第四章 江戸時代——庶民への浸透
■天海僧正と幕府のお墨付き
七福神信仰が庶民に広く浸透したのは江戸時代のことである。
その普及に一役買ったとされるのが、徳川家康の政治参謀でもあった天海僧正だ。上野寛永寺の開祖である天海は、家康に「七福」の徳目を説いたという。
寿命、有福、人望、清廉、威光、愛敬、大量(大きな度量)——この七つを「為政者のあるべき姿」とし、七福神を信心することで七つの福が備わると説いた。
また、徳川家康が狩野派の絵師・狩野探幽に七福神を描かせたという逸話も伝わる。これを契機に、七福神の図像が広く知られるようになったともいわれる。
幕府の「お墨付き」を得たことで、七福神信仰は正統性を獲得した。もはや民間の俗信ではなく、為政者も認める「正しい」信仰となったのだ。
■宝船と初夢
江戸時代に広まった七福神信仰の象徴が「宝船」である。
七福神が宝物を積んだ船に乗っている図像は、現在最もポピュラーな七福神のイメージだろう。帆には「寳」「福」「壽」などの文字が書かれ、船には珊瑚、金銀、宝石が積み込まれている。
この宝船の絵には、しばしば次のような回文歌が添えられた。
「なかきよの とをのねふりの みなめさめ なみのりふねの をとのよきかな」
(長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな)
上から読んでも下から読んでも同じになるこの歌は、聖徳太子の作とも伝えられる。正月二日の夜、この歌を書いた宝船の絵を枕の下に敷いて眠ると、良い初夢を見ることができるとされた。
江戸の正月二日には、「お宝お宝ェー、宝船宝船」と呼び声を上げて宝船の絵を売り歩く「宝船売り」が現れた。「宝船を売る」は「幸福を得る」に通じる縁起担ぎで、商店の若旦那が売り歩くこともあったという。
もし悪い夢を見てしまったら、翌朝、宝船の絵を川に流して縁起直しをする。宝船は、夢の吉凶を操作する呪具でもあったのだ。
■七福神巡り——行楽としての信仰
江戸時代後期、文化文政年間(一八〇四〜一八三〇年頃)になると、「七福神巡り」が庶民の間で流行し始めた。
七福神を祀る七つの社寺を巡拝し、それぞれの福を授かろうという風習である。特に正月の七日間(松の内)に巡拝すると功徳が大きいとされた。
京都では「都七福神まいり」が日本最古の七福神巡りとされ、各地に同様のコースが設定されていった。江戸では谷中七福神、隅田川七福神、山手七福神などが人気を集めた。
七福神巡りは、信仰であると同時に「行楽」でもあった。日帰りで回れる手軽さ、名所旧跡を巡る楽しさ、茶店での休憩——伊勢参りのような大旅行ではなく、気軽な近郊散歩として楽しまれたのである。
民俗学者の宮田登は『江戸のはやり神』で、江戸の人々が新たな信仰の「流行」を創り出していったことを指摘している。七福神巡りは、まさにそうした「はやり神」文化の典型だった。
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