第17話「夏祭りの夜」

 花火大会から一週間後。

 地元の神社で夏祭りがあった。


「湊、夏祭りって花火大会と何が違うの?」


 ファーティマからの質問に、俺は少し考えてから答えた。


「花火大会は花火がメインだけど、夏祭りは神社の行事がメインかな。神輿とか、盆踊りとか」


「ミコシ? ボンオドリ?」


「行けばわかる」


 説明するより見せた方が早い。俺たちは夕方から神社に向かった。


 今日もファーティマは浴衣姿だった。前回とは違う、淡いピンク地に白い花模様。ヒジャブは白で統一している。


「また浴衣にしたんだな」


「だって気に入ったんだもの。日本の夏はこれを着るべきだわ」


 すっかり馴染んでいる。最初は着付けに苦労したらしいが、今では母親のライラさんに手伝ってもらっているそうだ。


 神社に着くと、境内は賑わっていた。

 屋台が並び、提灯の明かりが揺れている。浴衣姿の人々が行き交い、どこからか祭囃子が聞こえてくる。


「わあ……」


 ファーティマは目を輝かせた。


「花火大会とは違う雰囲気ね。もっと……神聖な感じ?」


「神社だからな。神様を祀ってる場所だ」


「イスラムのモスクみたいなもの?」


「近いかもしれない。でも日本の神様は、イスラムの神様とは違うけど」


「多神教よね、日本は」


「そう。八百万の神っていって、色んなものに神様が宿ってるって考え方だ」


 ファーティマは興味深そうに頷いた。


「面白いわね。私たちは唯一神だけど、日本は神様がたくさんいる。でも、神聖な場所を大切にする気持ちは同じね」


 彼女はいつもそうだ。違いを認めながら、共通点を見つけようとする。


 * * *


 屋台を回りながら、俺たちは色々なものを食べた。

 たこ焼き、焼きそば、チョコバナナ。ファーティマは何でも興味を持って、次々と試していく。


「ねえ、あれは何?」


 彼女が指差したのは、綿あめの屋台だった。


「綿あめ。砂糖を溶かして、糸みたいにしたやつ」


「食べてみたい」


 ピンク色の綿あめを買って、彼女に渡した。ファーティマは不思議そうに眺めてから、一口かじった。


「あ、溶けた」


「口の中で溶けるんだ」


「不思議……。雲を食べてるみたい」


 彼女は嬉しそうに綿あめを食べ続けた。ピンクの綿あめと、ピンクの浴衣。なんだか絵になる光景だった。


「湊も食べる?」


「いや、いい。お前が食え」


「そう? じゃあ遠慮なく」


 あっという間に綿あめがなくなった。食欲旺盛だ。


 * * *


 境内の奥から、太鼓の音が聞こえてきた。

 そちらに向かうと、櫓が組まれていて、その周りを人々が輪になって踊っていた。


「あれがボンオドリ?」


「そう。盆踊り」


「みんなで同じ踊りを踊るのね」


 ファーティマは物珍しそうに眺めていた。

 輪の中には、お年寄りから子供まで、様々な年代の人がいる。同じ振り付けで、同じリズムで、ゆったりと踊っている。


「私もやってみたい」


「え、マジで?」


「だって楽しそうじゃない」


 彼女は俺の手を引いて、輪の中に入っていった。


「ちょ、待て——」


「いいからいいから。ヤッラ!」


 強引に連れ込まれ、俺たちは盆踊りの輪に加わった。

 周りの人の動きを見よう見まねで真似する。右に手を伸ばして、左に手を伸ばして、くるりと回って——。


「難しいわね」


「お前が言い出したんだろ」


「でも楽しい」


 ファーティマは下手くそな踊りを続けながら、笑っていた。

 隣のおばあちゃんが「上手よ」と声をかけてくれた。全然上手じゃないが、その優しさが嬉しかった。


 しばらく踊って、俺たちは輪から外れた。


「疲れた……」


「だから言っただろ」


「でも良い経験だったわ。日本の伝統を体験できた」


 ファーティマは満足そうだった。額に薄っすらと汗をかいている。


「喉乾いたな。何か買ってくる」


「私はラムネが飲みたいわ」


「わかった」


 俺は屋台でラムネを二本買ってきた。ビー玉で栓をする、昔ながらのやつだ。


「これ、どうやって開けるの?」


「この突起で、ビー玉を押し込むんだ」


 俺がお手本を見せると、ファーティマも真似して栓を開けた。シュワッと炭酸が弾ける音がする。


