第4話 女王の初仕事

 あの日、デビュタントの夜。

 

 ヴィオレッタ・アレクサンドリナ・ブリタニアは、人生で初めての「わがまま」を決意した。

 

 ――ルシアン・フォン・ヴァイセンブルクが欲しい。

 

 理由は単純だった。

 

 彼だけが、ヴィオレッタを「国の器」としてではなく、「ただの人間」として見てくれたから。

 

 彼がそばにいる時だけ、押しつぶされそうな《王冠魔法》の重圧が消え、呼吸ができるから。

 

 けれど、現実は無情だった。

 

 母であるケンブリッジ公妃は、冷ややかに告げたのだ。

「ヴァイセンブルクの第二王子? なりません。我が国の外交益を考えなさい」

 王女である限り、ヴィオレッタは母の操り人形(カード)に過ぎない。

 誰と結婚し、誰を愛するかさえ、自分では決められない。

 

 普通の少女なら、ここで枕を濡らして諦めるだろう。

 

 だが、ヴィオレッタの初恋は、少しばかり――いや、かなり重かった。

(……お母様が許さないなら、お母様より偉くなればいいだけだわ)

 その日、王女の瞳に、初めて野望の火が灯った。

 

 女王陛下に、私はなる。

 

 この国の頂点に立ち、何者にも指図されない「最高決定権」を持てば、誰が文句を言えようか。

 

 動機は不純率100%。けれど、その努力は涙ぐましいほどに真面目だった。


 


 

 それからの二年間、ヴィオレッタは頑張った。

 それまでも優秀だったが、鬼気迫るほどの勤勉さを発揮し始めたのだ。

 複雑怪奇な法典を暗記し、誰もやりたがらない地方視察へ赴き、議会の対立を笑顔で仲裁した。

 

「非の打ち所がない、王位継承者になってみせる」

 

 深夜、目の下に隈を作りながら、彼女は外交文書を読み漁る。

 

 眠い。辛い。逃げ出したい。

 

 でも、この書類の山の向こうに、眼鏡をかけたあの人の顔があると思えば、不思議と力が出た。

 

 周囲は彼女を称賛した。

 『慈悲深く、勤勉な王女殿下』

 『国を憂う、聖女のようなお方』

 

 違う。

 そうじゃない。

 

 ヴィオレッタはただ、愛する人を隣に迎える為に、必死で努力している、ただの恋する乙女なのだ。

 

 しかし、その姿はあまりにも一途で、そして、目標が少しだけ普通ではなかった。

 

 天は、そんな彼女の執念に味方したのか、あるいは残酷な試練を与えたのか。

 上位継承者の病、スキャンダル、相次ぐ不運。

 あれよあれよという間に、継承順位は階段を二段飛ばしで駆け上がっていった。

 

 十八歳の誕生日、その朝。

 まだ夢の名残がまぶたに絡みつく時間帯に、寝室の扉が静かに開く。


「おはようございます、陛下」


 珍しいことに、起こしに来たのは女官長――メリッサ伯爵夫人だった。


「……おはよう、メリッサ。今日はずいぶん早いのね……」


 ヴィオレッタは朝に弱い。

 昨夜も書類仕事が長引き、頭は半分、枕に沈んだままだ。


(……ん? 今、なんて?)


「おはようございます」


 メリッサは、完璧に整えられた笑顔のまま、もう一度だけ繰り返す。


「――あなたは、本日より女王陛下でいらっしゃいます」

「……はいぃっ?」


 情けない裏返り声が、天蓋付きの寝室に響いた。


 国王の崩御に伴い、今朝、王冠は正式に行き先を決めた。


 こうしてヴィオレッタ・アレクサンドリナ・ブリタニアは、

 パジャマ姿のまま、女王になったのである。

 

 


 

 即位式の日。

 

 王冠を戴き、ヴィオレッタは民衆の前で宣誓した。

 

 その瞬間、《王冠魔法》の全権限が、彼女の華奢な体に流れ込んだ。

 国そのものを背負う重圧。

 数百万の民の命、経済、外交、そのすべてが彼女の双肩にかかる。

 

 ヴィオレッタは真面目だった。

 真面目すぎたからこそ、その重さを真正面から受け止めてしまった。

(私がしっかりしなきゃ。私が揺らげば、国が揺らぐ)


 女王となった彼女は、完璧であろうとした。

 だが、それは同時に、彼女を深い孤独へと突き落とすことになった。

 

 女王は、常に守られている。

 分厚い壁と、儀礼と、制度によって。

 

 誰も女王に、無防備に近づかない。誰も彼女を「ヴィオレッタ」とは呼ばない。

 

 弱音を吐くことは許されない。

 涙を見せることは、国の動揺に直結する。

 対等に弱さをさらけ出せる場所など、この国のどこにもなかった。

 

 夜、広すぎる執務室。

 山積みの決裁書類を片付け終えたヴィオレッタは、ふとペンを止めた。

 

 静かすぎる。

 カチ、カチ、と時計の針の音だけが響く。

 

「……あいた、い」

 

 ぽつりとこぼれた言葉は、誰にも届かずに消える。

 

 王冠の魔力が、血管を冷たく巡る。

 国のために自分を殺し、感情を押し殺す日々。

 選んだ道だ。わかっている。

 ルシアンを手に入れるために、自分で望んだ玉座だ。

 

 けれど、あまりにも寒かった。

 

 ――限界だった。

 

 このままでは、心が凍りついて、壊れてしまう。

 

 震える手で、彼女は引き出しを開けた。

 最高級の羊皮紙。

 公的な文書にのみ使用が許される、王家の紋章が入った便箋。

 

 宛先は、ヴァイセンブルク公国。第二王子、ルシアン・フォン・ヴァイセンブルク。

 

 これは、女王としての公務だ。

 

 即位を祝う夜会への招待状。外交的な意味合いを持つ、政治的な文書。

 

 けれど、ヴィオレッタにとって、それは血を吐くようなSOSだった。


 文面は、完璧な外交儀礼に則って書いた。

 

 でも、インクの一滴一滴に、二年分の重すぎる愛と、押しつぶされそうな孤独を込めてやった。

 

「……来なかったら、国交断絶してやるんだから」

 

 涙目で鼻をすすりながら、ヴィオレッタは小さく呟いた。

 

 それは、孤独な女の子の精一杯の強がりだった。

 

 彼女は封蝋を垂らし、王家の印章を力強く押し付けた。

 ジュッ、という音が、まるで逃げ場を塞ぐ焼き印のように響く。

 

 ただ、彼に会いたかった。

 

 世界で一番偉くなってしまった女の子は、世界で一番切実な想いで、その手紙を送り出した。

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2026年1月2日 05:00
2026年1月3日 05:00
2026年1月4日 05:00

女王様と一緒 黄昏一刻 @gloaming

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