第22話「文化祭当日」

 文化祭当日。

 朝から校内は熱気に包まれていた。


 俺たちの教室は、すっかりUAEの雰囲気に変わっていた。入り口にはアラビア風のアーチ、天井からは幾何学模様のタペストリー、窓辺にはランタン型のライトが飾られている。


「すごい……本当にアブダビみたい」


 ファーティマが感嘆の声を上げた。

 今日の彼女は、特別な衣装だった。白いアバヤに金の刺繍。頭には同じく白いヒジャブ。普段より華やかで、目を引く美しさだった。


「お前、その衣装——」


「母のよ。特別な日に着るもの」


「似合ってる」


「ありがとう」


 彼女は嬉しそうに微笑んだ。


 * * *


 開場時間になると、お客さんが次々と入ってきた。

 他のクラスの生徒、保護者、一般のお客さん。みんな興味深そうに展示を見て回っている。


「UAEって、こんな国なんだ」

「ドバイしか知らなかったけど、アブダビも面白そう」

「建国からまだ五十年くらいなんだね」


 俺が担当した歴史のパネルの前で、足を止める人も多かった。


「この展示、すごくわかりやすいね」


 知らない女子生徒が話しかけてきた。


「ありがとうございます」


「作った人、詳しいんだね。留学でもしてたの?」


「いえ、クラスメイトに教えてもらったんです」


 そう言って、教室の中を見回した。ファーティマは料理コーナーで、お客さんに説明をしていた。身振り手振りを交えて、楽しそうに話している。


「あの子? ヒジャブの」


「はい」


「へえ。なんか、すごいね」


 女子生徒は感心したように頷いて、次の展示に移っていった。


 * * *


 昼前になると、教室はさらに賑わっていた。

 料理コーナーでは、デーツやアラビックコーヒー、バクラヴァが提供されている。ライラさんのレシピで作ったお菓子は、特に人気だった。


「これ、何ですか?」


「バクラヴァです。中東の伝統的なお菓子で、パイ生地にナッツと蜂蜜を——」


 ファーティマが丁寧に説明している。

 彼女の周りには常に人だかりができていた。みんな、彼女の話に聞き入っている。


「ファーティマさん、写真撮っていいですか?」


「ええ、どうぞ」


 他クラスの女子が、スマホを向けた。ファーティマは慣れた様子でポーズを取る。


「衣装、すごく綺麗ですね」


「ありがとう。母の大切なものなの」


「お母さんも、同じ国の人?」


「母はモロッコ出身よ。父がUAE」


「へえ、国際結婚なんだ」


 ファーティマは色んな人と話していた。質問に答え、文化の違いを説明し、時には冗談を言って笑いを取る。

 一学期の頃の、どこかよそよそしかった彼女とは別人のようだった。


 * * *


 午後になり、少し落ち着いてきた。

 俺は休憩を取るために、廊下に出た。


「湊」


 後ろからファーティマの声がした。


「お前も休憩か」


「ええ。少し疲れたわ」


 彼女は壁にもたれて、ふぅと息をついた。


「でも、楽しい。こんなにたくさんの人が、私の国に興味を持ってくれるなんて」


「大成功だな」


「みんなのおかげよ」


 彼女は教室の方を見た。中では、クラスメイトたちがお客さんの対応をしている。


「みんな、本当に頑張ってくれた。私、感謝してるの」


「お前が頑張ったからだよ」


「私だけじゃないわ。湊も、鈴木さんも、みんなも」


 ファーティマは俺の方を向いた。


「ねえ湊、後で少しだけ時間ある?」


「ん? ああ、あると思うけど」


「文化祭が終わったら、話したいことがあるの」


 また、その言葉。

 海の日にも、同じことを言っていた。あの時は、結局聞けなかった。


「わかった」


「約束よ」


「ああ」


 彼女は微笑んで、教室に戻っていった。


 話したいこと。

 何だろう。気になるが、今は文化祭に集中しなければ。


 * * *


 午後三時。文化祭のフィナーレが近づいていた。

