第2話 雲の下の市

 雲を突き抜けると、そこには市場が広がっていた。

 店先には「昨日しか売らないパン屋」や、「他人の記憶を量り売りする青果店」が並んでいる。

 客たちは皆、顔が白紙の便箋でできていて、風が吹くと表情ごと飛んでいった。


 私はとりあえず近くの屋台に近づく。

 看板にはこう書かれている。

『死後三日目のスープ』

 鍋の中では、透明な水が時計回りに回り、時折、見覚えのある家具や風景が浮かんでは沈んだ。


「お客さん、これ、温めますか?」

 振り返ると、屋台の主人は私自身だった。

 ただし、瞳の中に小さな月が二つ浮かんでいて、私をじっと見下ろしている。


「あなたは……いつの私?」

「あなたがまだ眠っていた頃のあなた」

 そう言って、主人はスープをよそい、私の手に押し付けた。

 器は氷のように冷たく、指先が凍りそうだったが、口をつけると確かに甘かった。

 甘さの奥に、遠くの汽笛が響く。


 その音を辿ると、また例の電車があった。

 車体はガラスの雨粒でできており、乗客たちは皆、逆さまに座って本を読んでいる。

 ホームには切符売りがいて、私の顔を覗き込みこう言った。

「次は“地平線の裏”行きです」


 私は問う。

「そこに行けば、生まれる前に置き忘れたものが見つかりますか?」

 切符売りは笑った。

「それは見つけるものじゃない。思い出さないために存在しているんです」


 汽笛が二度鳴り、電車は私を飲み込んだ。

 次の瞬間、景色が真っ黒になり、耳の奥で誰かが、まだ名前のない歌を歌い始めた。

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