第4話 女王の初仕事
あの日、デビュタントの夜。
ヴィオレッタ・アレクサンドリナ・ブリタニアは、人生で初めての「わがまま」を決意した。
――ルシアン・フォン・ヴァイセンブルクが欲しい。
理由は単純だった。
彼だけが、ヴィオレッタを「国の器」としてではなく、「ただの人間」として見てくれたから。
彼がそばにいる時だけ、押しつぶされそうな《王冠魔法》の重圧が消え、呼吸ができるから。
けれど、現実は無情だった。
母であるケンブリッジ公妃は、冷ややかに告げたのだ。
「ヴァイセンブルクの第二王子? なりません。我が国の外交益を考えなさい」
王女である限り、ヴィオレッタは母の操り人形(カード)に過ぎない。
誰と結婚し、誰を愛するかさえ、自分では決められない。
普通の少女なら、ここで枕を濡らして諦めるだろう。
だが、ヴィオレッタの初恋は、少しばかり――いや、かなり重かった。
(……お母様が許さないなら、お母様より偉くなればいいだけだわ)
その日、王女の瞳に、初めて野望の火が灯った。
女王陛下に、私はなる。
この国の頂点に立ち、何者にも指図されない「最高決定権」を持てば、誰が文句を言えようか。
動機は不純率100%。けれど、その努力は涙ぐましいほどに真面目だった。
※
それからの二年間、ヴィオレッタは頑張った。
それまでも優秀だったが、鬼気迫るほどの勤勉さを発揮し始めたのだ。
複雑怪奇な法典を暗記し、誰もやりたがらない地方視察へ赴き、議会の対立を笑顔で仲裁した。
「非の打ち所がない、王位継承者になってみせる」
深夜、目の下に隈を作りながら、彼女は外交文書を読み漁る。
眠い。辛い。逃げ出したい。
でも、この書類の山の向こうに、眼鏡をかけたあの人の顔があると思えば、不思議と力が出た。
周囲は彼女を称賛した。
『慈悲深く、勤勉な王女殿下』
『国を憂う、聖女のようなお方』
違う。
そうじゃない。
ヴィオレッタはただ、愛する人を隣に迎える為に、必死で努力している、ただの恋する乙女なのだ。
しかし、その姿はあまりにも一途で、そして、目標が少しだけ普通ではなかった。
天は、そんな彼女の執念に味方したのか、あるいは残酷な試練を与えたのか。
上位継承者の病、スキャンダル、相次ぐ不運。
あれよあれよという間に、継承順位は階段を二段飛ばしで駆け上がっていった。
十八歳の誕生日、その朝。
まだ夢の名残がまぶたに絡みつく時間帯に、寝室の扉が静かに開く。
「おはようございます、陛下」
珍しいことに、起こしに来たのは女官長――メリッサ伯爵夫人だった。
「……おはよう、メリッサ。今日はずいぶん早いのね……」
ヴィオレッタは朝に弱い。
昨夜も書類仕事が長引き、頭は半分、枕に沈んだままだ。
(……ん? 今、なんて?)
「おはようございます」
メリッサは、完璧に整えられた笑顔のまま、もう一度だけ繰り返す。
「――あなたは、本日より女王陛下でいらっしゃいます」
「……はいぃっ?」
情けない裏返り声が、天蓋付きの寝室に響いた。
国王の崩御に伴い、今朝、王冠は正式に行き先を決めた。
こうしてヴィオレッタ・アレクサンドリナ・ブリタニアは、
パジャマ姿のまま、女王になったのである。
※
即位式の日。
王冠を戴き、ヴィオレッタは民衆の前で宣誓した。
その瞬間、《王冠魔法》の全権限が、彼女の華奢な体に流れ込んだ。
国そのものを背負う重圧。
数百万の民の命、経済、外交、そのすべてが彼女の双肩にかかる。
ヴィオレッタは真面目だった。
真面目すぎたからこそ、その重さを真正面から受け止めてしまった。
(私がしっかりしなきゃ。私が揺らげば、国が揺らぐ)
女王となった彼女は、完璧であろうとした。
だが、それは同時に、彼女を深い孤独へと突き落とすことになった。
女王は、常に守られている。
分厚い壁と、儀礼と、制度によって。
誰も女王に、無防備に近づかない。誰も彼女を「ヴィオレッタ」とは呼ばない。
弱音を吐くことは許されない。
涙を見せることは、国の動揺に直結する。
対等に弱さをさらけ出せる場所など、この国のどこにもなかった。
夜、広すぎる執務室。
山積みの決裁書類を片付け終えたヴィオレッタは、ふとペンを止めた。
静かすぎる。
カチ、カチ、と時計の針の音だけが響く。
「……あいた、い」
ぽつりとこぼれた言葉は、誰にも届かずに消える。
王冠の魔力が、血管を冷たく巡る。
国のために自分を殺し、感情を押し殺す日々。
選んだ道だ。わかっている。
ルシアンを手に入れるために、自分で望んだ玉座だ。
けれど、あまりにも寒かった。
――限界だった。
このままでは、心が凍りついて、壊れてしまう。
震える手で、彼女は引き出しを開けた。
最高級の羊皮紙。
公的な文書にのみ使用が許される、王家の紋章が入った便箋。
宛先は、ヴァイセンブルク公国。第二王子、ルシアン・フォン・ヴァイセンブルク。
これは、女王としての公務だ。
即位を祝う夜会への招待状。外交的な意味合いを持つ、政治的な文書。
けれど、ヴィオレッタにとって、それは血を吐くようなSOSだった。
文面は、完璧な外交儀礼に則って書いた。
でも、インクの一滴一滴に、二年分の重すぎる愛と、押しつぶされそうな孤独を込めてやった。
「……来なかったら、国交断絶してやるんだから」
涙目で鼻をすすりながら、ヴィオレッタは小さく呟いた。
それは、孤独な女の子の精一杯の強がりだった。
彼女は封蝋を垂らし、王家の印章を力強く押し付けた。
ジュッ、という音が、まるで逃げ場を塞ぐ焼き印のように響く。
ただ、彼に会いたかった。
世界で一番偉くなってしまった女の子は、世界で一番切実な想いで、その手紙を送り出した。
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女王様と一緒 黄昏一刻 @gloaming
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