第3話 もう、無かったことには出来ないほどに。
「目的は何だ。お前は僕を殺すために現れた、悪魔の手先か?」
「そんなことが目的なら、とっくにやってますよう。私の目的――現世でもう一度、生きる理由があるとすれば……そうですね……」
素っ裸の変態少女は顎元に指を添え、思案する仕草を見せた。
その視線は、魔術の焦げ跡がまだ残る天井へと向けられている。
まるで答えをそこに書き残してきたかのように。
沈黙。
その間に、僕の鼓動だけがやけに大きく耳に響く。
やがて彼女は、思いついたというより――最初から決まっていた答えを口にするように、屈託のない笑みを作った。
「カイス様のお側にいることです!」
あまりにも場違いな言葉だった。
魔術、殺意、恐怖。そのどれとも噛み合わない。
「……は?」
自分でも驚くほど、間の抜けた声が喉から漏れた。
「何だそれ。僕は既婚者だぞ? お前、むしろそっちのほうが燃え上がるタイプなのか」
「カ、カカカカイス様!? まさか現世でもう新しい伴侶を!? 誰の許可を得てそんなことしてるんですかあ!?」
「少なくともお前の許可はいらないだろ。期限切れのクーポン券より価値がない」
「言ってることはよく分かりませんが、凄まじく侮辱されているという事実だけは理解できます! 不倫ですよ、不倫! カイス様は誠実さだけが取り柄だったのに……うわああああ……」
……何だこいつ。
本当に泣いているのか?
というか今、さらっと僕を貶したな。
魔術に秀でているところだって、立派な取り柄だったはずだ。
そう反論しかけて――ふと、思考が止まる。
……ああ。
今の僕には、それがもう無い。
力を失い、魔術を奪われ、それでもなお立っている理由を探せば――
確かに、残っているのは誠実さくらいなものかもしれない。
ならばせめて、その最後の拠り所だけは守らねばならない。
僕の名誉のためにも。
「おい、お前。盛大な勘違いをしているようだが、僕は現世で結婚などしていない」
変態少女の泣き声が、ぴたりと止まった。
「僕の生涯の伴侶は、アーイシャだけだ」
「……え?」
その一言は、拍子抜けするほど小さく、
しかし確かに、何かが揺らいだ音だった。
「本当ですか?」
分かりやすく顔色を明るくしたのが、ひどく腹立たしかった。
思わず平手打ちの一つでも食らわせてやりたくなる――が、それは叶わない。
今やこの女の魔力は、僕を凌駕している。
下手に感情をぶつけるのは愚策だ。少なくとも今は、彼女の機嫌を不必要に逆撫ですべきではない。
「ああ、本当だ。だから――またアーイシャを召喚するための研究を続ける」
自分の声が、妙に冷静であることに気付く。
「お前が“僕の側にいること”を現世で生きる理由だと言うのなら、その研究を手伝え。
それが条件だ。それなら、お前を僕の側に置いてやる」
「本当ですか!? カイス様! 私、またお側に居てもいいんですね。……いやでも、私がカイス様のお嫁さんなんだけどなあ」
「馬鹿なことを言うな」
吐き捨てるように言う。
「おそらく、アーイシャの魔力を大量に注ぎ込んだせいで、記憶が混濁しているんだろう。
だから当分の間――アーイシャを“自称”することくらいは、黙認してやる」
「自称じゃなくて、私は本当にカイス様の――」
そこで、我慢の限界だった。
僕は上半身を起こし、変態少女の頭を掴んで押し退ける。
……これくらいの扱いなら、許されるだろうか。
分からない。
何もかもが手探りだ。
まるで地雷原を、細い杖で叩きながら渡っているような心地だった。
「はいはい、分かったから……もういい加減どいてくれ。
それから、僕はもうカイス・イヴン・アル=ウラキウスじゃない。現世での名はハトバ・イズヒトだ。イズヒトでいい」
「イズヒト様……イズヒト様……」
変態少女は、その名を確かめるように、ゆっくりと
まるで、失えば二度と取り戻せない呪文でも刻み込むかのように。
前世の記憶のままなら、確かに奇妙で馴染みのない響きに聞こえるのだろう。
僕自身、この世界に転生した直後は、名前一つ取っても時代の隔たりに戸惑ったものだ。
――問題は、この自称嫁をどう扱うかだ。
一歩踏み違えれば、主従関係は容易く反転する。
かつて僕が有していた絶大な力を、そのまま受け継いだ存在。
その力は、あまりにも危険だ。
先ほどは研究を手伝えなどと言ったが、正直、期待はしていない。
仮に研究が進み、アーイシャだと確証の持てる人物を再び召喚できたとして――その後、この変態少女はどうする?
自らの居場所を失うことを恐れ、アーイシャを殺す可能性は?
否定できない。むしろ、現実的な未来だ。
だから、僕がこれから成すべきことは一つ。
――こいつから、僕の力を取り戻す方法を探る。
その決意が胸の奥で静かに固まっていくのを感じながら、
そんな思惑など
「素敵なお名前です」
「そうかな。両親が旅行先で僕を産んだものだから、その地名が付けられたらしい」
「ご両親……! 後でたくさんの手土産を持って、ご挨拶に行かなくちゃですね」
「そんな格好で行ってみろ。手土産のお返しに、通報と手錠が付いてくるぞ」
「まあ、イズヒト様。この格好でご挨拶に行けと言うのですね……!
お望みとあらば、一肌脱ぎますとも」
「それ以上脱ぐものが無いから問題なんだよ! 服を着ろ、服を!」
声を荒げながら、ようやく気付く。
そういえばこの女、本当に何一つ身に着けていない。
今この瞬間に至るまで、僕はこの女をどう始末するか、そればかりを考えていた。
だから視界に映る異常を、意識の外へ追いやっていたのだろう。
だが「始末しない」という選択を下した途端、現実は容赦なく押し寄せてくる。
目のやり場が、無い。
本当に、どうしようもなく、すっぽんぽんだ。
憤慨と居心地の悪さを誤魔化すように、僕はふらつきながら立ち上がる。
黒く焼け焦げたクローゼットの戸に手を掛けると、魔力の熱と衝撃で歪んだ蝶番が嫌な音を立てた。
「……くそ」
力任せに引き剥がすように開く。
幸い、中身まで燃え落ちてはいないようだった。
学園の制服や私服が並ぶハンガーラックを漁り、その中から白いTシャツを一枚掴み取る。
それを、振り向きざまに放った。
「ほら。今すぐ着ろ」
床に落ちた白布を見つめ、変態少女は一瞬だけきょとんとした顔をする。
それから、宝物でも受け取ったかのように両手で抱きしめ、にやりと笑った。
「……ふふ。イズヒト様、優しいですね」
「違う。視界汚染の対策だ」
そう言い切りながらも、胸の奥に残る違和感を、僕はまだ言語化できずにいた。
敵か。味方か。
嫁か。化け物か。
分からない。
だが少なくとも――この女は、僕の世界に深く足を踏み入れてしまった。
もう、無かったことには出来ないほどに。
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Life1の死霊使い!~前世の嫁を召喚したつもりが別人だった件~ るろ @Ruro341
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