003
「最終的に、二人は付き合うと思うんだよなぁ」
明日香と僕が付き合う前、紗枝はよくそう言っていた。
紗枝は僕と明日香の共通の友人だった。明日香の中学時代からの幼馴染で、僕とは大学で知り合った。
温和で面倒見のいい性格が、そのまま顔に出ているような人だった。
すぐに酔うくせに飲みたがりの明日香に遅くまで付き合わされても嫌な顔ひとつせず、翌日の一限には必ず十分前に着いているような、そういう真面目さを持っていた。
「なんでだよ。性格、真逆だろ」
「真逆だからいいんじゃない」
わかってるくせに、と紗枝は笑った。
彼女と話していると、自分の考えの深いところまで見透かされているような気がした。それでも、不快ではなかった。
僕が明日香を選ぶことを見抜いていたのは、紗枝が二人の性格をよく理解していたからだと思っていた。
明日香が死んだとき、一番泣いたのは紗枝だった。
訃報を聞いた瞬間は見たこともないほど取り乱し、病院で変わり果てた姿を見たときには、大粒の涙を止めどなく流していた。
葬儀の頃には、涙は出し尽くしてしまったようだった。
形式的に施された化粧の下で、顔は乾いた花弁のように見えた。それでも、出棺のときには、乾いた涙が頬を伝っていた。
その横顔を見て、僕は、紗枝が正しいと思った。
同時に、火葬後の明日香を前にしても涙ひとつ流さず、焦げついた白骨を淡々と処理している自分は、どう考えても異常なのだとも思った。
「――そういうわけで、僕は今、街中の猫が明日香に見えているみたいなんだ」
待ち合わせ場所にした喫茶店には、くたびれた高級感と老獪な空気が漂っていた。耳を澄ませば、どこからかきな臭い儲け話が聞こえてきそうだった。
向かいに座る紗枝は、恐ろしいほど無表情だった。
彼女の前には、店で一番安くて量の少ないコーヒーだけが置かれている。
「……どうして、私にそんな話をするの?」
紗枝と会うのは、明日香の葬儀以来だった。
一気に老け込んだように見え、かつての柔らかな雰囲気は見る影もない。
「こんな話、紗枝にしかできないだろ」
「なぜ?」
「なぜって……明日香のことも、僕のこともよく知っているし。なにより医者だから」
紗枝は、ぎゅっと強く目をつぶった。
瞼で眼球を押しつぶそうとしているように見えるほどだった。
たっぷり十秒ほどの沈黙のあと、彼女は意図的に感情を殺したのがはっきりわかる口調で言った。
「それで、私にどうしてほしいの?」
「症状としてあり得るのか、意見を聞きたいんだ。一応、僕なりに調べてみたんだけど、似た症例が見つからなくて。幻視が一番近いのかなとは思うんだけど、ここまではっきり見えるケースはなかったし……原因がわからないと、治療もできないだろ」
僕の言葉を遮るように、紗枝は目を開けた。
「……治療したいの?」
声が、わずかに震えていた。
「ああ、もちろん。困ってるんだよ。こんなことになって」
「じゃあ、なんで」
――さっきから、そんなに嬉しそうなの?
紗枝は、僕をまっすぐに見ていた。
抑え込まれていた感情が、言葉の端から滲み出ている。その正体は、怒りだった。
「ねえ、明日香が死んだことがそんなに嬉しい?」
「そんなわけないだろ」
「婚約者が亡くなって苦しいのはわかるよ。でも、そんな解消のしかたっておかしいでしょ」
「だから、そんなこと――」
「でも嬉しいんでしょ? 自分がおかしくなれたことが。そのことについて、私にお墨付きをもらいに来たんでしょ?」
息が詰まった。
「……違う。滅多なこと言うな」
返事は、明らかにワンテンポ遅れていた。
感情ではなく、そう言うべきだと判断した間だった。
「私ね、あんまり他人に対して、こういう感情を持ったことがないから、うまく言えないんだけど」
すごく気持ち悪いよ。
もう二度と、私の前に現れないでほしい。
僕たちのテーブルの周りだけ、真空になったようだった。
別のテーブルの話し声が、やけにはっきりと耳に入る。
「酷いこと言ってごめんね。本当に困ってて治療したいなら、精神科か心療内科を受診するのがいいと思う。私は担当外だから」
そう言って、紗枝はカップを掴み、立ち上がった。
僕は、引き留めることも、立ち上がることもできなかった。
「明日香とあなたがお似合いだって言ったこと、今でも後悔してる。もう、全部遅いけど」
去っていく背中を、僕はただ見送ることしかできなかった。
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