第20話「2学期スタート」

 九月一日。二学期が始まった。

 夏休みの間に日焼けした顔、伸びた髪、少し大人びた雰囲気。クラスメイトたちは、それぞれ変化を見せていた。


 俺は教室に入り、自分の席に着いた。隣の席は、まだ空いている。


「おはよう、湊」


 後ろから声がして振り返ると、ファーティマが立っていた。

 夏休み中に何度も会っていたのに、制服姿の彼女を見るのは久しぶりだった。白いヒジャブに、紺のブレザー。凛とした佇まいは変わらない。


「おはよう」


「久しぶりに制服着たわ。なんだか新鮮ね」


「そうだな」


 彼女は隣の席に座り、鞄から教科書を取り出した。いつもの光景。でも、夏休みを経た今では、少しだけ特別に感じる。


「ねえ、昨日のことなんだけど——」


 ファーティマが何か言いかけた時、担任が教室に入ってきた。


「席につけー。始業式の前にホームルームやるぞ」


 彼女は口を閉じ、前を向いた。

 昨日のこと。海で言いかけた言葉のことだろうか。気になったが、今は聞けなかった。


 * * *


 始業式を終え、授業が始まった。

 二学期は行事が多い。体育祭、文化祭、修学旅行。忙しくなりそうだ。


 昼休み、俺とファーティマはいつものように一緒に過ごした。彼女は礼拝を済ませてから、教室に戻ってきた。


「ねえ湊、文化祭って何をするの?」


「クラスで出し物をするんだ。去年は喫茶店だった」


「出し物?」


「模擬店とか、お化け屋敷とか、演劇とか。クラスで話し合って決める」


「楽しそうね」


 ファーティマは目を輝かせた。


「アブダビの学校には、そういうのなかったから。やってみたいわ」


「多分、来週くらいに話し合いがあると思う」


「何がいいかしら。私、お化け屋敷は苦手だけど……」


「お前、怖いの苦手なのか」


「ホラー映画とか、全然見られないの」


 意外だった。あれだけ堂々としている彼女が、怖いものが苦手だなんて。


「じゃあ、お化け屋敷以外に投票すればいい」


「そうするわ」


 彼女は笑った。


 その時、クラスメイトの女子が近づいてきた。


「ねえファーティマさん、ちょっといい?」


「何かしら」


「文化祭のことで相談したいんだけど、放課後時間ある?」


 彼女の名前は鈴木さん。クラスの中心的な存在で、行事ごとに率先して動くタイプだ。


「ええ、大丈夫よ」


「良かった。じゃあ後でね」


 鈴木さんが去った後、ファーティマは少し驚いた顔をしていた。


「何の相談かしら」


「さあ。文化祭のことじゃないか」


「でも、私に相談することなんてあるのかしら」


「あるんだろ」


 彼女がクラスに馴染んできている証拠だと思った。一学期の頃は、珍しい転校生として見られていた。でも今は、クラスの一員として認められつつある。


 * * *


 放課後、俺は先に帰ろうとした。ファーティマは鈴木さんたちと話があるようだったから。


「湊、待って」


 廊下で呼び止められた。振り返ると、ファーティマが小走りで追いかけてきた。


「話、終わったのか?」


「ううん、これから。でも、その前に——」


 彼女は俺の前で立ち止まった。


「昨日、言いかけたこと」


 心臓が跳ねた。


「覚えてる?」


「ああ」


「あのね——」


 彼女は少し言い淀んでから、口を開いた。


「私、文化祭で何か特別なことがしたいの」


「特別なこと?」


「そう。せっかく日本の学校にいるんだから、思い出に残ることがしたい」


 それが、昨日言いかけたことなのか?

 少し拍子抜けしたが、俺は頷いた。


「いいんじゃないか。何をしたいんだ?」


「まだ決めてないの。でも、湊と一緒に何かできたらいいなって」


「俺と?」


「だって、湊は私の一番の友達だもの」


 また、友達という言葉。

 嬉しいはずなのに、どこか引っかかる。


「わかった。一緒に考えよう」


「ありがとう。じゃあ、私、行くわね」


 ファーティマは鈴木さんたちのところへ戻っていった。


 俺は一人で帰り道を歩いた。


 昨日、彼女が言いかけたのは、本当にそれだけだったのだろうか。

 海辺での空気は、もっと違う何かを予感させた気がしたのに。


 考えすぎか。

 俺は頭を振って、足を速めた。


 * * *


 翌日から、文化祭の準備が本格的に始まった。

 クラス会議で出し物を決めることになり、様々な案が出た。


「喫茶店がいいと思います」

「お化け屋敷やりたい」

「演劇はどう?」

「縁日っぽいのは?」


 意見が飛び交う中、鈴木さんが手を挙げた。


「あの、一つ提案があります」


 クラスが静まった。


「今年は、ファーティマさんの国の文化を紹介するのはどうでしょう」


 予想外の提案に、教室がざわついた。

 ファーティマも驚いた顔をしている。


「UAE、でしたっけ。あまり知られてない国だと思うんです。だから、食べ物とか、衣装とか、紹介したら面白いんじゃないかなって」


「でも、それだとファーティマさんに負担がかかるんじゃ……」


 誰かがそう言った。もっともな懸念だ。


「私は構わないわ」


 ファーティマが立ち上がった。


「むしろ、嬉しいわ。私の国のことを知ってもらえるなら」


 彼女は教室を見回した。


「もちろん、みんなが賛成してくれるならだけど」


 しばらく沈黙があった。そして、一人、また一人と手が挙がっていく。


「面白そう」

「やってみたい」

「俺も賛成」


 最終的に、圧倒的多数でUAE文化紹介の出し物に決まった。


「ファーティマさん、よろしくね」


 鈴木さんが笑顔で言った。


「ええ。こちらこそ、よろしくお願いします」


 ファーティマも笑顔で応えた。


 * * *


 放課後、俺はファーティマと一緒に帰った。


「びっくりしたわ。まさか、私の国の文化を紹介することになるなんて」


「鈴木さんが提案してくれたんだな」


「ええ。昨日の相談も、それだったの」


「そうだったのか」


「私に負担をかけないか、確認してくれたのよ。優しいわよね」


 ファーティマは嬉しそうだった。


「クラスのみんなに受け入れられてる気がする。一学期は、まだ距離があったけど」


「そうだな」


「湊のおかげよ」


「俺?」


「あなたが最初に私を受け入れてくれたから。それを見て、みんなも安心したんだと思う」


 俺は首を横に振った。


「俺は何もしてない。お前が努力したからだ」


「そんなことないわ。湊がいなかったら、私、一人で頑張れなかった」


 彼女は立ち止まって、俺を見た。


「ありがとう、湊。いつも」


「……どういたしまして」


 アフワン、と言おうとしたが、恥ずかしくてやめた。


「文化祭、成功させようね」


「ああ」


「湊にも手伝ってもらうから」


「わかってる」


 彼女は満足そうに頷いた。


 夕日が街を照らしていた。

 二学期が始まったばかり。これから忙しくなる。


 でも、彼女と一緒なら、どんなことでも乗り越えられる気がした。


 そう思いながら、俺は隣を歩く彼女を見た。

 オレンジ色の光に照らされた横顔。白いヒジャブが、夕日に染まっている。


 綺麗だ、と思った。

 いつものように。

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