第4話 新婦の支度と涙と祝福

 侍女頭ヒルダが若手のミカナを伴って控室に現れたその瞬間、室内の空気は一変した。

「お嬢様、お支度の時間でございます」

 ヒルダの宣言とともに、室内は静かな緊張感に包まれる。彼女が衝立の奥から恭しく取り出したのは、まばゆいばかりに輝く純白のドレスである。

 その婚礼衣装には、ベルカント公爵家を象徴する植物のひとつである絹薔薇きぬばらが贅沢にあしらわれている。緻密な刺繍は光を弾き、本物の花と見紛うばかりの布細工が、新婦の身長の二倍はあろうかという長さの裾を飾る。成人の祝宴で纏ったものよりも一段と豪華な仕上がりは、家門の権威と新婦の気品を物語っていた。


 ミカナは片付いたテーブルと椅子を部屋の端に寄せると、セフィーヌに囁いた。

「介添人、頑張って。お嬢様のこと、どうかよろしくね」

「はい」

 ミカナはフェルマータに一礼すると、ワゴンを調理場に下げるため退室した。

 ミカナは平民の出身で、セフィーヌの先輩にあたる。セフィーヌが侍女見習いの作業服に初めて袖を通す前から、彼女は奉公を始めていた。セフィーヌは身分を気にすることなく、先輩であるミカナを慕ってきた。身分を超えて自分を導いてくれた彼女の激励が、セフィーヌの背中を優しく押した。


 支度が本格的に始まると、室内に緊張感が漂う。

 ヒルダが魔法のような手際でフェルマータに化粧を施す一方、セフィーヌは髪結いに集中する。後頭部に大輪の薔薇を咲かせるかのように、一房ずつ丁寧に編み上げていく。ヴェールで隠れると知りながらも、本人の願いを形にするため、一筋の毛流れまで心を込めた。

 続いて、ドレスの着付けへと移る。ヒルダの補助役に徹しながら、セフィーヌは耳飾りや長手袋、靴といった小物を手際よく揃えていった。フェルマータがセフィーヌの肩を借りて自身の身体を支える。背紐が締め上げられ、小物が一つひとつ定位置に収まる。その工程ごとに、「令嬢」が「新婦」へと変わっていく。

 残るは、新婦の母であるベルカント公爵夫人クラウディアの手によって、ヴェールと薔薇冠を戴く儀式のみ。ヒルダとセフィーヌによる「下支え」は、ここで一旦の完成を見た。



 姿見の中に現れたのは、今日、ポラリス王国で最も美しい女性。その神々しいまでの姿を目の当たりにした瞬間、セフィーヌの胸に堰を切ったように思い出が溢れ出した。


 振り返れば、そこには数えきれないほどの記憶があった。

 机を並べて共に学問に励んだ幼き日。初めてフェルマータのために紅茶を淹れ、「美味しい」と褒められたこと。

 父ダルセルを亡くし、失意に沈んだ自分を、再びベルカント家に迎え入れてくれたあの日。不実な元婚約者に代わって、ダンスの練習相手を務めた日々。自分の顔に初めて、フェルマータそっくりに化粧を施したあの日。

 フェルマータの婚約が正式に破棄され、新たに婚約者選抜の開催が宣言されたあの日。五人の貴公子を迎え、主人の伴侶と、そして自分自身の伴侶をも見定めた激動の二日間。そして、新成人の令嬢として共に出席した、成人の祝宴。

 そのすべてが、今日この瞬間に繋がっていたのだ。


「まあ、セフィーヌ……」

 フェルマータの声で、セフィーヌは熱い雫が自分の頬を伝っていることにようやく気付く。

「ありがとう。あなたが傍にいてくれたから、わたくしは今日という日を信じることができたのよ」

「勿体ないお言葉……でございます。……ううっ」

 堪えきれずに鼻声を漏らしながら、セフィーヌは慎重に涙を拭った。自分も介添人として化粧を施している。今ここで崩すわけにはいかないと、必死に己を律する。

「こら、セフィーヌ。花嫁より先に泣いてどうするのです」

 ヒルダの嗜める声は、いつになく優しかった。厳格な侍女頭の瞳の奥にも、二人の成長を慈しむような光が宿っている。



 やがて、控えめだが重みのあるノックの音が響いた。

「フェルマータ、私だ」

 扉の向こうから聞こえたのは、新婦の父親、ベルカント公爵グラーヴェの低く慈愛に満ちた声だった。セフィーヌが駆け寄り、恭しく扉を開けると、そこには正装した公爵夫妻と、花束を抱えた執事クレメンスの姿があった。

 

 入室した三人は、新婦の姿を捉えたまま、しばし石像のように固まった。我に返ったグラーヴェが、震える声を絞り出す。

「……美しい。父として、お前を心から誇りに思う。おめでとう、フェルマータ」

「なんて、素敵なのでしょう。フェルマータ、おめでとう。オリヴァー殿と、幸せな家庭を築くのですよ」

 公爵夫人クラウディアがヒルダからヴェールを受け取り、娘の頭上へとそっと下ろした。続いてセフィーヌが差し出した薔薇冠がその上に重ねられる。棘を丁寧に取り除いた茎を編み上げた冠は、まさに母から娘への最後の贈り物となった。


 最後に、クレメンスが恭しく花束を差し出した。

「ご結婚おめでとうございます、フェルマータお嬢様。こちらはオリヴァー様からの贈り物でございます。若旦那様ならびにダツミン侯爵家の皆様も、準備を終えられたとの伝令が入りました」

「嬉しい……。ありがとう」

 フェルマータは絹薔薇とダツミン領原産の雪木犀せつもくせいが組み合わさった花束を抱きしめ、深く息を吸い込む。そこにはオリヴァーの誠実さと、新しい家族の香りが満ちていた。


「セフィーヌ、そろそろ出発を」

 クレメンスの促しに、セフィーヌは介添人としての役割を思い出し、居住まいを正した。

「旦那様、奥方様、そしてフェルマータお嬢様。皆様の幸せに満ちたお顔を拝見し、感無量でございます。改めまして、心よりお祝い申し上げます。わたくしは一足先に、先触れを務めてまいります。王都大聖堂にてお待ち申し上げております」

 深く、優雅に一礼する。


「よろしく頼む」

「ええ、お願いね」

「わたくしたちもこの後出発し、オリヴァー様とご家族をお迎えに上がります。セフィーヌ、後で会いましょう」

 公爵一家の温かな激励を背に受け、セフィーヌは新婦控室を後にした。その足取りは、これから始まる神聖な儀式を寿ぐように、軽やかで力強いものだった。

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セフィーヌ業務録 【令嬢と侍女と北極星Ⅱ】 片栗ポン酢 @an-ponzu

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