第5話 不可逆な変化

 歩き続けるうちに、私は気づいた。

 通りの家々が、少しずつ“私の部屋”になっている。

 玄関を開ければ、どの家も同じ机、同じ窓、同じ鏡。

 ただし、それぞれが違う欠け方をしていた。


 ある家では椅子の座面がなく、ある家では窓から外が見えず、ある家では天井がなくて雲が床に溜まっていた。

 そして、その欠けは私の部屋にも感染するように広がっていった。

 帰るたびに何かがひとつ消えている──

 最初は家具、次に本の中身、やがて私の記憶の断片までも。


 名前が思い出せない友人が増えた。

 道の曲がり角の先が、白い余白になった。

 昨日食べたはずの夕食が、皿ごと存在をやめた。


 ある夜、鏡の中を覗くと、ついに顔そのものがなくなっていた。

 輪郭も、空も、もうない。

 そこにはただ、見知らぬ誰かの背中が立っていた。


 背中はゆっくりとこちらを振り向こうとした。

 その瞬間、部屋全体が紙のようにめくれ、私はまた裏側へ落ちていく。


 今度の落下は、前回よりも速い。

 風は吹かず、ただ重力だけが私を引きずっていく。

 思わずポケットの中の切符を握りしめる。

 しかしそこにはもう何もなかった。


 ──ああ、これは戻れない種類の旅だ。

 そう理解したとき、私はすでに地平線の裏でも、現実でもない場所に着いていた。

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幻想鉄道 水到渠成 @Suito_kyosei

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