第15話 ナンパ

# 君の嘘は僕の真実。僕の嘘は君の嘘


## 第15話 ナンパ


**美咲の日記より**


ゴールデンウィーク3日目。


今日も、響さんのところに行きたい。


行こうと思っていた。


朝からずっと、そう思っていた。


でも。


美咲は、駅のホームに立っていた。


電車を待ちながら、スマホを見る。


響さんからのメッセージはない。


当たり前だ。響さんは、メッセージを送るという発想すら、忘れているかもしれない。


お母さんからは、メッセージが来ていた。


『今日は、午後から行きます。午前中、美咲さんお願いできますか』


『わかりました』


返信して、スマホをしまう。


電車が来た。


乗り込む。


病院までは、三駅。


それから、徒歩十五分。


窓の外を見る。


ゴールデンウィークの街は、いつもより人が多い。


家族連れ。カップル。友達同士。


みんな、楽しそうだ。


電車が、駅に着いた。


美咲は降りた。


改札を出て、病院への道を歩く。


いつもの道。


でも、今日は何か違う気がした。


「ねえ、ちょっといい?」


後ろから声がした。


振り返ると、男が立っていた。


二十歳くらい。大学生らしき格好。


「すみません、急いでるので」


美咲は、そのまま歩こうとした。


「待ってよ。ちょっと話そうよ」


男が、美咲の横に並んだ。


今時、ナンパって……。


美咲は、無視しようとした。


気にしないフリをして、早足で歩く。


「無視しないでよ。LINE交換しようよ」


「結構です」


美咲は、きっぱり言った。


「冷たいなあ。ちょっとくらいいいじゃん」


執拗に追いかけてくる。


美咲は、大通りを避けて、路地裏に入った。


病院までのショートカット。


いつも使う道。


人通りは少ないけど、早く着ける。


「おっ、こっちの道行くんだ」


男が、ついてくる。


それでも追いかけてくる。


美咲の心臓が、早鐘を打ち始めた。


「あの、本当に急いでるので」


「俺も暇だから、一緒に行くよ」


男が、距離を詰めてくる。


美咲は、早足になった。


路地裏は、静かだった。


誰もいない。


「ねえ、そんなに急がなくても」


男の手が、美咲の腕を掴んだ。


「やめてください!」


美咲は、声を上げた。


でも、周りには誰もいない。


「いいじゃん、ちょっとくらい」


男の手が、強く腕を引っ張る。


気持ち悪い!