「面白い仕組みね」


「だろ。昔からあるやつだ」


 二人でラムネを飲みながら、境内のベンチに座った。

 祭囃子が遠くに聞こえる。提灯の明かりが、夜の闇をぼんやりと照らしている。


 * * *


「ねえ湊」


「ん?」


「神社って、お願い事をする場所なんでしょう?」


「まあ、そうだな。お賽銭を入れて、手を叩いて、願い事をする」


「私もやっていい?」


 俺は少し考えた。彼女はムスリマだ。異教の神に祈ることに、抵抗はないのだろうか。


「お前、イスラム教徒だろ。いいのか?」


「お祈りするわけじゃないわ。ただ、この場所の空気を感じたいだけ」


 ファーティマは本殿の方を見つめていた。


「日本の人たちが大切にしている場所でしょう? それを尊重したいの」


 彼女らしい考え方だと思った。


「じゃあ、行くか」


 俺たちは本殿の前に立った。

 賽銭箱にお金を入れ、俺は作法通りに二礼二拍手一礼をした。ファーティマはその横で、静かに目を閉じていた。


「何を願ったの?」


 参拝を終えてから、彼女が聞いてきた。


「言ったら叶わないだろ」


「ケチね」


「お前は? 何を思ってた?」


「私?」


 ファーティマは少し考えてから答えた。


「感謝、かしら。日本に来て、湊に会えたこと。たくさんの経験ができていること。それに感謝してた」


「願い事じゃないのか」


「願い事もしたわよ」


「何を?」


「内緒」


 彼女はいたずらっぽく笑った。


 * * *


 夜が更けてきた。

 祭りもそろそろ終わりに近づいている。人が少しずつ減っていく。


「そろそろ帰るか」


「ええ」


 神社を出て、夜道を歩く。街灯の明かりが、俺たちの影を長く伸ばしていた。


「今日も楽しかったわ」


「良かった」


「花火大会も、夏祭りも。日本の夏って、イベントが多いのね」


「まあな。でも、そろそろ夏休みも終わりだ」


 八月も後半に入っていた。あと一週間ほどで二学期が始まる。


「早いわね……」


 ファーティマの声が、少し寂しそうだった。


「一年の三分の一が終わったわ。日本に来てから」


「そうだな」


「残り、一年と四ヶ月」


 その言葉に、俺の胸がちくりと痛んだ。

 彼女はいつも、残り時間を数えている。俺は忘れようとしているのに、彼女は忘れない。


「まだ先の話だろ」


「そうね。でも、時々考えちゃうの」


 ファーティマは足を止めた。

 俺も立ち止まって、彼女を見た。


「湊」


「ん?」


「私がアブダビに帰ったら、どうなるのかな」


「どうなるって?」


「私たち。友達でいられるのかな」


 その問いに、俺は即答できなかった。

 遠く離れて、会えなくなって、それでも友達でいられるのか。正直、わからない。


「……いられるんじゃないか」


「本当に?」


「ビデオ通話もあるし、メッセージも送れる。距離があっても、繋がっていられる」


 俺は自分に言い聞かせるように言った。


「だから、大丈夫だ」


 ファーティマは俺をじっと見つめていた。

 その瞳に、何かを見つけようとしているように。


「……そうね。大丈夫よね」


 彼女は微笑んだ。でも、どこか寂しそうだった。


「ごめんなさい、変なこと言って。せっかく楽しい夜だったのに」


「いや、いいよ」


「帰りましょう。明日も早いから」


 俺たちは歩き出した。

 さっきまでの賑やかな気分は消えて、少しだけ重い空気が漂っていた。


 駅に着き、改札の前で別れた。


「じゃあね、湊」


「ああ、また」


「今日はありがとう。楽しかった」


「俺も」


 ファーティマは改札を通り、振り返って手を振った。

 俺も手を振り返した。


 彼女の姿が見えなくなってから、俺は空を見上げた。

 夏の夜空に、星が瞬いている。


 残り一年と四ヶ月。

 その時間が、急に短く感じられた。


 友達でいられるのか、と彼女は聞いた。

 俺は大丈夫だと答えた。


 でも、本当にそうだろうか。

 友達という関係のまま、彼女を見送ることができるだろうか。


 答えは、まだ出なかった。

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