第二章 日本への伝来——二つの顔

■八臂の戦闘神


 サラスヴァティーは仏教に取り込まれ、「弁才天」として中国を経由し日本に伝わった。

 興味深いことに、日本に伝わった弁才天には、当初から「二つの顔」があった。

 第一の顔は、八本の腕(八臂はっぴ)を持つ戦闘神である。

 この姿の典拠は、八世紀に漢訳された『金光明最勝王経』である。同経の「大弁才天女品第十五」には、弁才天が眷属を率いて金光明最勝王経を護り、諸々の病苦を除く役割が記されている。八本の手には弓・矢・刀・さく・斧・長杵・鉄輪・羅索といった武器を持つとあり、戦闘神としての機能が強調されている。

 この経典は、奈良時代に聖武天皇が全国に配布し、国家鎮護の経典として重んじられた。弁才天は仏法を守護する天部として、護国の神としての性格を持っていたのである。

 日本最古の弁才天像は、東大寺法華堂(三月堂)に安置されている八臂の立像である。塑像で破損が甚だしいが、八世紀の作として貴重な遺品だ。



■二臂の音楽神


 第二の顔は、二本の腕(二臂)で琵琶を弾く音楽神である。

 この姿の典拠は、『大日経』とその注釈書『大日経疏』である。八世紀の僧・一行は、サラスヴァティーのことを「妙音楽天」とも「弁才天」ともいうと記している。

 胎蔵曼荼羅に描かれる弁才天は、二本の手で琵琶を奏する姿である。これはインドのサラスヴァティーがヴィーナを持つ姿に近く、音楽・芸術の神としての原型をよく留めている。

 八臂の戦闘神と二臂の音楽神——この二つの姿は、日本において互いに影響しながら変容していった。



■「弁才天」から「弁財天」へ


 平安時代から鎌倉時代にかけて、弁才天信仰は変化を遂げる。

 もともと「弁才天」と表記されていたのが、次第に「弁財天」と書かれるようになった。「才」は才能、「財」は財産。一字の違いだが、この表記の変化は、弁才天の性格が「知恵・芸術の神」から「財福の神」へと移行したことを示している。

 『金光明最勝王経』には、弁才天の陀羅尼を唱えれば所願が成就し、財を求めれば多くの財を得られるという記述がある。この財福を授ける神としての機能が、次第に前面に出てきたのだ。

 また、先述したラクシュミー(吉祥天)との混同も影響している。吉祥天は毘沙門天の妃とされ、富と幸運をもたらす女神として信仰されていた。弁才天と吉祥天は、ともに美しい女神、ともに福をもたらす神として、民間では区別されないこともあった。

 こうして、インドの学問・芸術の女神は、日本で「財」を授ける福神へと変貌を遂げていく。

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