第21話

 夜明けは、噂より早く来なかった。


 宿場町の空は薄い灰色のまま、空気だけが冷たくなっていく。窓の外にはまだ人影がある。巡回ではなく、見張り。眠っていない目が、こちらの動きを待っている。


 セラフィナは寝台に座らず、机に紙を広げた。


 今日やるべきことは一つ。


 “偽印”を追う。


 偽印を追えば、宿場の糸が見える。糸が見えれば、次の“聖堂休憩”命令を拒否する理由が作れる。


 拒否できなければ、聖堂は牢になる。


     ◆


 早朝、マラが先に動いた。


 商会の伝令は足が早い。顔が広い。宿場の女将から聞き出した仕入れ先、紙の供給元、印章を扱う工房の名――それらを短い言葉で繋いでいく。


 マラは戻ってくるなり、セラフィナへ言った。


「出所、二つに割れてる。紙自体は宿場の文具屋。でも印のインクが違う。あれ、うちの正規じゃない」


「偽インク」


「そう。あと、文具屋の裏に“寄進箱”がある。教会の。そこに帳簿が繋がってる」


 セラフィナは頷いた。


「寄進箱は便利ね。金が消えても、神のせいにできる」


 マラが乾いた笑いを漏らす。


「神って便利」


 便利なものほど、悪用される。王都で彼女を殺したのも、“便利な物語”だった。


 セラフィナは立ち上がる。


「文具屋へ行く。――ただし正面からではない」


「もちろん」


 マラが頷く。


「表から行けば『破門者が脅した』になる。裏から行こう」


     ◆


 文具屋は宿場の端にあった。朝の光が差し、店主はすでに帳面を開いている。普通の商人の顔だ。だが普通の顔ほど、糸を引かれている。


 セラフィナは店に入らず、隣の路地から声をかけた。距離を取る。威圧に見せないためだ。


「あなたの紙が、宿場代官補佐の書面に使われていた」


 店主がこちらを見て、警戒の色を出す。


「……それが何だ」


 マラが一歩前へ出て、商会の印章を見せた。


「うちの系列印が、勝手に使われてる。あなたの店の紙で」


 店主の目が僅かに揺れる。商会は怖い。教会よりも即物的に怖い。


「俺は知らねえ。紙を売っただけだ。印なんて――」


 セラフィナが淡々と切り込む。


「印ではなく、インク。あなたの店で扱っている“黒”が、商会の正規と違う。――誰が持ち込んだ」


 店主が口を開けて閉じる。答えれば教会に切られる。答えなければ商会に潰される。


 だから彼は、第三の逃げ道を探す。


「……寄進だよ」


 店主が吐き捨てるように言った。


「白衣が来て、寄進だって言って、紙とインクをまとめて買っていった。俺は売っただけだ。寄進箱の札も見せられた。断れねえ」


 寄進箱。やはり。


 セラフィナは頷いた。


「白衣の名は」


「知らねえ。名乗らねえ。……でも、珠を二本持ってた。祈り珠じゃない。首じゃなく、手に巻いてた。癖みたいに指で弾いてた」


 マラが小さく言った。


「それ、うちが知ってる“教会の調達係”の仕草」


 セラフィナは店主へ言う。


「寄進箱の札は偽物の可能性がある。――あなたが売った記録、残ってる?」


 店主が渋る。


「……残ってるけど」


「出すなら、あなたを守る」


 セラフィナは即答した。


「出さないなら、あなたは“共犯”になる。共犯は教会にも商会にも捨てられる」


 脅しではない。現実だ。現実は脅しより効く。


 店主は震える手で帳簿を引きずり出した。


 日付。数量。支払い。支払いの名目は「寄進代理」。支払者の名はない。だが、印がある。


 宿場代官補佐の印――ではない。


 小さな棘の印。


 ブラックソーンの棘に似せた、粗い縫い目のような印。


 セラフィナの胃が冷たくなる。


 彼らは、彼女の領地の印を“偽造”している。


 つまり噂をこう作る。


 ――破門者が領地の印で宿場を動かし、民を脅した。


 マラが歯を食いしばる。


「……うちの商会印と、領地の偽印。二重で汚してる」


「ええ。糸が二本」


 セラフィナは淡々と言い、帳簿の写しを取らせた。


「ありがとう。あなたの店は守る。――今日中に商会の護衛を回す」


 マラが頷く。


「やる。教会の調達係が戻ってきたら、尻尾を掴める」


 セラフィナは店主へ最後に言った。


「もし白衣が来たら、何も言わなくていい。店を閉めて、裏戸から逃げて。命が一番よ」


 店主は言葉も出さず頷いた。


     ◆


 宿屋へ戻る途中、セラフィナはレイヴンの副官を呼び止めた。


「隊長に伝えて。――寄進箱経由で偽印が作られ、宿場の書面に使われていた。帳簿の写しがある」


 副官の目が僅かに変わる。


「……それは大きい」


「大きいのは、これ」


 セラフィナは写しの端を指で叩いた。


「ブラックソーンの棘を模した偽印。――つまり、私の領地の名を使って噂を作る準備」


 副官が息を呑む。


「……聖堂休憩命令を拒否できるか」


「拒否できる」


 セラフィナは言った。


「聖堂に入れば、偽印の書面が山ほど作られる。王家がそれを守れないなら、護送の形が崩れる。形が崩れれば、王家の責任になる」


 副官は頷き、すぐレイヴンの部屋へ走った。


 噂は速い。だから紙も速くなければならない。


     ◆


 正午前、レイヴンが広間へ降りてきた。顔は冷たいが、昨日より少し硬い。責任の匂いを嗅いだ顔だ。


 彼は短く言った。


「聖堂休憩命令は、変更する。――王道沿いの関所で一泊だ。教会の庭は踏まない」


 マラが小さく息を吐く。


「勝った」


「一手だけ」


 セラフィナは淡々と返す。


「糸は切れてない。避けただけ」


 レイヴンがセラフィナを見た。


「……お前の紙は役に立つ。だが覚えておけ。王都では紙だけでは足りない」


「知っている」


 セラフィナは静かに言った。


「だから、紙の外に“現実”を作り続ける」


 レイヴンは何も言わず踵を返した。


 護送隊が動き始める。宿場町の人々が見送る。見送る目の中に、白衣の目が混じっている。


 彼らは笑っていない。


 彼らは計算している。


 道中の舞台は、まだ続く。


 だが今日、セラフィナは一つだけ確信した。


 教会は、噂を作るだけではない。


 印を作る。


 帳簿を作る。


 “記録”を偽造して、真実を殺す。


 なら、こちらも同じ土俵で勝つしかない。


 偽造の糸を、引きずり出して切る。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

婚約破棄? 結構です。――ならば辺境を頂き、あなたたちを跪かせましょう :333 @xhismo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画