第24話「母の疑惑」

 紅葉デートから一週間。

 俺とファーティマの関係は、微妙に変化していた。


 表面上は何も変わらない。いつものように学校で話し、昼休みを一緒に過ごし、放課後に帰る。

 でも、時々目が合うと、二人とも少し照れくさそうに視線を逸らす。手が触れそうになると、意識してしまう。


 告白はした。気持ちは伝え合った。

 でも、付き合っているわけではない。「一緒に考えよう」と言っただけで、その先は何も決まっていなかった。


 そんなある日のこと。


「湊、今日は一緒に帰れないの」


 放課後、ファーティマが申し訳なさそうに言った。


「どうした?」


「母が学校まで迎えに来るって。何か話があるみたい」


 ライラさんが。嫌な予感がした。


「何の話だ?」


「わからないわ。でも、声が少し怖かった」


 ファーティマの表情は不安そうだった。

 俺も心配だったが、どうすることもできない。


「わかった。何かあったら連絡してくれ」


「ええ。ありがとう」


 彼女は少しだけ微笑んで、校門の方へ歩いていった。

 その後ろ姿を見送りながら、俺は胸騒ぎを覚えていた。


 * * *


 その夜、ファーティマから連絡が来た。


『電話していい?』


『いいよ』


 すぐに着信があった。


「もしもし」


『湊……』


 彼女の声は、震えていた。


「どうした? 何かあったのか?」


『母に、バレたの』


「バレた?」


『私たちのこと。付き合ってるんじゃないかって』


 心臓が跳ねた。


「付き合ってはないだろ。まだ——」


『でも、好き同士だってこと。母は知ってしまったの』


「どうして——」


『高尾山の写真よ』


 あの日、二人で撮った写真。紅葉を背景に、並んで笑っている俺たち。


『スマホを見られたの。私が不注意だったわ』


 ファーティマの声が詰まった。


『母、すごく怒ってた。こんなに怒った母、初めて見た』


「お前、大丈夫か?」


『わからない。今は部屋に籠もってる。でも、明日また話し合いがあるって』


 俺は何も言えなかった。こうなることは、どこかで予想していた。でも、実際に起こると、どうすればいいかわからなかった。


『湊、ごめんなさい』


「なんで謝るんだよ」


『私のせいで、あなたにも迷惑が——』


「迷惑じゃない」


 俺は強く言った。


「お前のことが好きなのは、俺の気持ちだ。迷惑なんかじゃない」


『湊……』


「明日、俺も行く」


『え?』


「お前の家に。ライラさんと話させてくれ」


『でも——』


「逃げたくないんだ。お前の母さんに、ちゃんと向き合いたい」


 しばらく沈黙があった。


『……ありがとう。でも、明日はまだ駄目だと思う。母、今すごく感情的になってるから』


「そうか……」


『少し落ち着いてから。お願い』


「わかった。お前の判断に任せる」


『ありがとう、湊。あなたがいてくれて、心強いわ』


「俺は何もできてないよ」


『そんなことない。声を聞けただけで、少し楽になった』


 彼女の声が、少しだけ穏やかになった。


『おやすみなさい、湊』


「おやすみ。何かあったらすぐ連絡しろよ」


『ええ。約束する』


 電話が切れた。

 俺はスマホを握りしめたまま、しばらく動けなかった。


 * * *


 翌日から、ファーティマの様子が明らかにおかしかった。

 いつもの明るさがなく、どこかぼんやりしている。授業中も上の空で、先生に当てられても反応が遅い。


「ファーティマ、大丈夫か」


 昼休み、俺は声をかけた。


「ええ、大丈夫よ」


 そう言うが、目の下には隈ができていた。昨夜、眠れなかったのだろう。


「母との話し合い、どうなった?」


「まだ続いてるの。毎晩、話し合ってる」


「ライラさん、何て言ってるんだ?」


 ファーティマは少し躊躇してから、答えた。


「湊と会うのを禁止するって。学校以外では、二人きりにならないようにって」


 予想はしていた。でも、実際に聞くと、胸が痛んだ。


「そうか……」


「父が間に入ってくれてるけど、母は頑固だから。簡単には折れないわ」


「お前は、どうしたいんだ?」


 俺の問いに、ファーティマは俺を見た。


「湊と一緒にいたい。それは変わらない」


「でも、お母さんの反対を——」


「無視するつもりはないわ。母の気持ちもわかるから」


 彼女は窓の外を見た。


「でも、私の気持ちも大切にしたいの。簡単に諦めたくない」


「……ファーティマ」


「湊、少しだけ時間をちょうだい。私、母を説得してみる」


「俺にできることはないか」


「今は、待っていて。私が何とかするから」


 彼女の目には、強い意志があった。

 俺は頷くしかなかった。


「わかった。でも、無理するなよ」


「ありがとう、湊」


 * * *


 それから数日、ファーティマは毎晩母親と話し合っていたらしい。

 学校では疲れた様子を隠そうとしていたが、隠しきれていなかった。


 俺はただ、見守ることしかできなかった。

 彼女の戦いを、傍で支えることしか。


 そして、一週間後。

 ファーティマが俺のところに来た。


「湊、今週の日曜日、空いてる?」


「空いてるけど、どうした?」


「うちに来てほしいの。母と話してくれない?」


 俺は驚いた。


「ライラさんが、俺と話すって?」


「ええ。父が説得してくれたの。一度、ちゃんと話を聞いてみようって」


 ファーティマの顔には、まだ不安の色があった。でも、その奥に希望も見えた。


「母がどう出るかはわからない。でも、チャンスだと思うの」


「わかった。行くよ」


「本当?」


「当たり前だろ。ここで逃げたら、男じゃない」


 俺の言葉に、ファーティマは少しだけ笑った。


「ありがとう、湊。心強いわ」


「礼はまだ早い。話がうまくいくかどうかわからないし」


「それでも。一緒に戦ってくれるだけで、嬉しいの」


 彼女の目が潤んでいた。

 この一週間、どれだけ大変だったか。想像するだけで、胸が痛んだ。


「日曜日、必ず行く。約束する」


「ええ。待ってるわ」


 日曜日。ライラさんとの対面。

 俺は覚悟を決めた。


 逃げない。

 ファーティマのために、そして俺自身のために。


 彼女の母親と、正面から向き合う。

 それが、今の俺にできる唯一のことだった。

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