第一章 サラスヴァティー——インドの河川女神

■聖なる川の神格化


 弁財天の原型は、古代インドの女神サラスヴァティーである。

 サラスヴァティーは、サンスクリット語で「水を持つもの」を意味する。もともとは、インド亜大陸を流れていた実在の川の名前だった。ヴェーダ時代(紀元前一五〇〇年〜前五〇〇年頃)には、インダス川とガンジス川の間を流れる大河サラスヴァティー川が聖なる川として崇拝されていた。

 この川は、やがて地下に潜って消えたとされる。川が消えた後も、サラスヴァティーへの信仰は残り、川の神格化から抽象的な女神へと変化していった。



■水から言葉へ——神格の転化


 興味深いのは、サラスヴァティーの神格が「水」から「言葉」へと転化したことである。

 川の流れは、淀みなく続く。言葉もまた、流れるように紡がれる。この類似から、サラスヴァティーは弁舌・言語・詩歌の女神とされるようになった。

 さらに、言葉を操る能力は知恵に通じる。知恵は学問に通じる。学問は音楽・芸術に通じる。こうして、サラスヴァティーは「水の女神」から「言葉・知恵・学問・音楽・芸術の女神」へと、その神格を拡張していった。

 ヒンドゥー教においてサラスヴァティーは、創造神ブラフマーの妻(あるいは娘)とされる。四本の腕を持ち、一組の手には数珠と経典を、もう一組の手にはヴィーナ(琵琶に似た弦楽器)を持つ姿で描かれる。白い衣をまとい、白鳥または孔雀を乗り物(ヴァーハナ)とする。

 純白のイメージは、知識の純粋さ、真理の明晰さを象徴する。インドでは今も、学問の神として学生たちに篤く信仰されている。



■ラクシュミーとの混同


 サラスヴァティーとしばしば混同されるのが、ラクシュミーである。

 ラクシュミーは、美・富・豊穣・幸運を司る女神で、維持神ヴィシュヌの妻とされる。ヒンドゥー教の天地創造神話「乳海撹拌」において、神々と阿修羅が海をかき混ぜた際に誕生したとされる。蓮華色の肌を持ち、金貨を放出する美しい姿で描かれる。

 サラスヴァティーは知恵と芸術、ラクシュミーは富と幸運——本来は別々の女神だが、ともに福をもたらす女神として、しばしば混同された。

 この混同が、日本における弁財天の性格に影響を与えている。「弁才天」(才能の天)が「弁財天」(財の天)と表記されるようになったのは、ラクシュミーの財福神としての性格が習合したからだと考えられる。

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