれた紙資料を和久さんが手に取る。俺も一緒に覗き込む。


 事件は、何もなかった。いや、何もないとしか言いようがない。

「従業員が長らく無断欠勤しており、連絡もつかない」

 その通報により、会社に届出られていた住居に、同僚と大家、立会いの警官で開錠して立ち入った。

 部屋の中はもぬけの殻だった。

 同僚はいない。それどころか、アパート備え付けのもの以外は、家具も衣類も何もない。部屋中に蜘蛛の巣が張っていて、数週間どころか、数ヶ月、いや数年間誰も住んでいないのではないかと思われる有様だった。


「行方不明者の事件みたいですね」

「いや」

 もっとしっかり目の前のものを見ろと、和久さんは促す。資料にはまだ続きがある。


 親族に連絡を取ろうと、会社に提出していた緊急連絡先に電話するも繋がらない。不動産屋に残されていた契約書も同様。

それどころか、警察の調べでも、その行方不明の住人の身元は分からなかった。

 職場でも不動産屋でも偽名を使っていたらしい。職場で親しくしていた者もいない。

 しかし、近隣の証言から、そこに男が出入りしていたことは間違いない。風貌も同僚や大家の記憶と一致する。とはいえ、目立った特徴もない平凡な男だったようだ。

 勤務時の身なりはきちんとしていたし、家賃も前月まで滞ることなく納めていた。しかし、肝心の部屋には人の住んだ形跡がない。

 結局、本当は誰なのか、身元も判然としないため、行方不明として正式に捜索願が出されることもなかった。


 添付された現場写真を見ると、確かに部屋中のいたるところに蜘蛛の巣が張っており、一見まるで白いぼかしが入っているような錯覚に陥る。

「あれ?」

 洗面台の棚に円形の小振りの鏡が置かれている。

 洗面所の真正面には備え付けの大きな鏡があるから、これは本人が持込んだ品ではないか。

「和久さん、この円い鏡……」

「……オシラセサマか……」

「え?」

「いや、なんでもない」

 独り言だから気にするなと、和久さんは首を振った。

 ダンボール箱に蓋をしようとする和久さんに食い下がる。

「おかしくないですか」

「何が」

「この鏡は唯一本人のものと考えられます。だったら、証拠品として押収されているはずです。なのに、ダンボール箱には何も入っていない」

 和久さんは眩しそうに俺を見返した。「いい目をしてる」と。

 せめて写真から何か読み取れないかと、鏡を注視する。誰か映っていやしないかと。映っているはずない。映っているとしても、撮影した鑑識捜査員くらいだろう。しかし、鏡にも白い膜が張っていて何も見えない。

 あれ、俺はどうしてこれを鏡だと思ったのだろうか。画像は不鮮明だし、背景に小さく白い円形が写っているだけだ。すぐ隣に大きな化粧鏡があるのに、なぜこれを鏡だと認識したのか。何か映っていたか……。

 ぐっと写真に顔を寄せようとしたところ、和久さんに資料を閉じられた。

「これ以上へんなもん連れてくるんじゃねえよ。あの部屋から連れてきたのは、蜘蛛だけで十分だ」

 和久さんはそう言うと、これ以上付き合ってられんとばかりに、デスクへ戻って行った。後片付けは俺に任せるということだろう。

 きっと冗談なんだろうけど。

 まるでこの蜘蛛達が事件現場から紛れてきたみたいな物言いだ。男が蜘蛛に食われて跡形もなく消失する様を想像して、ぞっとする。であれば、卵から孵化した蜘蛛達は男を栄養にして生まれたのか。男の魂が「見つけてくれ」と、俺をここに誘い込んだのか。

 馬鹿な。

 それ以上考えるのはやめて、片付けに専念することにした。

 古いダンボールは解体して、新しいダンボール箱に四桁の数字を書き写す。唯一の資料を和久さんから受け取り、クリアファイルごとダンボール箱に突っ込む。洗面台の写真が抜かれているのには気付かなかったことにした。

「便所行って、手洗いうがいしてこい」

 そう言われて、しばらくして戻ってくると、保管室には殺虫剤が撒かれていた。

 それ以来、保管室で蜘蛛は見ない。

 その後もしばらく、たった一筋ひとすじだけ、例のダンボール箱から蜘蛛の糸が伸びていた。糸の先は、俺が蹴飛ばした一桁台のダンボール箱に繋がっていたが、しばらくすると消えていた。和久さんが片したのだろう。

 和久さんが几帳面だというのは、案外嘘じゃないのかもしれない。

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でりゅーじょん 香久山 ゆみ @kaguyamayumi

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