美咲は、腕を振り払った。


勢いがあったのか。


男は、バランスを崩した。


後ろ向きに倒れる。


受け身を取ることなく。


頭から。


ゴン、という鈍い音。


男は、地面に倒れた。


動かない。


美咲は、その場に立ち尽くした。


「あの」


声をかける。


男は、反応しない。


「大丈夫ですか」


近づく。


男の頭から、赤い血が流れていた。


地面に、血溜まりができていく。


美咲の手が、震えた。


「嘘」


小さく呟いた。


「嘘でしょ」


膝が、ガクガクする。


立っていられない。


美咲は、その場にしゃがみ込んだ。


「大丈夫ですか!」


もう一度、声をかける。


でも、男は動かない。


血が、どんどん流れる。


美咲の頭が、真っ白になった。


どうしよう。


救急車。


呼ばなきゃ。


美咲は、スマホを取り出した。


手が震えて、うまく操作できない。


119。


番号を押す。


『119番です。火事ですか、救急ですか』


「救急です」


美咲の声が震えている。


『場所を教えてください』


「え、と」


場所。


ここは、どこだ。


「わかりません。病院に行く途中で」


『落ち着いてください。近くに目印はありますか』


美咲は、周りを見回した。


「コンビニが見えます。ファミリーマートです」


『わかりました。どのような状況ですか』


「男の人が、倒れて、頭から血が出てます」


『意識はありますか』


「ありません」


『呼吸は?』


美咲は、男に近づいた。


顔を近づける。


呼吸の音が、聞こえない。


「わかりません」


『今から救急車を向かわせます。その場を動かないでください』


「はい」


電話が切れた。


美咲は、男の横にしゃがんだ。


血が、まだ流れている。


止めなきゃ。


でも、どうやって。


美咲は、鞄からハンカチを取り出した。


男の頭に当てる。


ハンカチが、すぐに赤く染まった。


「お願い、死なないで」


美咲は、小さく呟いた。


「お願い」


涙が流れた。


私が、やったんだ。


私が、腕を振り払ったから。


私のせいで。


「ごめんなさい」


美咲は、何度も謝った。


「ごめんなさい」


サイレンの音が聞こえた。


近づいてくる。


救急車だ。


美咲は、立ち上がった。


路地裏の入り口で、手を振る。


「こっちです!」


救急車が止まった。


救急隊員が飛び出してくる。


「どうしましたか」


「倒れて、頭から血が」


救急隊員は、男の様子を確認した。


「意識なし。呼吸微弱。すぐに搬送します」


男が、ストレッチャーに乗せられる。


「あなたは、どういう関係ですか」


救急隊員が聞いた。


「私は、その」


美咲は、言葉に詰まった。


「通りすがりです」


「状況を教えてください」


「その人が、私に話しかけてきて。腕を掴まれて。振り払ったら、倒れて」


救急隊員は、メモを取った。


「わかりました。警察にも連絡します」


警察。


その言葉に、美咲の心臓が止まった。


「あなたも、一緒に来てもらえますか。事情を聞かせてください」


「はい」


美咲は、救急車に乗った。


男は、ストレッチャーに横たわったまま。


顔色が、青白い。


救急隊員が、何か処置をしている。


「呼吸が弱い。急いで」


救急車が、走り出した。


サイレンが鳴る。


美咲は、窓の外を見た。


病院に行くはずだった。


響さんのところに。


でも、今は。


救急車の中。


知らない男と一緒に。


美咲は、スマホを見た。


お母さんからのメッセージ。


『午後から行きます』


返信しなきゃ。


でも、何て書けばいい。


美咲は、スマホをしまった。


救急車が、病院に着いた。


でも、違う病院。


響さんがいる病院じゃない。


男が、運ばれていく。


「あなたは、こちらで待っててください」


救急隊員に言われて、美咲は待合室に座った。


一人。


時計を見る。


11時。


響さん、待ってるかな。


いや、待ってない。


私のこと、覚えてないかもしれない。


美咲は、顔を覆った。


どうしてこんなことに。


私は、ただ病院に行こうとしていただけなのに。


時間が過ぎる。


30分。


1時間。


警察が来た。


「桜井美咲さんですね」


「はい」


「事情を聞かせてください」


美咲は、状況を説明した。


ナンパされたこと。


無視したこと。


路地裏に入ったこと。


腕を掴まれたこと。


振り払ったこと。


全部。


警察官は、メモを取っていた。


「わかりました。今のところ、正当防衛の可能性が高いです」


「その人は」


「まだ、手術中です」


手術。


「重傷ですか」


「頭部外傷です。詳しくは、医者から説明があると思います」


警察官は、立ち上がった。


「また、連絡するかもしれません」


「はい」


警察官は去った。


美咲は、また一人になった。


スマホが震えた。


お母さんからだった。


『美咲さん、まだですか? 響が待ってます』


美咲は、返信した。


『すみません。少し遅れます』


すぐに返事が来た。


『大丈夫ですか?』


大丈夫じゃない。


でも、そうは書けない。


『大丈夫です。すぐに行きます』


嘘だ。


また嘘をついた。


でも、本当のことは言えない。


美咲は、待合室で待ち続けた。


2時間後。


医者が出てきた。


「桜井さん」


「はい」


「患者さんは、手術が終わりました」


「助かったんですか」


「命に別状はありません。ただ、頭部に損傷があるので、しばらく入院が必要です」


美咲は、安堵のため息をついた。


死ななかった。


よかった。


「意識は?」


「まだ戻っていません。数日かかるかもしれません」


美咲は、頷いた。


「わかりました」


医者は去った。


美咲は、病院を出た。


外は、まだ明るかった。


でも、美咲の心は暗かった。


響さんのところに、行けなかった。


約束を、破った。


美咲は、スマホを見た。


お母さんから、メッセージ。


『響が、美咲さんはいつ来るのかって、何度も聞いてます』


涙が溢れた。


「ごめんなさい」


小さく呟いた。


「ごめんなさい、響さん」


美咲は、電車に乗った。


響さんがいる病院に向かう。


着いたのは、夕方だった。


病室のドアを開ける。


「美咲さん!」


お母さんが、安堵の表情を浮かべた。


「遅くなって、すみません」


「大丈夫。何かあったの?」


「いえ、その」


美咲は、響さんを見た。


響さんは、ベッドに座っていた。


美咲を見て、首を傾げた。


「誰?」


その言葉が、美咲の心に突き刺さった。


「美咲です」


「美咲……」


響さんは、少し考えた。


「ああ、美咲か。遅かったね」


待っててくれた。


覚えていてくれた。


美咲は、涙をこらえて微笑んだ。


「はい。ごめんなさい」


「いいよ」


響さんは、窓の外を見た。


「もう、夕方だね」


「そうですね」


美咲は、椅子に座った。


手が、まだ震えていた。


あの男の血。


あの光景。


全部、頭から離れない。


でも、ここでは言えない。


響さんを、心配させたくない。


美咲は、いつものように微笑んだ。


でも、その笑顔は、いつもより重かった。

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