第6小節 それ、夢じゃないやつだろ
夕方、寮の廊下はひんやりとしていた。
古い木材が昼の熱を吐き出しきれず、踏むたびに微かに軋む。拆音は、買い出しで使った紙袋を片付け終え、リビングへ戻ろうとしていた。
そのとき、玄関の方から金管のケースがぶつかる鈍い音がした。
「あ、やべ」
共史の声だ。
ドアが閉まり、靴を脱ぐ音が続く。ホーンケースを肩から下ろしながら、共史は何気ない調子で言った。
「なあ拆音」
「ん?」
「今日、森行った?」
拆音の足が、一瞬止まった。
共史はそれに気づかないふりをして、リビングの椅子に腰を下ろす。ケースを開け、スワブで楽器の手入れを始める。完全に“ついで”の話題みたいな顔だ。
「……なんで分かったの」
拆音がそう返すと、共史はふっと笑った。
「靴」
「え?」
「土、めちゃんこついてるぞ」
共史はちらりと視線をやるだけで、それ以上は追及しない。
「別にいいけどな。散歩なら」
スワブでサクソフォンを手入れしながら、続ける。
「でもさ。あそこ、目的もなく行く場所じゃなくね?」
拆音は、答えに詰まった。
夢だったかもしれない。
そう言い切ってしまえば、楽なのに。
「……行ってみただけ」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
共史は「ふーん」とだけ言って、サクソフォンをしまう。
それで話は終わり、のはずだった。
けれど。
「まあ」
立ち上がりながら、共史は付け足す。
「もしさ、変な音とか聞こえたなら」
言いかけて、少しだけ間を置く。
「——それ、夢じゃないやつだと思うよ」
拆音は、思わず共史を見た。
「な、なにそれ」
「勘」
それだけ言って、共史は肩をすくめる。
「俺、音に関しては外したことないから」
冗談めかした口調だった。
けれど、拆音の胸の奥で、何かが静かに鳴った。
——やっぱり、夢じゃなかったのかもしれない。
そう思った自分に、少し驚く。
共史はそれ以上、何も言わなかった。
けれどその夜、拆音は久しぶりに、夢を見ることを少しだけ怖いと思った。
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