 最後の追い込みで、教室は再び賑わっていた。


「すみません、この衣装って、どこで買えるんですか?」


「えっと、日本だとネットで——」


 俺は接客に追われていた。展示班なのに、いつの間にか何でも屋になっている。


「湊くん、これお願い」


「了解」


 料理の補充、ゴミの片付け、道案内。やることは山ほどあった。


 ふと、教室の入り口に見覚えのある姿があった。

 ライラさんだ。


 彼女は教室の中を見回していた。その表情は、いつもの厳しさとは違っていた。驚きと、何か別の感情が混じっている。


「お母様」


 ファーティマが気づいて駆け寄った。


「来てくれたのね」


「ええ。どんな様子か、見に来たの」


 ライラさんは展示を一つ一つ見て回った。歴史のパネル、文化の紹介、料理コーナー。

 俺のパネルの前で、少し長く立ち止まった。


「これ、誰が作ったの」


「湊よ。私のクラスメイトの」


 ライラさんが俺の方を見た。俺は軽く頭を下げた。


「よく調べてあるわね」


「ありがとうございます」


「シェイク・ザーイドのことも、ちゃんと書いてある」


 彼女の声は、珍しく柔らかかった。


「あなたが作ったの?」


「はい。ファーティマに教えてもらいながら」


「そう」


 ライラさんは少し考えてから、言った。


「ありがとう。娘のために」


 それだけ言って、彼女は去っていった。

 俺は呆然とその背中を見送った。


「お母様、あなたにお礼を言ったわ」


 ファーティマが信じられないという顔で言った。


「すごいことよ、これ」


「そうなのか?」


「ええ。前も言ったけれど、母が日本人を褒めるなんて、本当に珍しいの」


 彼女は嬉しそうだった。


「少しずつ、変わってきてるのかもしれないわね」


 * * *


 午後四時。文化祭が終了した。

 後片付けを終え、クラスメイトたちは帰り始めた。


「お疲れ様でした」


「楽しかったね」


「ファーティマさん、また来年もやろうね」


 みんなが声をかけていく。ファーティマは一人一人に笑顔で応えていた。


 教室に残ったのは、俺とファーティマだけだった。


「疲れたな」


「ええ。でも、いい疲れよ」


 彼女は窓辺に立って、夕日に染まる校庭を眺めていた。


「成功だったわね」


「ああ」


「みんなが私の国を知ってくれた。それが、すごく嬉しい」


「お前が頑張ったからだ」


「湊も」


 彼女は振り返った。夕日を背にして、その姿が逆光で影になる。


「ねえ湊。さっき言った、話したいこと」


「ああ」


「聞いてくれる?」


「もちろん」


 ファーティマは深呼吸をした。

 何か大切なことを言おうとしている。そんな気配があった。


「私——」


 その時、廊下から声がした。


「ファーティマさん、まだいる?」


 鈴木さんだった。


「打ち上げの場所、決まったから。駅前のファミレスでいい?」


「え、ええ。大丈夫よ」


「じゃあ、先に行ってるね」


 鈴木さんは去っていった。


 ファーティマは少し困った顔をした。


「ごめんなさい。また、タイミングが悪かったわね」


「いや、いいよ。打ち上げ、行こう」


「でも——」


「話は、また今度でいい。どうせ俺は逃げないから」


 俺は軽く笑って言った。


 ファーティマは少し考えてから、頷いた。


「そうね。また今度」


「ああ。約束する」


 俺たちは並んで教室を出た。


 彼女が言いたいこと。

 俺には、なんとなくわかっていた。

 でも、聞くのが怖かった。


 でも、いつかは聞かなければならない。

 逃げ続けることはできない。


 夕日に染まる廊下を歩きながら、俺は心の中で覚悟を決めた。


 次こそ、ちゃんと聞こう。

 彼女の言葉を、最後まで。

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