第5話 頭痛
# 君の嘘は僕の真実。僕の嘘は君の嘘
## 第5話 頭痛
朝起きてから、頭が痛い。
目覚ましを止めて、ベッドから起き上がろうとした瞬間、頭の奥がズキンと脈打った。
こめかみを押さえる。痛みは収まらない。
前痛くなった時よりも、痛みが増しているような気がする。
前っていつだ?
思い出せない。でも、確かに前にもあった。この痛み。
洗面所で顔を洗う。鏡に映る自分の顔は、少し青白い。
田中の言葉を思い出す。「顔色悪いですよ」
薬箱を開けた。鎮痛剤。白い錠剤が並んでいる。
二錠、手のひらに出す。でも、飲む前に手が止まった。
これ、今日の朝の薬だっけ。それとも、頭痛薬?
ラベルを見る。「ドネペジル」と書いてある。
知らない名前だ。
俺は、その錠剤を戻して、別の鎮痛剤を飲んだ。
会社に着くと、美咲がすでにいた。
「おはようございます」
「……おはよう」
俺は自分のデスクに座った。モニターの光が眩しい。
「響さん、大丈夫ですか」
美咲が心配そうに覗き込んできた。
「ああ、ちょっと頭が痛くて」
「お薬、飲みました?」
「飲んだ」
「それでも痛いんですか」
「まあ、そのうち治るだろ」
美咲は眉をひそめた。
「病院、行った方がいいんじゃないですか」
病院。
CTを撮ると、お金がかかる。
それが唯一の気がかりな点だ。
「大丈夫だよ」
「でも」
「大丈夫」
俺は少し強く言った。
美咲は、それ以上何も言わなかった。
午前中、会議があった。
会議室に入ると、蛍光灯の光が目に刺さった。
部長が何か説明している。資料を配っている。
俺は資料を受け取って、目を通した。
文字が並んでいる。でも、頭に入ってこない。
「響さん、どう思います?」
部長が俺に話を振った。
「……すみません、もう一度お願いします」
「今回の企画について、営業部との連携をどうするかって話です」
営業部。連携。
何の話だったか、思い出せない。
「そうですね……」
俺は適当なことを言おうとした。でも、言葉が出てこない。
頭が痛い。ズキズキと。
「体調悪そうですね。後で個別に話しましょうか」
部長は優しく言った。
「すみません」
会議が終わって、俺は自分のデスクに戻った。
頭を抱える。痛みが増している。
「響さん」
美咲の声がした。
「水、持ってきました」
彼女はコップを差し出した。
「ありがとう」
俺は水を飲んだ。冷たい水が喉を通る。
でも、頭痛は治まらない。
「やっぱり、病院行ってください」
「……」
「お金のこと、心配してるんですか」
美咲は、俺の顔を見た。
「そういうわけじゃ」
「嘘」
また、その言葉。
「響さん、顔に出てます」
俺は何も言えなかった。
「CTって、そんなに高くないですよ」
「詳しいんだな」
「母が、前に撮ったことがあるんです」
美咲は椅子を引いて、俺の隣に座った。
「響さん、これ、いつからですか」
「何が」
「頭痛」
いつから。
でも、この頭痛は、いつからだったんだろう。
「……覚えてない」
「覚えてない?」
「気づいたら、痛かった」
美咲は少し考え込んだ。
「前にも、ありましたか」
「たぶん」
「たぶん?」
「あった気がする。でも、いつかは……」
言葉が途切れた。
美咲は、俺のデスクの引き出しを見た。
「あのノート、使ってますか」
「ノート?」
「病院で、メモを取るようにって言われたノート」
ああ、あれか。
「たまに」
「見せてもらえますか」
俺は引き出しを開けた。ノートを取り出す。
美咲はそれを受け取って、ページをめくった。
『美咲のことを、忘れないように』
最初のページを見て、彼女は息を呑んだ。
「これ……」
「何?」
「いつ、書いたんですか」
「さあ」
「覚えてないんですか」
「覚えてない」
美咲は、次のページをめくった。
そこには、日付と症状が書いてあった。
『4月8日 頭痛 軽い』
『4月12日 頭痛 中程度』
『4月18日 頭痛 強い』
『4月22日 頭痛 かなり強い』
『4月26日 頭痛 激しい』
俺の字だった。
でも、書いた記憶がない。
「響さん、これ……」
美咲の声が震えていた。
「どんどん、悪化してます」
「そうなのか」
「今日は何日か、わかりますか」
「4月……」
何日だ?
「27日です」
美咲が言った。
「明日、病院に行ってください」
「でも、仕事が」
「私が部長に話します」
「そんなこと」
「お願いです」
美咲は、俺の手を握った。
冷たい手。いや、俺の手が冷たいのか。
「行ってください」
俺は、頷いた。
その日の午後、俺は早退した。
美咲が部長に説明してくれたらしい。
駅まで歩く間、頭痛はずっと続いていた。
ズキン、ズキンと。
電車に乗る。座席に座って、目を閉じる。
スマホが震えた。
美咲からのメッセージだった。
『明日、一緒に病院に行きます。一人で行かせません』
俺は返信しようとした。
でも、何を書けばいいのかわからなくて、結局何も送らなかった。
家に着いて、ベッドに倒れ込んだ。
天井を見つめる。
白い天井。
この天井を、何回見たんだろう。
俺は、目を閉じた。
夢を見た。
誰かが泣いている。
女性の声。
「忘れないで」
そう言っている。
「忘れないで、お願い」
俺は、その声に手を伸ばした。
でも、届かない。
目が覚めた。
部屋は暗かった。
時計を見ると、夜の十時を過ぎていた。
スマホを確認する。
美咲から、もう一通メッセージが来ていた。
『明日、8時に駅で待ってます。絶対に来てください』
俺は、枕元のメモ帳を取った。
美咲がくれた、小さなメモ帳。
ペンを走らせる。
『明日、美咲と病院。8時、駅』
それから、もう一行。
『頭痛、いつから? わからない』
書き終えて、メモ帳を閉じた。
頭痛は、まだ続いていた。
でも、少しだけ。
ほんの少しだけ、気持ちが楽になった気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます