005


「私、しばらく猫は飼えないなぁ」


 二人で公園のベンチに座って、野良猫たちを眺めていたとき、明日香がぽつりと言った。僕らが付き合い始めたころだったと思う。


「なんで?」

「あの子のこと、どうしても思い出しちゃうから」


 明日香の飼っていた猫は、車に轢かれてしまったらしい。

 朝方大学から帰ったら、家の前の道路で亡骸になっていたそうだ。


「子猫のときに両親が友達からもらってきてさ。やんちゃな女の子で、めっちゃ大食いで、私にすごく懐いてくれてた。一緒にご飯食べたり、一緒に寝たり、一緒に遊んだりして、死んじゃった日の朝も、いつも通りじゃれてたからさ」


 明日香の声は明らかに無理していた。聞いていられなかったけれど、止めることなんてもっとできなかった。


「……私、ちょっと変なんだ。どの猫を見ても、あの子に見えちゃうの」


 明日香は、確かそう言っていた。もしかしたら、今の僕と同じ状態だったのかもしれない。


「どうすれば、いいと思う?」


 あのとき、僕はなんて答えたんだっけ。


 ***


 処方された睡眠薬はどうやら新薬らしい。ネットで調べると、飲んだ途端に強い眠気が出るわけではなく、ゆっくりと自然に眠くなる効果があるようだった。半減期は約8時間で、副作用もほとんどみられないと書いてあった。


 これなら仕事にも影響はなさそうだと安心する反面、こんなときでも冷静に仕事のことを心配している自分に少し嫌気がさした。


 てのひらに乗せた白くて丸い錠剤をじっと眺めているうちに、自分が何をしたいのかがよくわからなくなってきた。


 なぜ僕は薬を飲もうとしているのだろう。

 猫が彼女に見えたとき、僕は確かに安堵していた。

 ちゃんと壊れたのだと思えたし、ちゃんと悲しめている証拠だとも思った。

 なのになぜ、それを治そうとしているのだろうか。壊れたという事実だけが手に入ればそれでよかったのだろうか。それが確認できた今はもう、消してしまいたいただの病状だと思っているのだろうか。

 そんなはずはない、とは頭では思う。

 けれど、その否定もまた、あらかじめ用意していた答えのようで、どこか白々しく感じられた。


 言葉にならない違和感が、頭の中で白い煙となって広がっていく。薄い眠気が脳に膜を張るように、思考がどんどん鈍っていくのを感じる。

 正しいかどうかではなく、決めること自体が、ひどく面倒になっていた。


「……もう出しちゃったしな」


 薬包から出した錠剤を元に戻すのも面倒で、そのまま飲み込んだ。


 そのままベッドに入り、何も考えないように、呼吸の回数だけを数え続けた。


 眠りに落ちる直前、そういえば、ずいぶん長い間夢を見ていないことに気づいた。

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