第三章 宇賀神との習合——蛇を頭に載せる

■宇賀神とは何者か


 弁財天の変容の中で、最も劇的なのが宇賀神との習合である。

 宇賀神うがじんは、日本で中世以降に信仰された神で、財をもたらす福神とされる。その姿は極めて奇怪だ。人間の頭を持ち、体は蛇。蛇の胴体がとぐろを巻き、その上に老人(あるいは女性)の顔が載っている。

 この宇賀神が、弁財天の頭の上に小さく載せられるようになった。これが「宇賀弁財天」である。

 宇賀弁財天の典型的な姿は、こうだ。八本の腕に武器を持った弁財天が座し、その頭上には小さな鳥居があり、鳥居の下にとぐろを巻いた蛇——蛇の頭は老人の顔——が載っている。

 インドのサラスヴァティーとは似ても似つかない姿である。これは純粋に日本で生まれた図像だ。



■宇賀神の出自


 では、宇賀神とはそもそも何者なのか。

 実は、よくわかっていない。

 「宇賀」という名については、日本神話の宇迦之御魂神うかのみたま(稲荷神の祭神)に由来するという説が一般的である。また、仏教語で「財施」を意味する「宇迦耶うがや」に由来するという説もある。

 いずれにせよ、宇賀神は記紀神話に登場しない。『古事記』にも『日本書紀』にも、蛇の体に老人の顔を持つ神は出てこない。

 穀霊神・福徳神として民間で信仰されていた神が、いつしか独自の図像を持つようになったのだろう。あるいは、弁財天との習合の過程で新たに「創作」された神だという説もある。

 十五世紀の日記『看聞日記』には、興味深い話が記されている。ある家で宇賀神を祀ったところ富裕になったが、昼寝している妻の体に蛇が乗っているのを見た夫が刀を抜いて蛇を追い払ったところ、元の貧乏に戻ってしまったという。宇賀神が蛇の姿で現れるという信仰があったことがわかる。



■比叡山での習合


 宇賀神と弁財天の習合は、比叡山延暦寺(天台宗)で進められたとされる。

 天台宗の教学において、様々な神仏が体系化される中で、民間の蛇神・宇賀神が仏教の弁才天と結びつけられた。この合一神は「宇賀弁才天」と呼ばれ、鎌倉時代後半には広く信仰されるようになった。

 宇賀弁財天の発祥地とされるのが、琵琶湖に浮かぶ竹生島である。竹生島宝厳寺には、頭上に宇賀神を載せた八臂の弁才天坐像が安置されている。この像が、宇賀弁財天の典型的な姿を示している。

 興味深いことに、弁財天と宇賀神の関連は、インドや中国の経典には一切見られない。日本で作られた偽経(正式な経典ではない文献)のみが、宇賀弁財天の像容について記述している。つまり、宇賀弁財天は純粋に日本で「創作」された神なのだ。



■なぜ蛇なのか


 では、なぜ弁財天に蛇が結びついたのか。

 第一に、水との関連がある。弁財天の原型サラスヴァティーは河川の女神である。蛇もまた、水と深く結びついた存在だ。蛇行する川の形は蛇そのものだし、蛇は水辺に棲む。水神としての共通性が、両者を結びつけた。

 第二に、穀霊としての蛇がある。蛇は田んぼや穀物倉に現れる。ネズミを捕食するため、穀物を守る益獣として大切にされた。蛇は穀霊・豊穣の象徴であり、これは財福をもたらす弁財天の性格と親和性が高い。

 第三に、再生・不死の象徴としての蛇がある。蛇は脱皮する。古い皮を脱ぎ捨てて新しい姿に生まれ変わる。この性質から、蛇は再生・不死・永遠を象徴する存在とされた。財が増殖し、福が再生産される——そのイメージと蛇は重なる。

 第四に、インドにおけるサラスヴァティーと蛇の関連がある。実は、サラスヴァティーにも蛇との結びつきがあった。川の神であるサラスヴァティーは、蛇の形をとることもあったという。この原初的なつながりが、日本で宇賀神との習合という形で顕在化したのかもしれない。

 いずれにせよ、宇賀弁財天の成立によって、弁財天は「蛇の女神」という新たな性格を獲得した。琵琶を弾く優美な天女は、頭に蛇を載せた奇怪な姿へと変貌したのである。

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