弔問客
青切 吉十
弔問客
昭和四十年代。私がまだ若かったころの話。
義母が死に、通夜を開くことになった。
人当たりの良かった義母のために、住んでいた村だけでなく、近隣の村々からも多くの人が駆け付けた。
しかし、日をまたぐころになると弔問客も途絶えた。
義母の亡骸に寄り添っていた義父に「あとはわしが見ているから。おまえさんは寝なさい。あしたもがんばってもらわないといけないから」と言われ、私が言葉に甘えようとしたときだった。
玄関の呼び鈴が鳴った。
「こんな夜更けに来るとは。遠い村からわざわざ来てくれたのかな」
そんな義父の声を背中に聞きながら、私は玄関に向かった。
私が、薄暗い玄関の引き戸を開けると、そこに立っていたのは、妙な老婆だった。
着ている服はぼろぼろで、まるで、どこかで拾ってきたようだった。
髪は短く、口元にはうっすらと髭が生えていた。
とくに異彩を放っていたのは、まんまるとした目だった。ギラギラと輝いていた。
老婆がなにか話しかけてきたが、声が小さくて聞こえなかった。
そのために私が近づいたところ、異臭が鼻を襲った。失礼なことだったが、私は思わず、鼻を手で覆った。
しかし、その私の不作法を老婆は咎めることなく、「……おば……あさん、死ん……だ……から」と口を開いた。
どうやら、弔問客らしかった。山奥の村あたりの義母の知り合いかなにかだろうと思い、私は仏間に案内した。
「弔問の方がお見えになりました」
うつらうつらとしていた義父にそのように伝えると、義父は老婆を見上げた。
そして言った。「おまえさん、だれだい」と。
それに対して、老婆はなにも答えず、義母の亡骸に近づき、なにを思ったのか、義母の顔をなめはじめた。
思わぬことに私が立ちすくんでいたのに対して、義父はそれまでの訝し気な顔付きを笑顔にあらため、「おまえ、トラか。トラだろう」と名を呼んだ。
すると、トラと呼ばれた老婆は、義母をなめるのをやめて、義父のほうを向き、しずかにうなづいた。
「そうか。そうか。生きていたのか。来てくれたのか。いや、これはばあさんも喜ぶぞ」
そのように言いながら、義父は老婆に近づき、その頭をなでた。
それから、「おまえは焼香のあげ方を知っているか。知らぬだろう」と言った。老婆が無言でうなづくと、「わしがおしえてやろう。こうやるんだ」と義父が応じた。
おぼつかない手つきの焼香がすみ、老婆が帰ろうとしたとき、義父が「そうだ。台所に、おまえの好物のゆで卵があったはずだ。わざわざ来てもらった礼だ。二三個食っていくがいい」と口にして、私に持ってくるように言った。
わけがわからぬまま、私がゆで卵の入ったかごを持ってくると、義父がそれを受け取り、老婆のために剥いてやった。老婆はむしゃむしゃと食べた。その様子はまるでけもののようであった。
食べ終わると、老婆は私たちに頭を下げて、仏間から出て行こうとした。
それに対して、義父が「たまには顔を見せに来い。ゆで卵をやろう」と声をかけると、老婆は黙ってうなづいた。
異臭が充満している仏間で、「あれは、だれなんですか」と私が問うと、義父が答えた。
「あれは、ばあさんが昔かわいがっていた、猫のトラだよ。だいぶ前に姿を消したが、いやはや、化け猫になっていたんだな。ばあさんがゆで卵をやるたびに、そんな贅沢をさせるなとわしは小言をいっていたが、まさか、なあ」
親戚の家々から食器を借りに出かけていた夫に、玄関で、起きた出来事を伝えたところ、「おやじもぼけが来たか。そんなことはあるわけがない。しかし、トラか。たしかにいたなあ」とのことだった。
起きたことを整理するために、私が玄関から外の暗闇をながめていると、遠くに二つの小さな光が見えた。
その瞬間、仏間のほうから「なんだ、この獣臭さは」と夫の声が聞こえた。
それから、義父に命じられて、ときおり、ゆで卵を庭に置くようになった。
いつも、あくる日には食べられていたが、それがトラによるものかどうかはわからない。
老婆は二度と、我が家に姿を現さなかった。
弔問客 青切 吉十 @aogiri
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