第2話 大型教習が始まる
今日から、大型二輪の教習が始まる。
普通二輪を取ったのは1週間前だ。道路を走ることなく大型に進んだ。
初めてバイクに触れた日の、あのぎこちない緊張と胸の高鳴りは、まだ身体のどこかに残っている。
“アクセルは添えるだけでいい”
あの日教官に言われた一言は、今も自分の乗り方の中心にある。
ただ、大型となれば話は違う。
普通二輪の教習で感じた「バイクって楽しい」という思いと、「扱えるのだろうか」という不安が、今日は半分ずつ胸の中で揺れ合っていた。
■ ロビーでの顔ぶれ
教習所のロビーに入ると、美奈子がすぐに声をかけてきた。
相変わらず情報がどこからともなく集まってくる人だ。
「樹さん、ついに大型? 聞いたよ、楽しみだって」
「そこまで言ってないよ」
笑いながら返すと、美奈子は小声で続けた。
「でも、普通二輪のとき綺麗に乗ってたって、何人か言ってたよ。あの人たちさ、樹さんのこと気になってるんじゃない?」
どこからが事実で、どこからが彼女の“収集力”なのかはわからない。
美奈子さんはほんと悪気のない人わ。
待合席には見覚えのある顔もいくつかあったが、ひとりだけ妙に視線を向けてくる男性がいた。
「同じ班ですね。今日から大型ですよね?」
少し距離感の近い、どこか照れたような笑顔。
「はい。よろしくお願いします」
「女性で大型って、なんかいいですよね。特別な感じがして」
その“特別”の意味を深く考えたくなかったので、樹は軽く会釈だけした。
この男性は後に、思わぬ形で樹の力になる。今はまだわからないだけだ。
■ 大型バイクの前で
コースへ出ると、大型独特の存在感に思わず立ち止まった。
普通二輪よりもひと回り大きく、重心も違う。
“扱えるのだろうか”という不安が胸の奥から浮きあがる。
そこへ、落ち着いた声がかかった。
「中村さん。普通二輪は問題なかったですね。大型は“力ではなく、タイミング”です。焦らず行きましょう」
担当の柏田教官だ。
説明は簡潔で柔らかく、どこか柏秀樹の講義を思わせる。
別の方向では、同じ班の男性がまたものすごい勢いで空ぶかししていた。
■ エンジンをかける瞬間
樹は大型の跨り方から指示を受けた。
腰を落とすと車体の重さが太ももにずっしり伝わる。
「重い……」
「大丈夫。重さは味方になりますよ」
柏田の声が落ち着いていた。
キーをオンにする。
最初の振動は普通二輪より深くて、腹の底に響く。
その瞬間、恐怖と高揚が一度に胸へ流れ込んだ。
「アクセルはほんの少し。呼吸と一緒に、見た方に進みますから気をつけて」
グローブに力が伝わりアクセルを開く。
大型特有の音が静かに鼓動した。
“走れるだろうか”という不安が、エンジンのリズムに少しずつ溶けていく。
空はまだ降り出さない。
一歩踏み出す前の、静かな灰色を保っていた。
次の更新予定
揺れない音の中で pure @pure2026
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